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2006年06月29日
北大構内貯炭場の思い出
28日(水)にNHKの札幌秘境のTV録画撮りで、北大構内のかっての貯炭場への引き込み線跡を訪れ、北大から借りた構内を走るSLの雄姿の写真などを示しての取材でした。この写真で昔を思い出したので、2年前に出版した拙著の文章の抜粋と合わせてブログにアップしておきます(写真を調達してこられたのはNHKの河村ディレクターで写真を手に持っているのは磯野キャスターです)。
薄れかけて行く記憶の中で、楡影寮での生活が昔見た映画のシーンのように思い出されることがある。北大の冬場の暖房が石炭に頼っていた頃に楡影寮に住んでいて、工学部と楡影寮の間ぐらいに位置し、寮からすぐ近くに見えた貯炭場もそのシーンの一つとして甦る。
当時、北大の構内に引き込み線があって、冬が近づくとこの引き込み線を利用して機関車に引っ張られた貨物車で石炭が貯炭場に運ばれる。この貯炭場の石炭が北大内の石炭を焚く部署に配給され、石炭ストーブが暖房であった楡影寮にも配られていた。しかし、石炭はいつも足りなくなり、引き込み線の上にこぼれている石炭をバケツに拾って補充した事も記憶にある。
しかし、そんな事で石炭の補充がすまない状況で、目の前に黒々とした石炭の山を見れば次の行動は決まってくる。真夜中にバケツを片手に貯炭場に向かうのである。こんな不貞の輩から石炭を守るために、貯炭状の周囲は鉄条網が張られて、高い櫓の上に監視員がサーチライトもどきの電灯で夜通し監視を行っていた。この監視の目を盗んで、腹這いになりながら鉄条網をくぐっていく情景は、実際に体験したことより、何かの戦争映画のシーンを見て記憶に残っているのだ、と錯覚しそうになる。
(「魚眼で覗いたサッポロバレーと北大・青木研究室」(青木由直著、共同文化社、2004)より)
2006年06月26日
「札幌村郷土記念館」
今は流れを見ることが出来ない「創成川」は、札幌開拓の基礎を築いた大友亀太郎が、豊平川からの水を導いて伏古川につなげた大友掘の途中の川として造られた。その由来から、創成川の岸辺には亀太郎の坐像が設置されていた。現在、この創成川の部分は地下歩道新設のため、それまで創成川沿いに置かれていた亀太郎の像をどこに移すかが問題になっている、との新聞報道があった。
話は飛んで、東区北13条東16丁目に「玉葱記念碑」があるというので出かけてみる。この記念碑は「札幌村郷土記念館」の敷地内にある。同じ敷地内に武士姿の像がある。これが前述の大友亀太郎である。この記念館のある場所は、大友亀太郎役宅跡でまさに適所に像が移されたものである。亀太郎の時代にはここは札幌(元)村であって、現在も元町の名前で呼ばれる地域である。
無料で入れる記念館の内部は、亀太郎に関する資料と札幌開拓時代の農機具、民具、生活用品などが展示されている。ご多分に漏れずこの種の記念館への来館者が居ないなか、1階と2階の秘境感のある陳列室を見て回る。昔なつかしい用具などに目を留めて、写真を撮る。帰りがけに受付の人に大友亀太郎やこの地で盛んであった玉葱栽培の話などを聞いて、札幌開拓の歴史部分にふれる。
その話から推測するに、亀太郎は幕府から札幌開拓の仕事を頼まれ、順調に行けばこの記念館のあるあたりがその後の札幌市の中心になったのであろう。しかし、明治の新政府が出来て開拓使が置かれ、新しい体制の開拓が軌道に乗ると亀太郎の考えと相容れなくなって、亀太郎は北海道を去ることになる。1922年に市制が施行されて札幌市が誕生した時には、札幌市の中心はこの東区の亀太郎の役宅から現在の市庁舎付近に移っている。先人の夢が、遅れて来て権力のある方につぶされる例はよくあることである。
2006年06月25日
秘境俳句行-3
俳句は画像のファイル名にしています。写真の対象に関する最小の感想を画像データにつけて残しておけます。写真集を出すときに生きます。
住民に 守られて来て 古(ふる)社(やしろ)
街中に 取り残されて 異空間
大社とは かくの如きと 濃き緑
2006年06月23日
秘境俳句行-2
ススキノの 看板嬢が 目覚めおり
温室を 出されたように つつじ咲き
霊園は あそこなりかと モアイ像
2006年06月21日
朝日新聞記事
北洋大通支店での札幌秘境100選の写真展が朝日新聞の20日の道内版で紹介されました。この記事をアップしておきます。
2006年06月20日
狛犬俳句点描
秘境探検で、神社の境内に狛犬を見ます。狛犬の写真に俳句をつけておきます。
狛犬に 子犬のありて 上山鼻
阿の声の 聞こえそうなり 雪の三吉
大杉を 背にし大社の 威を示し
2006年06月19日
「ベニバナトチニキの並木」
中央区北4条西19丁目に龍谷学園高校があって、この校舎にぶつかって行き止まりになる西20丁目から21丁目にかけての道の両側にベニバナトチノキの並木がある。6月中旬の北海道神宮の例大祭が終わった週末この並木を見に行く。
ベニバナトチノキはヨーロッパが原産地のセイヨウトチノキ(マロニエ)とアメリカを原産地とするアカバナトチノキを交配させて出来たもので、マロニエが白い花であるところ、エニバナトチノキは名前の通り赤い花をつける。花はローソクのように上空に向かって伸び、濃い緑の葉をバックに目立つ色である。木の傍らにまだ撤去されていない「北海道新宮例大祭」の旗があって、ベニバナトチノキと例大祭は同じ季節の札幌の風物詩となっている。
ただ、この並木を訪れた時は花の盛りを過ぎていたようで、写真のように道路を散った花びらが覆っていて、近くの住人とおぼしき人が花びらをかき集めて掃除をしていた。赤い花びらが道路を埋め尽くしているのは風情があるのだか、都会の道路であることもあって、花びらや落ち葉の処理には気を使うようである。気の使い過ぎで、落ち葉の落ちるのを極力抑えようと、坊主頭のように枝を刈り込んだ街路樹を見ることがあるが、その惨めな姿をみると、そこまでしなくてもと感じることがある。この並木のベニバナトチノキは都市型剪定から免れているようで、毎年花をつけて市民を楽しませてくれている。
2006年06月18日
「Oh!さっぽろ」の記事
北海道新聞の読者でない方も居られると思いますので、6月16日の「Oh!さっぽろ」に掲載された「札幌秘境100選」の紙面をアップしておきます。
2006年06月17日
秘境俳句行
秘境探検もお休みなので、秘境俳句行です。
境内に 足跡もなく 雪埋み
ワイン売り 道端ボトル 並びたり
その昔 この家業なり 駄菓子買う
指折れば もう半世紀 過ぎにけり
2006年06月16日
道新「Oh!さっぽろ」記事
本日(6月16日)の北海道新聞の朝刊の「Oh!さっぽろ」の頁に写真にように札幌秘境の記事が掲載されていました。新聞にカラー写真が掲載されると素材(秘境)の迫力が増します。紙面にブログのURLが出ていて、このブログにアクセスされた方が、私以外の投稿者の写真やレポートを見たいということがあろうかと掲示版のURLを改めて書いておきます。
掲示板のURL
http://bbs3.sekkaku.net/bbs/hikyou.html
ブログの管理者がリンクを張ってくれましたので、上記のURLを打ち込まなくても、右側の札幌秘境掲示板の表示をクリックしてもらうと、掲示板に飛びます。
2006年06月15日
庭の花
秘境探検も一段落で、次の出版への階段に進む踊り場にいます。このブログも休止していて、つなぎに庭の花でもアップしておきます。
アキレギア 鷲の爪とは 意外なり
重き花 座れば牡丹 姿に出
除虫菊 花の名知ってか アブ止まり
2006年06月05日
札幌秘境100選について
札幌秘境100選の方針
秘境の選考に当たっては次の三点を条件としました。
(1)意外性…大都会札幌にこんなところがあったのか、という意外性のある場所、建物、物、自然等。
(2)公共性とアクセス可能性…公共的な場所で、一般市民が容易に近づいて見ることのできる対象。原則無料のところ。
(3)考えさせられる対象…どうしてそのような場所や物があるのかを改めて考えてみる契機となるもの。
上記の条件を考慮して、次の十テーマに項目分けを行い、各テーマにつき10秘境、計100秘境を選びました。以下にその秘境を記します。
(1)建物・屋内
(1-1)市庁舎最上階の茶室
(1-2)女神テーミスの顔面レリーフと札幌資料館
(1-3)ポリテクセンター内N30遺跡展示
(1-4)手稲記念館
(1-5)樺太関係資料館
(1-6)道立文書館別館
(1-7)サッポロピリカコタン
(1-8)札幌アートヴィレッジ
(1-9)エルプラザ
(1-10)札幌市北方自然教育園
(2)神社仏閣・教会・碑
(2-1)伏見稲荷神社
(2-2)北海道神宮頓宮
(2-3)日本基督教団札幌協会礼拝堂
(2-4)大乗院
(2-5)陶管の墓
(2-6)新善光寺天然石菩薩像
(2-7)札幌平岸林檎園記念歌碑
(2-8)ビルの歩道の石川啄木像
(2-9)水田発祥の史
(2-10)札幌市道路元標
(3)消えて行くもの・歴史
(3-1)豊羽鉱山(跡)
(3-2)無意根山荘(跡)
(3-3)たまねぎ倉庫群
(3-4)恵迪寮(開拓の村)
(3-5)旧拓銀本店
(3-6)北大遺跡保存庭園
(3-7)eシルクロード・カフェ
(3-8)旧北部軍司令部防空指揮所
(3-9)札幌飛行場正門跡
(3-10)発寒神社境内環状石垣之跡
(4)公園
(4-1)熊の出る宮丘公園
(4-2)冬の百年記念塔
(4-3)開拓の村
(4-4)春先の前田森林公園
(4-5)農試公園ツインキャップ
(4-6)旭山記念公園と札幌焼窯跡
(4-7)あいの里公園のトンネウス沼
(4-8)滝野すずらん丘陵公園
(4-9)清華亭と偕楽園
(4-10)おいらん淵と藻南公園
(5)景観
(5-1)冬の北大第一農場
(5-2)冬の札幌農学校第二農場
(5-3)上山鼻神社と軍艦岬
(5-4)ハイテクヒル真栄
(5-5)冬の札幌競馬場
(5-6)札幌ドーム周辺
(5-7)石山緑地
(5-8)新旧小別沢トンネル
(5-9)彫刻の道
(5-10)力士若勇碑と新川桜並木
(6)山
(6-1)冬のモエレ山
(6-2)札幌台
(6-3)八剣山
(6-4)五天山
(6-5)藻岩山平和塔
(6-6)大倉山シャンツェ
(6-7)排雪の山
(6-8)円山の山頂の「山神」巨大な石碑
(6-9)手稲山冬季オリンピック跡
(6-10)初夏の藤野リュージュ練習場
(7)川・湧き水
(7-1)冬の平和の滝
(7-2)星置の滝
(7-3)アシリベツの滝
(7-4)白石神社の湧き水
(7-5)「ひふみみはなめ」
(7-6)海の無い町「札幌」の漁場
(7-7)大都会の小川-安春川
(7-8)サクシュコトニ川の源
(7-9)拓北ひ門
(7-10)ミュンヘン大橋のバルコニー
(8)動植物
(8-1)ウッドサークル
(8-2)小金湯の桂不動
(8-3)相馬神社のご神木
(8-4)2004年秋の風台風の残痕
(8-5)水芭蕉の群生する星置緑地
(8-6)西岡森林研究所構内えんれい草の群生地
(8-7)熊の出る西野市民の森
(8-8)旧道庁舎池のアオサギ
(8-9)北大構内黒ユリの群生地
(8-10)自生する土アケビ
(9)科学・技術
(9-1)衛星通信地球局
(9-2)NTT洞道
(9-3)都心北口融雪槽
(9-4)BizCafe
(9-5)NHK月寒放送所、中島放送会館跡
(9-6)北海道 民放第一声の地
(9-7)南極犬タロの剥製
(9-8)小麦研究記念碑
(9-9)韓国・大田市テクノマート札幌展示館
(9-10)定山渓ダム資料館
(10)暮らし
(10-1)早朝のすすきの
(10-2)JR札幌駅北口地下歩道
(10-3)北一条地下駐車場歩道
(10-4)長い地下鉄駅連絡通路
(10-5)パンダの棲む街
(10-6)地下鉄東車両基地
(10-7)JR千歳線上野幌駅
(10-8)中国画廊
(10-9)サッポロファクトリーと札幌神社
(10-10)札幌、江別、北広島三市境界点
秘境100に関しては、下記の方々に写真やレポートを寄せていただきました。
青木由直 足立英治 太田明子 柏倉宏聿 境 聡雄 佐藤 博 菅原 肇 遠山 武 鳴海鼓大 早坂 基(石久隈市) 福本義隆 間島幸雄 松浦代志文 松井文也 横内龍三 ㈱北海道CMC(黒田信一、高橋正勝)
札幌秘境100選編集委員長 青木由直
追記1:年内に本にして出版の予定で、それまでに一部秘境の入れ替えの可能性があります。
追記2:秘境の詳しいデータは札幌100秘境の
掲示板
http://bbs3.sekkaku.net/bbs/hikyou.html
ブログ
http://www.choko.sakura.ne.jp/mt_esra/
で閲覧することができます。
2006年06月04日
「札幌市北方自然教育園」
豊平川の下流に向かって左岸に白川地区がある。この地区を通過する道路に面して札幌市北方自然教育園がある。この施設がどのような経緯で出来たのか分からないけれど、1994年に制定されたこの施設に関する条例では、自然観察の場および植物栽培に関する学習の場を提供すること、札幌市立学校に昆虫、植物等の生物を教材として提供し、教職員の研修も兼ねた施設であるらしい。
たまたま通りかかったので寄ってみたけれど、日曜日のせいか施設内は探検隊の他は親子連れが1組いただけで、館内は写真のようにガランとしていた。岩石や化石の展示があり、昆虫の展示が目を引いた。一室は昆虫だけの展示場となっていて、世界各国の珍しい蝶やカブトムシなんかの標本が並んでいた。趣旨は北方の自然教育なのに、熱帯に住む昆虫の標本が部屋を埋めているのが解せなかった。
この施設は他に植物を育てる温室、昆虫などを飼育している昆虫館があり、約5ヘクタールの広い園内には体験農場、自然観察林、水生植物園などがあるとパンフレットに案内が記されてあった。しかし、園内を見学している人もいなかったので、遠くからそれらの場所とおぼしきところを眺めただけである。
園内には電子基準点というのがあって、その施設にはめ込まれたパネルにはGPSと常時交信を行っていると書かれてあった。しかし、詳しい説明はなかったので、具体的に何をするのか良く理解できたとは言い難い。この基準点の設置者は建設省国土地理院となっていたので、国土交通省に統合される前に建てられた施設である。
「初夏の藤野リュージュ練習場」
国道230号線沿いの藤野の焼山方向に札幌市が管理する藤野野外スポーツ交流施設フッズがある。ここは2001年12月に出来ており、約33万m2の山の斜面を含む広大な敷地にスキー場やリュージュの競技場を備えたスポーツ施設である。
特にリュージュの競技施設は国内では長野と藤野しかなく、かつ藤野の施設は一般の人も体験できる施設であるそうだ。リュージュはTVで競技の様子を観戦してはいるけれど、実際のものは見たことがない。氷の壁を作る必要があって、競技前の準備は大変そうだ、程度の認識である。その施設が夏場にはどうなっているのか、この施設に見に行くことにする。
当然ながら施設は山の斜面に作られている。リュージュの競技場はどこかと探しながら、整備された山道を行くと、写真のように生い茂った草に隠れるように競技場入口の看板を見つける。ここが競技のゴール地点になる。ルージュのコースは写真のようにそりが飛び出さないための壁と滑走路の底の部分が続いている。実際の競技時にはここが氷で覆われることになる。
夏場の誰も居ないリュージュのコースの中を歩いて見ると、秘境を感じる。コースの出発点まで歩いて登る気力は無かったので途中から山道に出て、草の緑で覆われた斜面と、斜面の下にフッズの施設とその向こうに230号線沿いの山々を見て、パーキング場まで降りて探検を終了した。
「八剣山」
秘境の候補に八剣山の頂上、という投稿があった。登って見たことのない山で、名前からして凄みがあるので、提案者に写真とレポートをお願いしていた。しかし、それらのデータが届かない。多分、提案者は仕事に追われていて、この山の山頂は簡単に登れるようなところではないらしいことが分かって来た。でも、100秘境の一つに数えていたのを取り消すのも心残りである。
そこで、次の手を考えた。頂上を遠望した写真を撮り、登る代わりに航空写真を利用する。航空写真はこれまでの通り㈱北海道CMCにお願いして写真のように八剣山付近を切り出してもらった。これを地図と比べ合わせると、豊平川の蛇行部分、国道230号線、砥山豊平川沿線が八剣山トンネルとなって山に入って出ている様子が地図と確かに一致している。
地上写真の方は230号線の豊滝付近でわき道に入り、ここから撮影する。写真で頂上を見ると岩肌が現れていて、頂が八個ほど認められる。このことから山の名前が付けられたのであろう。ただし、地図にはこの山は観音岩山となっており、八剣山の名前はカッコつきとなっている。そこら辺の事情については分からない。
地上からの写真と航空写真を比べて、唯一一致する点は頂上が岩場である点である。航空写真では山岳部がほとんど緑で覆われているのに、八剣山の頂上の尾根部分が岩肌になって写っているのが認められる。地上からの写真でも頂上の岩肌がはっきり写っている。地上からの写真と航空写真を照合して、登山した気分の何パーセントかを得ることができた。
「アシリベツの滝」
アシリベツの滝はすずらん丘陵公園の一部に組み込まれている。この滝は厚別川にあり、厚別川は札幌市の南端にある標高1251mの空沼岳にその源がある。すずらん丘陵公園に車で入ると有料で、渓流口のパーキング場に車を留めてここから歩いて滝まで行く。厚別川の渓流に沿って進み、ゆっくり歩いて15分程度で、写真の滝が間近に見えるところに着く。
滝は二つあって、落差30mのメインの滝は水量も十分で、日本の滝百選に選ばれたというのもうなずける。並んである小ぶりの滝は無名の滝だそうである。この時は見物客もチラホラで、新緑を背景にこの滝は札幌の秘境に組み込めるかどうか考えながら記録のための写真を撮ったりした。川を跨いで滝見橋があり、橋の上からの滝と渓流の眺めも良い。
アシリベツの滝はそれなりに名前が通っていて、長く札幌市民であるなら、ここは一度は訪れたことのある場所であろう。その意味では、秘境に入れるにはよく知られた場所であるとは思うけれど、この滝に流れ込む厚別川の清流を上流で見て、この滝を眺め、さらに滝からの清冽な流れる方向を追って、それが南区、清田区、白石区、厚別区、東区を通って豊平川に注ぐ様を想像すると、実際にその流れに沿って歩いた訳ではないけれど、多くの秘境部分があると想像できる。
「長い地下鉄駅連絡通路」
地下鉄の駅間をつなぐ連絡路は商店街となっていて、南北線の大通駅からすすきの駅間のポールタウン、東西線の大通駅から東豊線の大通駅間のオーロラタウンは人の流れが絶えないので、歩いていても距離を感じない。もし、この区間がただの通路ならこれは長い通路と感じるに違いない。それを体験できるところがある。
地下鉄東西線の大通駅の東のはずれからバスセンター前駅の東はずれまでの通路がそれである。写真のようにまっすぐな通路が伸びている。端から端まで歩くと500メートルはあるのではないだろうか。単調な通路を歩くと確かに距離を感じる。通勤でこの通路を毎日利用する人は、この長さの距離を歩きながら何を考えるのだろうか。
日中はそれなりに通行者がいるので距離を感じても、心細さは感じない。しかし、夜人気のない時にこの長い通路を一人で歩くのはちょっと不安になるのではなかろうか。人通りがないと怖い感じがするかもしれない。でもこの通路に、自分以外に人がぽつんと居たらかえって不気味に感じるかも知れない。そのような状況下で歩いて見たことがないのでなんとも言えないけれど。
夜心細ければ、この通路の上の路面を歩いた方がよいとも思えるのだけれど、路面の南大通もこの区間は淋しい通りである。写真は南大通の地下鉄バスセンター前駅への入り口であるけれど、昼間でもこの通りはこんな感じである。
2006年06月03日
「手稲山冬季オリンピック跡」
札幌の名前を世界に広めた第11回オリンピック冬季札幌大会は、1972(昭和47)年2月3日から13日の会期で開催された。この冬季オリンピックが札幌の都市基盤の整備において大きな転換点となったことはよく言及される。この大会で、手稲山はアルペンスキーの会場となり、男女の大回転や回転競技、リュージュ競技などが行われた。このオリンピックの跡が今でも手稲山に残っている。
現在でも聖火台ゲレンデコースと呼ばれているスキー場があり、ゲレンデの頂上には写真の聖火台が残っている。聖火台の柱の部分にはオリンピックの優勝者の名前が掘り込まれている。競技会場はここではないけれど、日の丸飛行隊と呼ばれた笠井、今野、青地がジャンプ(現在のノーマルヒル)でメダルを独占したのもこの大会である。写真の背景には手稲山の頂上が写っていて、6月にはいっても谷間に雪が残っている。観覧車は遊園地のもので、冬はスキーで賑わう手稲山は、夏はゴルフ場や子供達の遊園地になっている。
オリンピックの跡は聖火台スキー場から少し下ったところにあるボブスレーのコースと終点にある、使われていない施設がある。立ち入り禁止の立て札がある場所に残されている写真の廃屋には五輪マークがついていて、ここが冬季オリンピックの名残の場所であることを教えてくれる。ただ、35年も経っているのに、廃屋の姿を晒したままにしている理由が分からない。
手稲山はアイヌ語でタンネウエンシリ(長い断崖)と呼ばれている。遠くからその断崖のような山頂部分を眺めて、春になれば雪が解けたと言い、夏になれば緑が濃くなったと評し、秋には紅葉して来たと話し、冬が近づくと手稲に初冠雪を確かめるこの山は、札幌市民にとっては登らなくても身近な山である。
「トンネウス沼」
トンネウス沼は茨戸川の近くにあり、水路でこの川とつながっている。この水路で茨戸川の調整池の機能を持たせているのであろう。札幌ニュータウンの「あいの里」造成時に作られた「あいの里公園」の中央にある。この沼を取り巻いて野球場、テニスコート、遊具のある遊び場、遊歩道や芝生などがある。
この公園は自然を残すように作られていて、渡り鳥の飛来地でもある。春にはアオサギ等も見ることができる。生憎訪れた時は天候も悪く、写真のように鴨のつがいを見るだけであった。
ここは多種類のトンボの生息地でもある。オニヤンマやギンヤンマの他にアジアイトトンボ、セスジイトトンボ、アオイトトンボなど珍しいトンボをみることができる。なかでも、カラカネイトトンボは体長2.5センチくらいで文字通り唐金色をしているとのことであるが、実際には目にしていないので唐金色がどのような色であるかは説明できない。トンネウス沼も含めた篠路福移湿地にしか生息していなくて、準絶滅危惧種に指定されている。ここはトンボの秘境である。
トンボなので、夏から秋にかけてでなければ写真に収めることが出来ないので、トンネウス沼を秘境100選とする場合には、トンボの写真を加える必要があると思いながら、水面に水草が顔を出しているトンネウス沼の写真だけを撮って今回は探検を終了した。
2006年06月02日
「滝野すずらん丘陵公園」
この公園は札幌市南区滝野にある国営公園である。国営公園とは耳慣れないけれど、日本全国に16の国営公園があって、滝野にあるものは(財)公園緑地管理財団が運営を代行している。この公園を歩いてみて、利用者(客)の数と比較して、お金をかけたものであるな、という印象を持った。国営ならそのような印象を受けるのは当然の成り行きか。
花好きにとっては、入場料を支払って入るカントリーガーデンは垂涎の場所であろう。来園者が少ないお陰で、職員の一人が園内を一周して説明してくれる。この公園の名前に冠されているすずらんは、今年は遅れていて6月の初めにはまだ花をつけていない。花人の隠れ家、花のテラス、峠の庭等々と名前のつけられた場所で花々の説明をたっぷり聞いた。園内の小高いところに天文台もあって、その横を抜け、スロープのある広いローンの上の方にある展望台まで歩く。途中、札幌を囲む山々の眺望が良かったのに、自衛隊の訓練日に当たっていて、空を飛ぶジェット戦闘機の爆音がうるさかった。
展望台は訪れる入園者もおらず、4階建ての立派な建屋は秘境探検隊だけでがらんとしている。最上階は写真にあるように、360度の見ごたえのある景観を眺めることができる。無料の望遠鏡もあり、遠くの滝野霊園内に造られたキッチュなモアイ像の隊列も拡大してみる。しかし、入園者でここまで足を運んでこの施設を利用する人はどのくらいいるのだろうか。週日はここは秘境と化しているようだ。
秘境化が目立つのは写真の子供の谷もそうで、訪れる子供とその親をほとんど見かけない。週日には学校があり、この場所までくる家族が居ないだろうから、人がいないのは当然としても、子供達ではなく各種の施設の方が遊んでいるのは考えさせられる。食堂なども併設されてあったけれど、この入館者の少なさで採算がとれているのだろうか。国営でなかったら撤退しているテーマパークではなかろうか、という感想を持った。
2006年06月01日
「篠路拓北ひ門」
地図で石狩川を見ると、札幌市、石狩市、当別町の境が川の中にある辺りの石狩川は直線状になっていて、その西側に取り残されたように川がある。この取り残された部分は、石狩川の改修工事によるもので、旧石狩川と呼ばれていたものが、その後に石狩放水路から下流部分を真勲別川、上流部分を茨戸(ばらと)川と改称された。ここで茨戸はアイヌ人がこの辺りをバラトと呼んでいたことに由来する。
茨戸川は一方の岸は札幌市の北区篠路町拓北で、茨戸川を跨ぎ石狩市につながる337号線に沿って茨戸川に接するように北海道教育大学の新キャンパスがある。教育大学に面してあいの里の新興住宅街が広がっている。教育大学のキャンパスのはずれから茨戸川の河川敷に出たところに「ひ門」がある。写真に「昭和58年(1983年)しゅん工」と「篠路拓北ひ門」の文字が見える。写っている川は茨戸川である。
ここでひ門とは、河川からの水を取水したり排水したりするため堤防を横断して設けられた水路の門のことである。その外観は写真に写っているようなもので、ひ門の背景の橋は生振(おやふる)大橋である。生振も最初はなんと呼ぶか分からなかったけれど、茨戸川に接した石狩市の花畔(ばんなぐろ)地区の地名も、最初はどう転んでも正しい読みにはたどりつかないだろう。ついでながら花畔はアイヌ語の「パナ・ウン・クル・ヤソッケ(川下人の漁場)」に漢字を当てはめたものと言われている。
このひ門の対岸にはやはりひ門があり、「茨戸上流8線樋門」と地図には記されている。こちらは漢字の「樋門」となっている。どうして漢字のものと平かなの名称が二つ並んであるのか分からない。多分、漢字を平かなに直して使う方針が新しく実施された結果、新しいものはひ門と記されるようになったのか、と推測しているけれど確かなことは分からない。