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2006年04月05日

「楡影寮碑」

 このテーマは秘境というより、記念碑建立にまつわる思い出話といったところである。碑に関する秘境候補は充分出揃うと予想されるので、秘境100選には選外の可能性が大きい。でも折角写真も撮って来たので書いておく。何せ著者の青春の思い出に関わる対象なので。

 この碑に関する新聞報道(北海道新聞2003年の9月3日号)を見返してみると、北大の楡影寮の閉寮20周年に合わせて建立した記念碑の除幕式を、この新聞報道の2日後に行っている。この新聞記事に著者が写っているのは、北大に在職中の楡影寮の元寮生が著者しかいないこともあって「北海道大学楡影寮碑建立委員会」の委員長の役が回って来たことによる。役目柄、大学当局への寮碑建立の申請や用地に関する折衝、建築業者や石材の選定、碑文の選定、中村睦男総長に碑銘揮毫の依頼、除幕式の手配等々を一手に引き受けた感じで行った。

楡影寮記念碑(道新03-9-3)A.jpg

 記念碑は、現在は北大のパワーセンターがある、かって楡影寮があった場所近くに写真のように建立された。日高石に碑文と寮の略年譜が刻まれた黒御影石がはめ込まれている。碑文は元寮生からの応募に元寮生達が修正を加えたもので「ここに僕らの棲み家があった/ここで学んだ 語った 歌った/そして時が流れた/楡影の青春を偲んで/オバンケルの息子たち」とある。この短い碑文をめぐって、メールでの頻繁な議論があったことも思い出である。

 碑文にある「オバンケル」は造語でドイツ語の「Onkel」と「おばさん」を合わせた、寮の賄いをやってもらった「おばさん」達の愛称である。当時の学生達の第二外国語はほとんどドイツ語で、これに苦しめられたせいでもないだろうけれど、学生間ではドイツ語の単語は良く使われていた。若き女性は「メッチェン」で、食事となると「エッセン」が合言葉となり、寮歌の歌い出しの合図に「アイン ツバイ ドライ」と大声を張り上げていた。

 この寮碑は、冬の雪の多い時は道路沿いにあるため排雪の山に埋もれて見えなくなっている。春先、雪も姿を消しつつあるころ訪れると、3年前と同じ姿で立っていた。ただ、寮碑の背景になっていた白樺の木立が、2年前の風台風でなぎ倒されていて、淋しい春先の風景であった。  

楡影寮碑1A.jpg

投稿者 esra : 2006年04月05日 02:24

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