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2006年07月26日
瀋陽故宮
札幌百秘境とは直接関係ありませんが、瀋陽の故宮での写真をアップしておきます。10年以上も前に瀋陽の故宮をスケッチして、最近出版した「画文集 旅の備忘録」に載せていたので、そのスケッチ部分と本物の故宮を並べて撮った写真です。歴史的な建物なので、10年前と変わってはいませんでした。写真撮影のためスケッチ集を持ってもらったガイド嬢にはこのスケッチ集を進呈しました。このブログはハルピンのホテルで投稿しています。
2006年07月17日
サッポロさとらんどのイトトンボ
東区にあるサッポロさとらんどは、都市と農業の共存を目指して整備された田園テーマパークで、都心からわずか三十分のところに、74haの広大な公園が広がっている。雁来(かりき)新川を挟んで東北側にはモエレ沼公園があり、この公園の人工のモエレ山が近くに見える。
7月の中旬にここを訪れると、ラベンダーの植栽が見事で、園内のあちらこちらに薄紫の花の絨毯を目にすることができる。親子連れが山羊と遊んでいたり、レンタサイクル乗るカップルが居たりで、ここは景観や人工物で秘境のカテゴリーに組み入れるところでも対象ではない。ただ、偶然に目にしたイトトンボで秘境に組み入れようと思いついた。
公園の中心施設の「さとらんどセンター」前のローンのところに「さとの池」の名前のついた小さな池がある。そこに青色に輝くイトトンボが飛んでいる。あいの里公園のトンネウス沼に生息しているレッドデータリスト(準絶滅危惧種)に指定されているという「カラカネイトトンボ」写真を撮ってこの札幌100秘境選に載せたいものだと思っていたので、これは追い求めているイトトンボかと写真を撮ることに専念する。
しかし、常に飛んでいて、止まっても近づくとすぐ飛び去ってしまうイトトンボをカメラに収めるのは難しい。止まっているトンボを遠くから写して、かすかに写っているイトトンボを拡大処理したものが写真のイトトンボである。このような作業にデジカメとパソコンは威力を発揮する。
インターネットで調べて見ると、カラカネイトトンボに似たとんぼにアジアイトトンボ、セスジイトトンボ、アオイトトンボ等があって、写真のイトトンボはアジアイトトンボに一番よく似ている。アジアイトトンボでもトルコブルーのこんなきれいな色のトンボが見られるここは、トンボに関しては秘境の一つだと感じた。
2006年07月15日
「百合が原公園」
札沼線(学園都市線)と旧琴似川に挟まれて、東区と北区の境目にあるこの公園は、1979年に造成が始まり、1986年には「‘86さっぽろ花と緑の博覧会」が催され、その後も整備が続けられて現在に至っている。24ヘクタールという広大な園内にはユリを始めとして各種の花が植栽されて、市民の憩いの場所であると同時に、花好き人の見逃せない観光地でもある。
このような公園であるので、秘境からはほど遠いところなのだけれど、ある対象で秘境の匂いを感じ取った。その対象とは「カラカネイトトンボ」である。札幌市北区には篠路福移湿地が広がっていて、湿地の植物や水生昆虫が多く見られる場所だったのが、近年の開発で湿地が埋め立てられ、これらの植物や昆虫の保護活動が続けられていることをインターネットで知った。
この保護対象の象徴的なものが絶滅危惧種の「カラカネイトトンボ」である。「カラカネイトトンボを守る会」のホームページ等にもこのトンボの写真が出ている。このトンボは秘境のテーマであると、トンボの写真を撮ってみたいものだと思っていた。あいの里公園のトンネウス沼あたりでこのトンボを見かけるとの説明で行ってはみるけれど、ちょっと出かけたぐらいではトンボの写真は撮れない。
こんな状況で7月の中旬百合が原公園内に真っ盛りのユリの花を見に行った。世界の百合広場では各種のユリを無料で見ることができる。ここには有料の日本庭園や札幌の姉妹都市の庭園があり、写真の日本庭園に入って何気なく池を見ると水面にカラカネ色(青銅色)のイトトンボが飛んでいる。
水面をせわしなく飛ぶ小さなイトトンボをカメラに収めるのは至難の業である。それでもどうにか捕らえたイトトンボを拡大したものが写真のものである。この写真からこれが「カラカネイトトンボ」なのかあるいは他のイトトンボなのか判別は不可能である。しかし、百合が原公園に秘境を感じた点は確かである。
2006年07月10日
白石サイクリングロード
白石サイクリングロードは、札幌市部分は厚別区と白石区にまたがる旧国鉄千歳線跡地全長9.5キロメートルを利用した自転車専用道路である。現在はこの自転車専用道路は厚別区から北広島駅までの21 Kmに延びている。さらに北広島市から恵庭市に伸びる計画があると聞いている。
厚別南公園付近から自転車でサイクリングロードに入り、まず北広島市側に向かってみる。途中厚別南緑地を突き抜けるようにして道が続いていて、緑豊かな林の中を通る道で、サイクリングには格好の場所である。当然ながら散策している人も居る。大都会の中にこんな自然の豊かなサイクリングロードが作れるところが札幌の魅力である。
旧国鉄千歳線の跡を利用している関係で、現在のJR千歳線に並行してこのサイクリングロードが走っている部分もあり、JR上野幌駅付近では電車が走って行くのを自転車に乗りながら目にすることができる。上野幌駅は札幌市と北広島市の境界にあって、当然サイクリングロードも両市の境界がある。写真は札幌市側から北広島市側を見た様子で、北広島市の表示があった。ここからは先は取材の対象ではないのでここから引き返したが、時間に余裕のあるとき北広島市の駅まで自転車で走行してみようと思っている。
今度は厚別区から白石区の方に向かうと、都心部に近づくこともあって、自動車道路の下を通るためのトンネルが多くなる。大抵のトンネルは壁に塗料を塗っただけで、大都会のトンネルには落書きがある点で、このサイクリングロードでも例外ではなく、困ったものだと思っていると、旭町トンネルには写真のタイルの装飾が施されていた。
インターネットで調べるとこの装飾は「厚別まちづくり研究会」が共栄小学校父親の会の協力を得て制作したもので、縦2メートル、横11メートルのモザイクタイルアートが2005年の9月に完成している。共栄小学校はこのサイクリングロードに沿って校舎がある。
このタイルアート制作はトンネルの落書き防止にもなるし、子供達の情操教育にも役立つだろうから、このサイクリングロードの全部のトンネルの壁をモザイクタイルアートで埋め尽くすといのはどうだろうか。現在そうなっていないところをみると、予算の問題があって実現出来ていないのだろうか。それなら、サイクリング愛好者や市民に寄付を募れば、予算の問題はクリアできそうに思えるのだが、実際のところの状況はここの住民でないので分からない。
2006年07月08日
俳句建物点描
秘境探検で建物も目につきます。ファイル名の俳句もつけてアップしておきます。
漢方は かくの如しと 蔵の家
門構え 中華料理と 推し量り
この地にも ハリスト教徒 眠りけり
2006年07月06日
「そうせいばし(創成橋)」
この橋は南1条通が創成川を横切るところに造られている。橋のすぐ近くにこの橋のある場所の由来を記した写真の石碑が建っている。碑文によれば、この地は銭函から千歳に抜ける道と藻岩山麓を通り篠路にゆく道路の交差点にあたり、1869年(明治2年)開拓判官島義男が石狩大府の建設をこの地から始めた。島判官のあとを継いだ岩村通俊判官が1871年札幌の町割をこの地から始め、現在の札幌市はこの地を基点として発達したことを伝えるためこの「札幌建設の地」の碑が建てられている。
「そうせいはし」は創成川に架かっているけれど、現在この川は流れてはいない。さらに創成川の下に地下通路の建設が進行中で、かって川水が流れ、見事なしだれ柳のあった河畔の面影はない。ただ、写真のように「そうせいはし」が歩道の一部として欄干が申し訳程度に残されているだけである。
創成川が札幌開拓の基礎を築いた大友亀太郎が開削した大友掘が基になっていることは「札幌村郷土記念館」の項でも述べた。札幌の礎を築いた大友亀太郎と島義男判官、この二人は歴史のある時点で交錯するはずなのだが、そこら辺のことについては調べていないのでよく分からない。
大友は幕府の役人でありながら、幕府から明治新政府に代わる過渡期に、開拓の実績で新政府に用いられ、一方島判官が開拓使の役人として新都建設に乗り込んで来た立場の違いが、二人の間にどんな葛藤をもたらしたのか、伝記小説として読んで見たいものである。島判官も新都建設の理想と現実のギャップを埋めることができず、二年後に判官職を辞することになる。
橋とは関係ないが、写真にほんの少し写っている「秋野総本店薬局」が「そうせいはし」の近くにある。札幌軟石の土蔵を配した二階建のトタン葺屋根の家屋がビルの谷間にあるのは、川のないところに橋の欄干があるのと類似した景観である。
2006年07月04日
テレビ取材考
「札幌秘境100選」プロジェクトのテレビ取材が続きました。昨日(7月3日)NHKの「ほくほくテレビ」が(多分)最後で、テレビ取材の一段落です。各社の取材の印象が薄れないうちに感想を書いておきます。
一番最初に取材を受けたのはUHBの「のりゆきのトークで北海道」で、メディア制作会社(民放では純粋なニュース番組以外はほとんどメディア制作会社が番組内容を請け負って作っています)が取材して、これを編集して放映するのかと思っていました。雪のちらつく豊羽鉱山や無意根山荘まで出向いての取材協力を行いました。これはオーテックの鈴木氏と二人でした。
しかし、これは前述の番組内で、テレビで宣伝してほしいイベント等を視聴者から募って放送するコーナーで、顔見せの部分で30秒の枠内で宣伝内容の紹介を行い、4名の審査員がさらにイベントの内容を紹介する時間を割り当てる、という設定のものです。面白そうなら紹介時間が多くもらえるという競争的な味付けを行っています。
これは生放送でリハーサルもあり、こんな番組であったのは取材後で知ることになるのですが、秘境のブログと掲示板に投稿しませんか、といった宣伝を行う形でテレビ側に協力しました。他のイベント紹介者はテレビ側が紹介者に便宜を図っている構図となっています。テレビ会社が取材者に協力を求めているのか、出演者がテレビ会社に宣伝をお願いする形なのか、お互いの関係がちょっとずれると180度異なる関係となります。
上限2分のところ1分15秒をもらっての宣伝することになりましたが、この時間に納めて話すのは生放送では難しいものがありました。この生放送は3月3日に放送され、番組名になっている佐藤のりゆき氏とは面識があり、番組終了後にちょっと立話をしました。
HTBは朝の番組の「おはよう遠藤商店」で2回取り上げてもらいました。最初この番組名を聞いてスポンサーが遠藤商店なのか、あんまり聞いたことのない店だけれど何を商いにしているのかと思いました。これはキャスター(コメンテータ)が遠藤氏で、その名前から番組名が来ているのを後で知りました。
こちらもメディア制作会社による取材でしたが、二回とも取材の打ち合わせを筆者が韓国にいる時にメールで行っています。この取材は担当の形部氏と女性のアシスタントがペアでビデオを録画していました。秘境探検のヘルメットも被せられて、指示とおりの演出をこなしました。初回は秘境の順番をつけて編集しており、なかなか取材に力の入った内容になっていました。これはメディア制作会社がよい内容のものを制作しないと、次の注文が来なくなるためかな、と思いました。
「遠藤商店」の2回目は本当に人の近づけそうもないところに行く予定を組んで来ましたが、これは警察への問い合わせで、閉鎖されている私有地で熊出没の危険性もあるから、ということで直前に中止となりました。一緒に行くことになっていた、自然秘境志向の探検隊員の面々はがっかりしたでしょうが、私としてはほっとしました。2回目には取材協力のお礼として菓子折りをもらいましたが、取材で筆者を使っているのに結構気を使っているのだと感じました。本来はテレビ局が取材協力者にお礼するところ、番組制作の下請け会社がそれを行っている構図かと思いました。
「遠藤商店」では4月27日に初回が、6月14日に続編がテレビ放送されました。1回目に続く続編が放送されることになったのは、それなりに放送局で評価したからでしょうから、2回ともヘルメットを持って一緒に現れた形部氏と女性アシスタントにとっても仕事になってよかったことだと思っています。
HBCの今年4月から始まった「Hanaテレビ」はその日の出来事のニュース番組の感じです。午前中、「札幌秘境100選」展を行っている北洋銀行大通支店の副支店長を介しての連絡があり、取材の申し込みです。ちょうど都心部の歯医者に居た私の携帯への連絡で、歯医者からHBCの本社に直行して、その場でその日に回れる取材場所が決められ、旧北部軍防空指揮所や新善光寺を回りました。
コーナーキャスター(つまりはテーマごとのアナウンサー)の堀氏に取材中に話を聞いたのですが、今回のようにその日の朝に取材対象を決めて、取材・編集を行って夕方の放送に間に合わせる自転車操業なのだそうです。北洋銀行の写真展の映像も撮影するとのことでしたが、銀行は営業時間(9時~午後3時)中は行内でのカメラ撮影は禁止で、午後3時以降に録画撮りで、それを編集してその日の夕方に放送するのは事件を追っかけているニュース番組そのものです。
今回はたまたま私が携帯でつながったから取材に入れたけれど、私が出張なんかでは別の対象をみつけなければならない、ということを毎日やっていては身が持たないではなかろうか、と思っていると、実際スタッフは疲れているのだそうです。このような職場に関係していなくて良かったという感想です。
Hanaテレビでの放送は6月21日でした。この記事を書いている今日もあの調子で取材に飛び回っているのかと思っています。
一番長い時間取材に協力したのはSTVの「どさんこワイド」でした。足掛け3日の取材協力で、4日目にNTTの洞道は、と言われてはさすがに辞退しました。札幌秘境100選の出版の打ち合わせの現場での取材もあり、居合わせた関係者にカメラを回しての取材もありましたが、本番の放送では全部カットされていました。テレビに出るのを期待していたであろう取材を受けた方々には済まない気がしています。
自宅まで来ての取材で、これも色々注文に応じました。STVの番組はキャスターの萩原氏を始め、ディレクター、カメラマンがSTV側と応援のメディア制作会社がそれぞれやりくりしてチームを組んで録画撮りを行っていました。他局に比べ人手がかかっている感じです。
ただ、放送時間に比べて、録画撮りが多すぎるのではなかろうかと思いました。沢山撮って、沢山カットすればよい内容になるかもしれませんが、これは取材対象に支払いが生じないからできるテレビ・ビジネスの特殊性から来ています。出演者の人件費をカウントしなくてもよいのは、通常のビジネスでは考えられないことで、こんなに時間をかけて撮影したものを惜しげもなくすてているのは、通常のビジネスのやり方では経費上では成り立たないだろうと思いました。放送は6月27日でした。
最後に取材を受けたNHKは「ほくほくテレビ」のものでした。NHKの取材が一番教科書通りのものではなかったかと思います。事前に取材源と接触して、局側(ディレクター)が取材の方針を決め、取材のシナリオを作成して、余分な取材は極力排して、という具合に進行しました。NHKの場合自前のスタッフで取材して、この点でも制作者の意図が直接放送につながっています。NHKの取材で始めて北大構内が取り上げられました。NHKと大学は相性がよいのかも知れません。
取材方針も街角の知られざる場所を楽しみながら見つけて歩く、という方針で、放送されたものを見ると、取材と編集は方針に沿ったものとなっていました。NHKの取材では河村ディレクターと磯野キャスター(アナウンサー)が取材に同行しました。参考にするため「ほくほくテレビ」を事前にちらっと目にしていたのですが、この番組のアナウンサーが取材に現れた磯野さんと同一人物とは気がつきませんでした。テレビに映ると女性は変わるのか、自宅のテレビがほんの少し横に伸びて顔の感じが変わるのか、メイクのせいか、私の眼が悪いのか、結論は出ていません。
北海道にはその他TVHのチャンネルがあるのですが、この局は東京のキー局の番組を流しているだけで、自前のものを制作しているようには見えないので、一応札幌のテレビ局全部で札幌秘境が紹介されたことになります。こんなことは長い北大勤務でもなかったことです。
2006年07月02日
彫刻俳句行
彫刻の写真のファイル名を俳句にしているので、
彫刻につけられた名前を句に詠みこんでいます。
トルソーは リラの名前を 身にまとい
乳房見え おかっぱ頭 少女なり
放水の 水飛沫(みずしぶき)来て 髪洗う