2006年04月09日
「おいらん渕」
花魁(おいらん)の言葉を聞くと、薄野の花魁道中が最初に連想される。札幌での観光用にと、江戸の吉原で行われていた花魁道中を再現したもので、薄野の夏祭りに行われる。しかし、実際には見たことは無い。豊平川の「おいらん渕」と名づけられた場所はこの花魁に由来する。
明治時代の末に吉原から札幌の薄野に花魁が連れて来られていて、花魁の一人が浮世のつらさに耐えかねて、現在の藻南公園のあたりで豊平川の川幅が狭くなって急流となり渕を作っているところに身を投じた。このことから、ここら辺の流域が「おいらん渕」と呼ばれるようになった、という言い伝えがある。雪が本格的に解けるのは未だ先となる季節で、川の水量もそれほど多くは無い頃にこのおいらん渕に出向いてみる。
定山渓に向かう国道230線から支笏湖に向かう国道453号線に乗り換えるために、川沿付近で豊平川に架かる藻南橋を通ることになる。この橋の両側に、豊平川の下流方向に沿って藻南公園が広がっている。
雪が残っている時期には、付近の住民もあまり公園を利用しないようで、週末この公園に姿があったのは筆者だけである。公園内にはおいらん渕の言い伝えの説明の看板があり、写真の地蔵が雪景色のなかに立っていた。この地蔵は「宝性地蔵尊」と呼ばれていて、件の花魁を供養するために建立されたものである。
豊平川の流れを写真に撮ろうとするのだが、枯れた立ち木が邪魔になり、残雪で足場もよくないため、適当に川面が見えるところを写して見た。このような状況なので、写真に写っているのはおいらん渕の近くではあるけれど、その場所ずばりのところではないだろう。ここら辺の河川敷は行楽シーズンには焼肉パーティがよく行われるらしく、木の幹に焼肉禁止の張り紙が目に付いた。禁止の張り紙にもかかわらず、焼肉をする輩が現れるシーズンには、ここは秘境ではなくなるのだろう。
投稿者 esra : 2006年04月09日 01:24