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2006年03月02日
「無意根山荘」
札幌100秘境の話が新聞(道新2月20日付)に出て、TV局(UHB)がこの話題を取り上げることになった。番組制作会社の人が、著者が新聞記事でも言及していた無意根山荘の取材を提案して来た。この山荘は3月には取り壊すとの新聞報道があって、ともかく写真だけは撮っておかねばと考えていたので、この取材は渡りに舟であった。
しかし、著者は無意根山荘には行ったことがない。無意根山登山者がよく利用すると聞いていたので、てっきり登山道途中にある山小屋だろうと思っていた。冬山登山の経験もないのに、さてどうしたものかと最初は案じていた。インターネットで場所を検索すると、札幌市管理のこの施設は豊羽鉱山の近くの無意根山登山口にあるのを知る。これなら、近くまで車で行けそうなので、長靴を履いて行くことにする。
羽幌鉱山への雪の山道をひたすら走って、お目当ての山荘の近くまでたどり着く。山荘は雪の中に埋もれるようにしてあった。「札幌市無意根山荘」の看板の文字の一部はとれ、屋根の雪の重みで山荘の一部はつぶれかかっていた。周囲に人家や廃屋もなく、もちろん人影は我々を除いてはない。
この山荘は1965年に建設されているので、もう40年が経過している。山荘前には、多分スキー客のために設置されたであろうリフトが動かない状態で放置されている。スキーを楽しむ宿泊客も居たのだろう。マイカーの普及で泊まり客も日帰りの客となって、利用者が激減で2000年から休業に追い込まれ、いよいよ取り壊されることになった。
こういう廃屋をみると、何か人の一生と重なるものがある。全盛期には人も施設も大切にされるだろうが、役目を終えると放っておかれる。老残の言葉通り、この山荘もそして人も、朽ち果てているのが人目に晒される場合がある。このような秘境に立つと感慨深いものがある。
投稿者 esra : 2006年03月02日 00:48
コメント
thomasさん、コメント有難うございます。35年前ですか。大学では1970年の学園分紛争の時代でした。世の中変わるものですね。ともあれ、コメントは参考になりました。校正時に文章手直ししたいと思います。
投稿者 aoki : 2006年08月19日 05:03
このスキー場は豊羽鉱山に勤めていた職員の為の福利厚生施設だったそうです。豊羽鉱山は今は見る影も無いのですが、当時はとても栄えていて、この場所はグランドになっていて、鉱山の職員の運動会等が行われていたそうです。また私が中学生の頃、父親につれられて冬の無意根山に登ったときにはまだここにはラーメン屋があってそこでラーメンを食べた事があります。今から35年くらい昔だと思います。
投稿者 thomas : 2006年08月18日 22:57