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2006年06月03日
「手稲山冬季オリンピック跡」
札幌の名前を世界に広めた第11回オリンピック冬季札幌大会は、1972(昭和47)年2月3日から13日の会期で開催された。この冬季オリンピックが札幌の都市基盤の整備において大きな転換点となったことはよく言及される。この大会で、手稲山はアルペンスキーの会場となり、男女の大回転や回転競技、リュージュ競技などが行われた。このオリンピックの跡が今でも手稲山に残っている。
現在でも聖火台ゲレンデコースと呼ばれているスキー場があり、ゲレンデの頂上には写真の聖火台が残っている。聖火台の柱の部分にはオリンピックの優勝者の名前が掘り込まれている。競技会場はここではないけれど、日の丸飛行隊と呼ばれた笠井、今野、青地がジャンプ(現在のノーマルヒル)でメダルを独占したのもこの大会である。写真の背景には手稲山の頂上が写っていて、6月にはいっても谷間に雪が残っている。観覧車は遊園地のもので、冬はスキーで賑わう手稲山は、夏はゴルフ場や子供達の遊園地になっている。
オリンピックの跡は聖火台スキー場から少し下ったところにあるボブスレーのコースと終点にある、使われていない施設がある。立ち入り禁止の立て札がある場所に残されている写真の廃屋には五輪マークがついていて、ここが冬季オリンピックの名残の場所であることを教えてくれる。ただ、35年も経っているのに、廃屋の姿を晒したままにしている理由が分からない。
手稲山はアイヌ語でタンネウエンシリ(長い断崖)と呼ばれている。遠くからその断崖のような山頂部分を眺めて、春になれば雪が解けたと言い、夏になれば緑が濃くなったと評し、秋には紅葉して来たと話し、冬が近づくと手稲に初冠雪を確かめるこの山は、札幌市民にとっては登らなくても身近な山である。
投稿者 esra : 2006年06月03日 11:35
コメント
建物の写真はボブスレーのゴールハウスのように見えますが…。
一時、清水建設が手稲山関係の作業用に使っていたと思いますが、現在の所有者は、となると、さて?
72年のオリンピック本番と前年のプレ・オリンピックでボブスレーの役員として毎朝5時にここに通いました。寒の最中、それも早朝の戸外、相当に寒かった筈ですが、寒さは気になりませんでした。閉幕と同時に、緊張が解けたようで寝込んでしまいました。
手稲山には1956年、テレビ送信所建設のための登山道建設から今週始まったばかりのデジタル放送の立ち上げにまで関わって来たので、思い入れもひとしおです。
手稲山頂から利尻島が見えることを知っている人はいますか?
天売、焼尻は時々見えますが、利尻となるとなかなか見えません。
投稿者 柏倉宏聿 : 2006年06月04日 00:29