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2006年06月01日
「篠路拓北ひ門」
地図で石狩川を見ると、札幌市、石狩市、当別町の境が川の中にある辺りの石狩川は直線状になっていて、その西側に取り残されたように川がある。この取り残された部分は、石狩川の改修工事によるもので、旧石狩川と呼ばれていたものが、その後に石狩放水路から下流部分を真勲別川、上流部分を茨戸(ばらと)川と改称された。ここで茨戸はアイヌ人がこの辺りをバラトと呼んでいたことに由来する。
茨戸川は一方の岸は札幌市の北区篠路町拓北で、茨戸川を跨ぎ石狩市につながる337号線に沿って茨戸川に接するように北海道教育大学の新キャンパスがある。教育大学に面してあいの里の新興住宅街が広がっている。教育大学のキャンパスのはずれから茨戸川の河川敷に出たところに「ひ門」がある。写真に「昭和58年(1983年)しゅん工」と「篠路拓北ひ門」の文字が見える。写っている川は茨戸川である。
ここでひ門とは、河川からの水を取水したり排水したりするため堤防を横断して設けられた水路の門のことである。その外観は写真に写っているようなもので、ひ門の背景の橋は生振(おやふる)大橋である。生振も最初はなんと呼ぶか分からなかったけれど、茨戸川に接した石狩市の花畔(ばんなぐろ)地区の地名も、最初はどう転んでも正しい読みにはたどりつかないだろう。ついでながら花畔はアイヌ語の「パナ・ウン・クル・ヤソッケ(川下人の漁場)」に漢字を当てはめたものと言われている。
このひ門の対岸にはやはりひ門があり、「茨戸上流8線樋門」と地図には記されている。こちらは漢字の「樋門」となっている。どうして漢字のものと平かなの名称が二つ並んであるのか分からない。多分、漢字を平かなに直して使う方針が新しく実施された結果、新しいものはひ門と記されるようになったのか、と推測しているけれど確かなことは分からない。
投稿者 esra : 2006年06月01日 09:17