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2006年04月30日
「南極犬タロの剥製」
犬種でいうと樺太犬であるけれど、南極犬といった方が通り相場の良いタロは、1958年南極越冬隊の帰国の際に調査船宗谷丸が接岸できず、その他の犬と一緒に南極に置き去りにされた。その後1年間南極の冬を生き延びた、タロとジロは翌年に南極に向かった越冬隊と劇的な再会を果たす。タロはその後4年余の南極での役目を終え、北大植物園で余生を送り、14歳7ヶ月の天寿を全うした。ジロの方は南極で死亡している。
こんな経緯があって、北大の北方生物圏フィールド科学センター耕地圏ステーション植物園内にある博物館にはタロの剥製がある。映画「南極物語」の主人公にもなった、この国民的ヒーローと対面を果たす機会を窺っていた。秘境探検の出費を抑えることと、冬季は植物園は温室を除いて閉園であるため、植物園の入園料金が無料となる「みどりの日」の4月29日に出かけてみた。
重要文化財にも指定されている、札幌農学校時代からの写真の建物が博物館となっている。室内のガラスのケース内に全身黒毛の写真のタロの剥製が収まっている。この剥製になったタロには後日談がある。ジロは死亡した南極から皮と頭の骨を持ってきて北海道で剥製にされ、国立科学博物館に研究資料として保管されている。兄弟犬のタロとジロが、死後東京と札幌に離れ離れになっているのはかわいそうだと、生まれ故郷の稚内市に一緒にさせる運動である「タロとジロを同居させる会」が設立された。北海道知事や札幌市長、北海道の著名人もこの会に参加した。結局はタロとジロは一緒になることはなかったけれど、死後も多くの人を動かした犬達であった。
「みどりの日」に植物園を訪れるのは、咲き出した水芭蕉、キバナノアマナ、カタクリなどを鑑賞したり写真に収めたりするアウトドア派で、辛気臭い博物館の中に入る来園者はほとんどいない。まして、南極犬タロ、ジロの物語は約半世紀前の話となってしまっていて、年配者でなければ思い出すことがない歴史の一駒で、タロの収まっているガラスケースは小さな秘境となっている。
2006年04月29日
「これらの彫刻を知っていますか」
GWに入って秘境探検に出かける気になっている方も居られると思います。札幌市内をふらふら歩いても秘境に出くわす確率は低いでしょう。秘境探検とは獲物を狙うハンターのようなところがあります。ハンターというのは捕まえる能力の先に獲物を見つける能力が要求されます。
一方、探す対象があって街をふらついていたらそれに出会った、という偶然に期待する楽しみ方、これは何と表現すればよいのかちょっと言葉が出て来ないのですが、芭蕉が奥州路に何か句を詠む対象でもあろうかとふらふら歩いてみた、ということに因んで、「奥の細道」型とでも表現するとよいかも知れません。
彫刻やオブジェは秘境探検で注意してみると結構あります。写真を撮っていたらかなりたまりました。ここに画像で紹介する彫刻が札幌市内のどこにあるか特定できるようでしたら、あなたはかなりの札幌通です。「奥の細道」型ですから、彫刻には句をつけます。
朔風に 顔を逸らせて ビルの壁
洋の文字 何を意味して 娘像
母子像の 子を抱く母の 手の強さ
そのうち「札幌秘境学講座」というのを開講します。講師と学生は秘境探検に情熱を燃やした方々です。これは5月から開講予定の、別の、ある意味肩の張る勉強会と並行して行って、息抜きの講座にしようと思っています。参加ご希望の方はご一報を。
2006年04月26日
「秘境探検と航空写真-北大遺跡保存庭園と競馬場」
この写真で右側少し上に写っている長方形の部分が北大のホッケー場である。さらにその左上に陸上競技場の楕円形のトラックが見える。写真で、このホッケー場の上側で陸上競技場の右側にある木立のこんもりとした場所が「北大遺跡保存庭園」である。遺跡庭園の横を流れる「サクシュコトニ川」の川面は写真からは見えないが、北大第一農場の縁からつながる木立の列と、写真上部に写っているエルムトンネルの入口(出口)の横を通る水路でかろうじて認めることができる。この川の近くにある六角の雪の結晶を模した建物は木造の昔のものから建直した恵迪寮である。恵迪寮の下側に野球場が認められる。
桑園の市街地が楔状に写真右側北大構内と競馬場を分断し、写真の中央に競馬場の芝生のコースとダートコースが楕円形に写っている。競馬場は壁で区切られていて、この壁沿いにポプラの並木があり、写真でみるとかなりの長さである。民家と比べると競馬場の大きさがわかり、雪の季節にはこの競馬場一面が雪原になるのだから、冬季は競馬場内は秘境となる。写真に写っている北大構内の第一農場も状況は同じである。
競馬場の周囲にある並んだ建物は馬房で、競馬シーズンに馬を入れておく建物である。競馬場の左側の細長の建物が観客のためのスタンドで、写真からも大きな建物であることが分かる。スタンドの建物の横(前)はレース前に出走馬を引いて、観客に見せるパドックと呼ばれている場所で、航空写真で上から見ると楕円形でデザインされているのが分かる。この場所に、旗手が乗って疾走する3等の馬の大きなブロンズ像が置かれているところが確認できるけれど、上から撮った写真でもあり、拡大しても馬の像までは見分けることは出来ない。
写真提供:北海道CMC㈱
2006年04月25日
「地下鉄車両基地」
南郷通の地下鉄「大谷地駅」の近くを「三里川」が流れていて、この川に沿って大きな建物がある。これが札幌市交通局高速電車東車両基地で、この工場で地下鉄の車両の整備や修理を行っている。この工場に入ってみて、その空間の大きさに驚いた。
札幌市には地下鉄の車両基地が南、西、東と3つあり、大谷地の車両基地が一番大きい。写真に示すように、この大きな車両基地の工場内に地下鉄の車両を本線から引き込んで作業を行っている。工場の大きさは、長さ250m、幅40m、高さ20mだそうで、幅は翼が入りきらない点に目をつぶれば、ジャンボ機3機分が入る広さである。写真に写っているのは8000型車両と呼ばれているもので、以前のものは6000形と呼ばれている。
地下鉄の車両は乗るだけであまり気にも留めていなかったけれど、モータを回す電流を南北線では車両の下部から700Vを、東西線、東豊線ではパンタグラフにより1500Vを取り込む構造になっているとのことである。従って、事故が起こった時は南北線では全区間の車両を止めなければならないのに対して、東西線では事故にあった車両のパンタグラフを架線から離して、その車両だけを止めて対処できる。ただし、パンタグラフの分だけトンネルを大きく造る必要があり、建設コストがかかる。説明を受けると、何気なく乗っている地下鉄にも色々事情があるのが分かってくる。
当然ながら本線からこの車両基地への引き込み線がある。試験運転をしていた車両に乗せてもらい、本線の近くまで行く途中で写真を撮ったけれど、写真にしてしまえばトンネルの中が写っているだけである。しかし、大都会の地上と地下をつなぐ、一般人には知られていない空間と見れば、秘境の空間と言える。
2006年04月23日
「峠のワイナリー」
札幌にワイナリーがあると聞いて秘境候補になりそうだと訪ねてみた。西区福井から盤渓に入り、盤渓小学校の横から宮の森に向かって盤渓峠の少し手前に写真の「峠のワイナリー」がある。道路脇に車を止めて様子を伺うと、雪解け水が流れる中で作業中の年配者が近づいて来くる。これがワイナリーのオーナーのT氏である。
T氏は北海道経済産業局に勤務していた頃から地場産業の育成に関わっていて、退職後自らワイナリーの経営に乗り出し、葡萄栽培からワイン造り、販売まで行っている。峠のワイナリーは通称であり、「フィールドテクノロジー研究室」が正式の名前である。あくまでも物造りの研究や実験に軸足を置いて、その成果物としてのワインを販売ルートに乗せている。
お互い何かの委員会で一緒だった程度の知り合いである。そんな関係で、T氏に写真に写っているビニールで覆われたテラスに招き入れていただいてコーヒーをご馳走になる。テラスから見える葡萄畑には未だ雪があって、葡萄の木が緑になるのは未だ先のことである。盤渓の山々に緑が戻る頃には、ここは札幌中央区にありながら葡萄畑の景観を楽しめるところだろうと想像できる。屋内には葡萄の苗木も育てられていて、この苗木の供給元が、共通に知っている人である話題なども飛び出して、人脈の秘境部分が顔を出した感じである。
このワイナリーは年間6千本ほどの瓶詰めワインを生産している。写真のようにここでワインを購入することができる。ワインのラベルには酸化防止剤無添加の文字がプリントされていて、こだわりが伝わってくる。ワインにはほとんど知識のない筆者であるけれど、買い求めた札幌産のワインを試してみて、秘境のテステングとダブらせている。
2006年04月22日
「秘境探検と航空写真-モエレ沼公園」
最近の新聞に、山形大学のグループがペルーのナスカ高原で新しい地上絵を発見した記事が出ていた。そこでモエレ沼公園の航空写真を見ていると、ナスカの地上絵の札幌版に近いところもある感じもする。大地をデザインの対象に選んで造った公園なので、天空から見ると地上に人工的な線や面が現れ、その点でナスカの地上絵に通じるものがあるのは当然といえば当然である。
夏場の航空写真で見ると、高さが62メートルしかない人造モエレ山は平地のようである。それもそうで、樹木も無いなだらかな丘を上から見れば平らにしか見えないだろう。むしろ四角錘のプレイマウンテンの方が面の陰影が付いていて山の雰囲気が伝わってくる。惜しむらくは、公園全体が何か具象的な形状を連想させるものであれば・・・もし、飛行機からみると道路、林、山がナスカの地上絵のようにクモだとか鳥だとかになっていたら、この公園はイサム・ノグチの設計に加えて、さらに有名になったかも知れない、と考えるのは素人の思いつきに過ぎないか。
写真提供:北海道CMC㈱
2006年04月20日
「韓国・大田市テクノマート札幌展示館」
札幌秘境の候補の一つとして札幌市エレクトロニクスセンター内の韓国・大田館をレポートしている。国際交流の原則は相互主義で、お互い見合った事をするということがある。札幌市に大田市の常設展示場があれば、大田市に札幌の常設展示が造られている。そして、札幌の大田館が秘境度を増せば、大田の札幌館の秘境度も増す、というのも相互主義のなせる業か。
今回、大田市に出向く機会があったので、そろそろ2年近くになる大田市のテクノマート内にある札幌のIT産業展示場を訪れてみた。テクノマートは大田広域市の儒城区塔立洞にある。大田市のITやバイオ産業育成を目的とした「先端産業振興財団」が運営に当たっている。丁度札幌市の「さっぽろ産業振興財団」に対応する組織である。
一階にある札幌館を覗いてみると、開設されて以来手が加えられておらず、懐かしい展示パネルが目に入ってくる。ここに札幌のIT産業を紹介する展示場がひっそりとあることを知っている大田市民はほとんどいないのではなかろうか。ましてや、札幌市民の何人がこの展示場を目にしただろうか。ここは大田市にある札幌の秘境と言える。
写真のパネルには札幌情報産業史の説明があって「北海道マイクロコンピュータ」時代の写真が印刷されている。その写真には筆者も写っている。札幌IT産業に関わっている人もほとんど目にしたことのない写真が、遠く大田市に飾られているのは、歴史の秘境に入って行く感じである。
テクノマートの建物の二階には、札幌が本家の「BizCafe」が作られている。ここも雰囲気は約2年前の開設時とほとんど変わっていない。開設時のセレモニーに出席した折に寄贈した筆者の「魚眼で覗いた海外お国事情」の一冊が写真のように同じ書棚に同じようにあったのには少なからず驚いた。何かそこだけ時間が止まっている感じもした。
2006年04月17日
「秘境探検と航空写真-前田森林公園」
この秘境探検は雪の季節に始まっている。夏に賑わう場所でも冬は雪に覆われて、大抵は秘境化している。これは秘境の候補を増やすのには都合がよい。しかし、夏には様相が大きく変わってしまうと、冬の写真だけではその場所の間違った印象を与えかねない。こんな状況で、夏に撮影された航空写真は、この印象の偏見を是正するのに役立つ。
3月25日付けで掲載した「前田森林公園」も、春先の現地は雪原が広がっているだけで、雪の下がどうなっているのか分からない。そこで、この公園の夏の航空写真を北海道CMC㈱から提供してもらったものを載せておく。この写真には並木に挟まれた600mのカナール(運河)がはっきり写っている。
このぐらいの大きさの公園であれば、2万5千分の一程度の地図で、公園内の道路や施設を確認できる。しかし、航空写真では樹木や水、道路を写真として見ることができるので、地図から実際の景観がどうなっているのか想像するまでもなく、縮尺された景観を目の前にして確かめることができる。これは冬と夏の景観の差を比べるような場合には威力のある手段となる。
それにしても、冬には雪景色一色の白い大地が、夏にはこんなに緑が豊かになるのとは、北の大地で演じられる自然の仮面劇のようである。
(海外でもこの種の仕事ができるかと、ソウルでこの原稿投稿しています。)
写真提供:北海道CNC㈱
2006年04月16日
「大乗院」
宮の森から盤渓峠を越えて盤渓に通じる道筋にこの禅宗のお寺がある。山道で辺りに建物がないところに、忽然とこのきらびやかな寺院が現れるので、秘境の候補になるかと立ち寄ってみる。不動明王、小坊主、狸、観音とバライアティに富んだ像が置かれている。笠を被って酒瓶を持った狸の大きな置物が、どうしてお寺の門前にあるのか解せない。色んな像が混在すると、全体がキッチュな感じがする。
境内には世界一という写真に示す大鏧(だいきん)がある。鏧とは、僧侶が手に持って鳴らすお椀状のカネを大きくしたものである。世界一というだけあって、直径2.4m、高さ2.1m、重さ3tもある。錫と銅に金銀を混ぜて鋳造している。この鏧は時を知らせるものでないので、この境内を訪れた人が自由に鳴らすことができる。そこで、実際大きなつき棒で大鏧を鳴らしてみる。大きな音がして、金属の塊の振動が収まるまで時間がかかる。一分三十秒は振動し続けると説明に書かれていた。
写真には狛犬と観音が写っていて、狛犬なら神社の雰囲気なのだが、薬王寺と国安寺の二寺が大乗院でまとめられてここにあるのだそうで、やはりお寺である。写真の建物はペットの納骨堂である。心優しい飼い主に看取られたペットは、納骨の場所も与えられる時代である。ペットの納骨堂があれば当然ながら人のお墓もあって、寺院の屋内に外気に晒されない墓が並んでいた。室内でも、通常の形の墓であるところが妙な感じである。
春先だったので、寺の周囲の木立に緑はなかった。お寺の関係者の話では、緑の季節には、この辺りの景色はなかなかなものだそうである。夏には辺りの山々が濃い緑で覆われ、マイカー族ばかりではなく、ハイカーにも人気のある山道なのだろう。
2006年04月15日
「盤渓小学校」
札幌市街から見ると三角山、円山、藻岩山の裏側を通過して西区福井から南区北の沢に抜ける一本道がある。途中この道から中央区宮の森方面につながる道の分岐点があって、そこにこの小学校がある。札幌市中央区にある市立小学校と聞くと、街の真ん中にある小学校をイメージするかもしれないけれど、ここは札幌の市街地から一山越えた、山間部にある小学校なのである。
大都会札幌で自然に囲まれ、自然を教材に生かすということで知る人ぞ知る小学校である。したがって、秘境には当てはまらないと思ったが、場所が場所なので探検に行ってみた。写真のように、大きくはないけれど、新しそうな校舎である。かなり以前にはもっと田舎の校舎風であったような記憶があるのだけれど、記憶ははっきりしない。
外観のみではなく、校舎内も見学したくなったので、突然見学を申し出る。学校側もとまどったように見え、取材内容をブログにアップする前か後で知らせてほしいとのことである。知らせますとは答えたものの、後で気がつくと校長先生や対応された先生からも名刺をもらっていないので、メールでの連絡ができない。この状況を言い訳的に書いておいて、この小学校について取材した要点を書いておく。
この小学校の歴史は古く、明治45年(1912年)に琴似尋常小学校付属盤の沢特別教授場として発足しているので、今年で96年の歴史がある。全校生114名で、教職員18名、1学年20名の規模である。生徒は地下鉄、バスを乗り継いで通っている。どうして札幌全域からの生徒が通えるのかというと、特認校で通常の校区外からの生徒を集めることができるためである。
ここは自然と接する機会が市街の学校よりは格段に多いとみた。市街の学校の周りなら、4月の中旬ともなれば雪は既に消えているだろうに、写真のように校舎の内から外をみると雪がまだ残っている。今日は雪滑りをやるのだ、と案内してくれた先生がチラッと言っていたので、この環境なら外での学習や遊びには事欠かないだろうと思えた。大都会の小学校という範疇で言えば、ここはやはり秘境の小学校かも知れない。
2006年04月14日
「秘境探検と航空写真-札幌ドーム」
札幌ドームは周囲をうろうろして、雪に閉ざされたドーム周囲の写真を撮っただけである。ここはひとつドーム全体と、その周辺がどのようになっているか見てみたい。そこで航空写真となるのだが、空から見るドームは現代の前円後円墳とでも表現したくなる。
それにしても巨大な建築物で、その大きさは同じ写真に写っている民家との比較で明らかである。冬季にはドームが雪山かと錯覚するのも、この大きさでは納得する。秘境探検のつもりで、ドームを取り囲む周囲の道路を半周以上は歩いている。写真に写っている道路と地図とを見比べて、道路名を確認している。
写真の左上から右下に斜めの線で写っている道路が国道36号線である。これは千歳・苫小牧方面に通じる交通の大動脈である。この通りからドームの写真を写している。これに垂直な左側の道路が福住・桑園通で、ここも歩いた。写真で手前にある少しカーブしながら右下に抜けているのが羊ヶ丘通となる。羊ヶ丘通の写真の下側が羊ヶ丘となり、写っている並木の方向を辿ると、観光スポットの羊ヶ丘展望台があり、ここからドームを遠望することができる。
写真提供 北海道CMC㈱
2006年04月13日
「農試公園・ツインキャップ」
西区八軒を流れる琴似発寒川に沿って農試公園がある。この公園に隣接して公務員の団地があり、かってこの団地に住んでいたことがある。もう二十年以上も前に住んでいたところがどのようになっているか、特に農試公園がどのように変わっているのか、あるいは秘境でもあろうかと訪ねてみた。
公務員宿舎は以前より棟が増え、より大きな団地となっていた。毎朝ランニングをした農試公園の最大の変貌は、写真の丸帽子をかぶったような建物のツインキャップの出現である。確かここら辺は原っぱだったような記憶があり、その先に税務大学校があった。この学校は現在でも健在である。
さて、件の建物は一体何であるかと中を覗いてみて、写真のように年配者が室内ゲートボール場で遊び興じている様子を目にして、脈絡もなくある話を思い出した。ワシントン・アービングの「リップ・ヴァン・ウィンクル」の寓話である。
樵のウインクルが口やかましい奥さんから逃れるように山の中に入って行くと、不思議な老人達が九柱戯(ボーリングのような遊び)に興じている。それを見るうちに眠くなって、目を覚ますと二十年が経っていて妻も死んでしまっていた、というアメリカ版浦島太郎の物語である。二十年以上経って農試公園を訪れると、予期もしていなかったことにUFOみたいな建物中で年配者達がゲートボールをしているのに出くわした筆者は、自分がウィンクルになったような錯覚を覚えた。
話はこれだけで、ここが秘境かというと全然秘境ではないだろう。ただ、筆者の前記の錯覚が、ここを秘境と感じさせている。
2006年04月12日
「秘境探検と航空写真-その2」
先にウッドサークルの検証(木が円形に植わっているか)において、航空写真の威力が大きい点を述べた。今回は、逆に、人工の構造物を航空写真で見つけようとする場合の弱点について述べる。
伏見稲荷神社の境内の、並んだ鳥居を写真に撮った例をブログに載せておいた(3月19日付け)。この鳥居は航空写真でどのようにみえるか、北海道CMC㈱に依頼して伏見稲荷神社のあたりを切り出してもらった。写真に示すものがその航空写真である。この写真にはわずかに神社の本殿の赤い屋根が写っているけれど、鳥居の方は葉の茂った樹木で隠され、航空写真では見ることが出来なくなっている。鳥居が並んだ状態が写っているだろうと、最初に予想したことは見事に肩透かしである。夏に撮った航空写真では、沢山の鳥居が並んでいても、一本の鳥居さえ見つけることができない。ただし、鳥居に沿って樹木の並木があるのは確認できる。
この例から、人工の構造物を航空写真で見るのは、木の葉が落ちた季節の方がよい。ただし、札幌のように雪の多い地方では、真冬では逆に雪により構造物が覆われてしまうことになる難点もある。季節毎の航空写真があればこれに越したことはなく、将来的にはデータが蓄積されて、そうなって行くと思われる。
一方、地上での写真は被写体に近づくことが出来るので、秘境の検証と記録の手段としては欠かせない。これに航空写真が補強を加えることができるのは、季節や対象が人工物なのかそうでないのか、対象の大小、樹木の有る無し、などに左右されることになる。航空写真を秘境探検に生かして行くには、いろいろな例を検証して見てのノウハウの蓄積が必要であることが分かってきた。
写真提供 北海道CMC㈱
2006年04月11日
「聖ベネディクト女子修道院」
この修道院は厚別区の「もみじ台通」と「原始林通」の合流点のところで、厚別中学校と斜め向かいに位置してある。もみじ台通の車の往来が頻繁な道路沿いにある、寄宿舎風の何の変哲もない建物なので、道路に面した塀にはめ込まれている写真の修道院のプレートを見逃すと、こんなところに由緒ある女子修道院があるとは気がつかない。
女子修道院なので、外観の写真を撮るだけで、どうせ断られるのが決まっている院内の見学は頼みもしなかった。だから、ある意味この建物内部は筆者にはまったくの秘境である。同修道院はHPを公開しているので、精々インターネットでこの女子修道院の来歴を調べるぐらいが、秘境探検として出来精一杯のところである。
修道院の名前にある聖ベネディクトは、西暦480年に双子の兄妹の兄としてイタリアに生まれている。後にローマとナポリの中間にあるカシノ山に修道院を建てている。聖ベネディクト修道院の流れはドイツからの3名のシスターによりアメリカにもたらされ、さらに共産化された中国から日本に亡命したシスターにより、1950年に日本まで到達する。1952年には東京麻布、続いて北海道の夕張、室蘭、札幌に修道院が設けられている。どうして北海道との縁が深いのかはHPを読んでも分からない。
修道院であるから当然ではあるけれど、修道女は宗教的戒律の元で、規則正しい信仰生活を送っているようである。筆者には続けるのは無理な生活だろう、といわずもがなの感想を述べておく。修道院に入らなくても、仏教のいわゆる在家に相当する制度もあるようで、これを「オブレート」と呼ぶそうである。修道院のHPにはこのオブレートの募集も書かれていたけれど、さてオブレートでも戒律を守った生活は厳しそうである、と信仰心の薄さも手伝って判断している。
2006年04月10日
「石山緑地」
札幌軟石の石切り場を公園にしたこの緑地は、南区石山の国道453号線沿いにある。公園は北ブロックと南ブロックに分かれていて、北ブロックは1993年にオープンしており、札幌軟石の石切り場跡は南ブロックの方にある。緑地といっても、春先には目に入る緑もなく、地表から突き出した岩と石切り場跡の崖、枯れ木、石の造形、そして残雪があるだけである。
ここで切り出される札幌軟石は、支笏火砕流堆積物が岩になったものだそうで、公園はこの堆積物が地上に顔を出しているところを観察できる場所でもある。札幌軟石は市内をはじめ近隣都市の建築物に利用されていて、それらの建築物は現在でも目にすることができる。写真に示すように公園内の造形物にもこの軟石が使われている。
南ブロックの石の造形は彫刻家集団サンク(CINQ)が手がけている。このフランス語と思われる名前から、5名のメンバーによるものと分かる。そのうちの一人の彫刻家は筆者も知っていて、過去に筆者が関係した賞のブロンズ像を制作していただいたことがある。
南ブロックには、写真のように一方に札幌軟石を切り出した跡の崖があり、その周囲に階段状の石のテラスが設けられ、中央に石のアーチが造られている。ここを舞台にしての演劇などが行われていて、その時は岩場を効果的な舞台装置とするためにライトアップして暗闇に浮き立たせている。それが異空間を生み出すだろうことは、白昼においてもこの場所から想像できる。
2006年04月09日
「おいらん渕」
花魁(おいらん)の言葉を聞くと、薄野の花魁道中が最初に連想される。札幌での観光用にと、江戸の吉原で行われていた花魁道中を再現したもので、薄野の夏祭りに行われる。しかし、実際には見たことは無い。豊平川の「おいらん渕」と名づけられた場所はこの花魁に由来する。
明治時代の末に吉原から札幌の薄野に花魁が連れて来られていて、花魁の一人が浮世のつらさに耐えかねて、現在の藻南公園のあたりで豊平川の川幅が狭くなって急流となり渕を作っているところに身を投じた。このことから、ここら辺の流域が「おいらん渕」と呼ばれるようになった、という言い伝えがある。雪が本格的に解けるのは未だ先となる季節で、川の水量もそれほど多くは無い頃にこのおいらん渕に出向いてみる。
定山渓に向かう国道230線から支笏湖に向かう国道453号線に乗り換えるために、川沿付近で豊平川に架かる藻南橋を通ることになる。この橋の両側に、豊平川の下流方向に沿って藻南公園が広がっている。
雪が残っている時期には、付近の住民もあまり公園を利用しないようで、週末この公園に姿があったのは筆者だけである。公園内にはおいらん渕の言い伝えの説明の看板があり、写真の地蔵が雪景色のなかに立っていた。この地蔵は「宝性地蔵尊」と呼ばれていて、件の花魁を供養するために建立されたものである。
豊平川の流れを写真に撮ろうとするのだが、枯れた立ち木が邪魔になり、残雪で足場もよくないため、適当に川面が見えるところを写して見た。このような状況なので、写真に写っているのはおいらん渕の近くではあるけれど、その場所ずばりのところではないだろう。ここら辺の河川敷は行楽シーズンには焼肉パーティがよく行われるらしく、木の幹に焼肉禁止の張り紙が目に付いた。禁止の張り紙にもかかわらず、焼肉をする輩が現れるシーズンには、ここは秘境ではなくなるのだろう。
2006年04月08日
「旧拓銀本店」
現在は北洋銀行大通支店になっているこの建物は1961年に建てられているので、もう45年が経っている。地下2階、地上7階の優雅なこの建築物は年内にも取り壊わされてしまうらしい。それなら秘境として記録しておかねばなるまい、と外観を写真に収めた。当然ながら内部の写真も、と店内の案内係りに許可を求めるとあっさりと断られた。
こうなると行内の知り合いを頼るしかない。肩書きでは同行のきわめて上の知り合いの方に頼んで、客が店内から居なくなった時間に、大名行列よろしく同行の幹部の方々に付き添われて行内撮影となった。地下にある写真の貸金庫の内にも入れていただいて、金庫のぶ厚い扉をカメラに収めて来た。貸金庫を利用する人には見慣れた場所だろうけれど、貸金庫に縁のない著者にとっては大都会の秘境を感じた。
窓口が並ぶところは2階までの吹き抜けとなっていて、大理石を張った大きな柱が天井まで届いている。店内全体が広い空間となっていて、2階から見下ろすと仕事をしている行員が小さく見える。札幌の一等地に贅沢な空間を作り出したものである。この空間が取り壊された後には、20階建ての高層オフィスビルが建つそうで、そのビルにはこの大きな空間は残らないだろう。
取り壊しの時は大理石の板もその他のものも一緒くたに壊されてしまうらしい。柱の大理石の石板一枚を持ち出すのも難しいようだ。これはもったいないが、取り壊し費用を切り詰めるとそのような処置になるらしい。大理石には小さなアンモナイトの化石が見つかっていて、その部分もみせていただいた。この部分ぐらいは切り取って残しておいてもよいだろうに、と思っても著者の希望が通る訳でもない。せめて写真にでも、と撮影したものをここに載せておく。
2006年04月07日
「秘境探検と航空写真」
これは既に秘境100選の掲示板にも投稿しているテーマであるけれど、秘境探検と航空写真(衛星写真)との組み合わせが大きな可能性を含むと考えられるので、ウッドサークルの実例で述べておく。
データ処理やインターネット利用のためのコンピュータが準備されているのは大前提として、現在のところ、秘境探検の必須のアイテムは地図とカメラである。地図がなければ秘境と思われる場所に行きつくことができない。また、現場の写真を撮り読者に状況を伝える必要がある。これまで地図と写真は別物という固定観念が頭にこびりついていて、両方を用意しなければと思っていた。
福本チョコさん(君ではない)が実地で写真を撮って投稿して来たウッドサークルは立ち木が円形に配列されていると文章に書かれている。しかし、写真からだけなら本当にそうかどうか判断できない。そこで航空写真で上空から写した写真があれば、円になっているかどうか判然とする。とこのような考え方の行き着いた先として、西区に本社を構える北海道CMC株式会社に航空写真を見せてもらうためにお邪魔した。
そこで、予期しなかった秘境に出会うことになる。「札幌100秘境選」よりは「札幌IT企業100秘境選」の方が価値のある本を作れそうであるけれど、企業はそれぞれ秘境部分(企業秘密と翻訳してもよい)で成り立っているところがあるので、探検に来ましたといったって見せてもらえるものではない。何が秘境かというと、今回のような注文に応じて、地図と写真が一体化したデータが揃っている秘境部分があるのである。
考えてみると、地図と写真を別々に用意するのは技術が未発達であったためである。コンピュータの中に、例えば札幌の全映像が保存されていて、視点や範囲を指定することによってそれらを取り出せるなら、地図と写真を別々に用意する必要はない。記録されている映像がリアルなものであれば、現地に行く必要もない。コンピュータに向かって秘境探しを行って、画面をみながらレポートを書くとよいことになる。
これは秘境探検のコンセプトを大きく変更するものである。実際は映像データがそこまで完備されている訳ではないので、上記のことは近未来に札幌秘境100選に取り組む人が採用する方法であろう。しかし、今回のウッドサークルを上空からみたら本当に円形になっているのを、現場でなくコンピュータ内部で検証しているので、画像処理や画像計測技術を秘境探検に利用できていることになる。
冬雪に覆われているところは夏にはどのようになっているだろうか、神社の境内に並んだ鳥居は上空からどんな風に見えるのだろうか、巨木は上からみても大きいのだろうか、川の流れの始まりや途中暗渠で消えるところは航空写真から確かめられるのだろうか、消えてしまった建造物は過去の航空写真には写っているだろうか、等々興味のある対象物をコンピュータ内で探していくのは、このプロジェクトを開始した時には考えもしなかった。
インターネットで解像度のよい衛星写真を検索して入手できる時代である。「航空・衛星写真による札幌100秘境選」というテーマだって実現可能の時代に来ている。本プロジェクトはそのはしりに位置しているのかも知れない。
写真提供 北海道CMC㈱
2006年04月06日
「朝日新聞報道」
朝日新聞の道内版の「北海道プロジェクト」の欄に札幌100秘境の記事が掲載されました(4月5日付け)。秘境探検隊長の筆者も写真入りで紹介されています。この新聞記事のコピーをこのブログにUPしておきます。新聞記事には掲示板のURLが記載されており、新聞報道の日に早速掲示板に書き込みがありました。
今回の秘境探検は、筆者は楽しんでやっている部分もあり、それに加えて勉強にもなっています。ネットワークや画像処理・計測技術の進歩と秘境のようなテーマを結びつける仕掛けには、学問的香りもしていて、いろいろアイディアも湧いて来ています。アイディアの段階ですから実現するかどうかは未知数ですが、アイディアが湧く状況は歳をとっても保ちたいものです。
蛇足:一年前、定年退職後はすることが無くて身(頭)を持て余すかと心配な点もあったのですが、結構自分でテーマを設定してやってみると、新しい状況が出てくるものです。団塊の世代が大量に定年退職になるのに合わせて、「定年後に身を持て余さない方法・・・ケーススタディを通した指南書」みたいな本を書くこともできそうです。ただ、これはまったくアイディアで、多くの読者に通用するこの種の指南(書)は至難である点は重々承知しています。
2006年04月05日
「楡影寮碑」
このテーマは秘境というより、記念碑建立にまつわる思い出話といったところである。碑に関する秘境候補は充分出揃うと予想されるので、秘境100選には選外の可能性が大きい。でも折角写真も撮って来たので書いておく。何せ著者の青春の思い出に関わる対象なので。
この碑に関する新聞報道(北海道新聞2003年の9月3日号)を見返してみると、北大の楡影寮の閉寮20周年に合わせて建立した記念碑の除幕式を、この新聞報道の2日後に行っている。この新聞記事に著者が写っているのは、北大に在職中の楡影寮の元寮生が著者しかいないこともあって「北海道大学楡影寮碑建立委員会」の委員長の役が回って来たことによる。役目柄、大学当局への寮碑建立の申請や用地に関する折衝、建築業者や石材の選定、碑文の選定、中村睦男総長に碑銘揮毫の依頼、除幕式の手配等々を一手に引き受けた感じで行った。
記念碑は、現在は北大のパワーセンターがある、かって楡影寮があった場所近くに写真のように建立された。日高石に碑文と寮の略年譜が刻まれた黒御影石がはめ込まれている。碑文は元寮生からの応募に元寮生達が修正を加えたもので「ここに僕らの棲み家があった/ここで学んだ 語った 歌った/そして時が流れた/楡影の青春を偲んで/オバンケルの息子たち」とある。この短い碑文をめぐって、メールでの頻繁な議論があったことも思い出である。
碑文にある「オバンケル」は造語でドイツ語の「Onkel」と「おばさん」を合わせた、寮の賄いをやってもらった「おばさん」達の愛称である。当時の学生達の第二外国語はほとんどドイツ語で、これに苦しめられたせいでもないだろうけれど、学生間ではドイツ語の単語は良く使われていた。若き女性は「メッチェン」で、食事となると「エッセン」が合言葉となり、寮歌の歌い出しの合図に「アイン ツバイ ドライ」と大声を張り上げていた。
この寮碑は、冬の雪の多い時は道路沿いにあるため排雪の山に埋もれて見えなくなっている。春先、雪も姿を消しつつあるころ訪れると、3年前と同じ姿で立っていた。ただ、寮碑の背景になっていた白樺の木立が、2年前の風台風でなぎ倒されていて、淋しい春先の風景であった。
2006年04月04日
「北大遺跡保存庭園」
北大構内に、北海道開拓のはるか以前の先住民族の遺跡が保存されている、と何となく話しに聞いていた。ここは秘境の候補地であろうと、構内に新入生の姿も目にしない4月の初めに行ってみることにする。
昔の恵迪寮(現在は野球場)の裏側、現在のホッケー場と北18条を通るエルムトンネルに挟まれた位置関係でこの庭園がある。この庭園を突き抜けるようにしてサクシュコトニ川が流れている。この川は地図から推定するに、途中暗渠になって琴似川につながっているようである。
庭園の入り口には、写真のように丸太に看板が取り付けられていて場所は特定できる。しかし、春先なので、残雪があり雪解けの水溜りも顔を出している地面に、緑の戻らない木々が立っている。枯れ木のカラスが妙にやかましく鳴いて、殺伐とした風景である。足掛け二年前になる風台風でなぎ倒された大木の根が地表に出ていて、大学の構内という感じからほど遠い。
庭園の案内板の説明によると、サクシュコトニ川を中心に、その両側に古代の竪穴住居が多数残っていたのが、ほとんど埋まってしまい、現在遺跡保存庭園としているところにくぼみが三十箇所ほど残っているとの事である。奈良時代末から平安時代にかけてという年代測定もなされている。
この残雪ではそのくぼみを探しても無理と判断して、泥濘に足をとられる危険は避け、入り口で庭園を眺めるだけにした。秘境探検も腰がすわっていないと言われるとそうかも知れない。もう少し日にちが経てば、このあたりも春の息吹で草木の色も賑やかになるだろうと予想しながら、秘境探検は切り上げた。
2006年04月03日
「パンダの棲む街」
秘境探検もちょっと視点を変えて息抜きです。札幌市内にパンダの棲む場所があるなら、これは秘境に違いないと考えました。そこで、札幌市内でパンダを探してみると、あちらこちらにパンダを発見します。本格的に調査するとその種類と頭数は増えると思います。札幌に棲んでいるパンダを絶滅はさせたくないと思っていて、今回はパンダ生息調査のレポートです。蛇足ながら著者は「CSパンダの会」の会長でもあり、この会のHPに「街の中のパンダ」という文章を寄稿していますので、気が向いたら読んでみてください(http://www.bug.co.jp/panda/)。
写真のパンダは、札幌ドームの近くで群れをつくっています。同じ種類のものは地下鉄東西線新札幌駅の交番近くの駐車場にも居ました。これらのパンダが何をしているかはご想像にお任せします。この種のパンダは役目柄、冬期間だけ姿を現すはずです。
同じく地下鉄新札幌駅近くの駐車場の柱にもパンダが取り付いて縄跳びをしていました。ここに何でパンダが居なければならないかは分かりません。動物園の駐車場なら分かるのですが・・・
写真は地下街を歩いていて出くわした、起き上がり小法師のパンダです。「10万曲云々」と書かれていましたので、このパンダは音楽に関するビジネスの宣伝のアルバイトをしているようです。何気なく撮った写真ですが、よく見ると、著者が秘境と並行して追い求めているテーマに関するものがごく小さく写っているのには驚きました。
その他、地下鉄大通駅のコンコースには、黒色が赤色に変異した変わり種のパンダも居ます。皆さんも探して見て、パンダを発見したらご一報ください。
2006年04月02日
「札幌飛行場正門跡」
北大第二農場の北の境界は宮の森北24条通である。この通りに沿って北大の外国人研究者宿泊施設があって、この施設に外国からの研究者の入居を世話したこともある。そんな関係で、この通りを通っているのだが、標記の跡が残っているとは今まで気がつかなかった。この通りの西9丁目には、写真のようなコンクリートの門柱が2つあって、その一つには確かに「札幌飛行場」のプレートがはめ込まれている。ここはかって飛行場があった場所なのである。
北区役所が設置した飛行場跡の説明の表示板があって、それによると、大正15年(1926年)旧北海タイムス社が報道用のため北24条以北を滑走路として使用し、昭和8年(1933年)に逓信省がこれを含めて拡張し、昭和20年(1945年)終戦とともに閉鎖されたとある。歩道には写真のようなプロペラ機や複葉機の絵が描かれていて、ここが飛行機に関係した場所であることを足元から伝えようとしている。
この絵にもある「風雪」碑は、写真にも写っているように、門柱の間に置かれたプロペラにパイロットの顔を埋め込んだ彫刻である。彫刻は坂担道氏によるもので、彫刻の裏面には「大空に憧れ、空高く飛んだ、父も兄も弟も、遠い思い出になって消えてしまうだろう。」の文章が刻まれている。どういう状況の、どんな思いを込めた文章なのか知る由もないけれど、飛行場が無くなり、大空を飛んだ往時の飛行機の雄姿の記憶が人々から消えてしまったことは確かである。
この場所の近くに札幌北高があって、同校の生徒達はこの正門跡の傍を行き来していたはずである。かなり以前にその生徒の一人であったわが娘に、この正門跡の記憶があるかと尋ねると、知らないというのが答えだった。史跡は気に留められることの少ない存在である。
2006年04月01日
「ちえりあ最上階」
公共施設の正式名は、名前が長くかつ硬いので愛称をつけるのがはやっているようだ。北海道立総合体育センターは「きたえーる」で「鍛える」を意味し、札幌市スポーツ交流施設「つどーむ」は「集う」から来ているのだろう。北海道立道民活動センターの「かでる2・7」は北海道の方言「かでる」(加える)を知らないと意味不明である。
さて、札幌市生涯学習総合センターの「ちえりあ」は「知恵」から発音を取っているようにも思えるけれど、実際のところ何を意味しているのか分からない。この施設は西区の宮の沢1条1丁目にあり、地下鉄東西線の始(終)点駅「宮の沢」から途中スーパーの「西友」を挟んでつながっていて、都心からは離れているけれど交通の便は良い。
「ちえりあ」は四つの施設、生涯学習センター、青少年センター、教育センター、リオサイクルプラザが集まった施設であり、それなりに利用されている感じがする。したがって、秘境と言うほどの空間はないのだが、最上階(6階)に広がるテラスから西区の街並みと手稲山が見られる場所が、ちょっと息抜きをするには格好の秘境的穴場である。
写真はこのテラスから西の方を望んだもので、雪の残る手稲山と「CHOCOLATE FACTORY」の看板が写っている。写真のチョコレート(菓子)工場と店の横には、この企業がスポンサーになっているサッカーの「コンサドーレ札幌」の練習場がある。南の方角には水産加工場の看板が見えて、写真に撮るとキャラクターの「丸ちゃん」顔が迫って見え、面白い。「ちえりあ」の建物は6階まで吹き抜けの贅沢な作りとなっているので、6階から1階までを見下ろすこともでき、最上階から見下ろすと吹き抜けのある豪華ホテルのような感じがする。