2006年07月06日
「そうせいばし(創成橋)」
この橋は南1条通が創成川を横切るところに造られている。橋のすぐ近くにこの橋のある場所の由来を記した写真の石碑が建っている。碑文によれば、この地は銭函から千歳に抜ける道と藻岩山麓を通り篠路にゆく道路の交差点にあたり、1869年(明治2年)開拓判官島義男が石狩大府の建設をこの地から始めた。島判官のあとを継いだ岩村通俊判官が1871年札幌の町割をこの地から始め、現在の札幌市はこの地を基点として発達したことを伝えるためこの「札幌建設の地」の碑が建てられている。
「そうせいはし」は創成川に架かっているけれど、現在この川は流れてはいない。さらに創成川の下に地下通路の建設が進行中で、かって川水が流れ、見事なしだれ柳のあった河畔の面影はない。ただ、写真のように「そうせいはし」が歩道の一部として欄干が申し訳程度に残されているだけである。
創成川が札幌開拓の基礎を築いた大友亀太郎が開削した大友掘が基になっていることは「札幌村郷土記念館」の項でも述べた。札幌の礎を築いた大友亀太郎と島義男判官、この二人は歴史のある時点で交錯するはずなのだが、そこら辺のことについては調べていないのでよく分からない。
大友は幕府の役人でありながら、幕府から明治新政府に代わる過渡期に、開拓の実績で新政府に用いられ、一方島判官が開拓使の役人として新都建設に乗り込んで来た立場の違いが、二人の間にどんな葛藤をもたらしたのか、伝記小説として読んで見たいものである。島判官も新都建設の理想と現実のギャップを埋めることができず、二年後に判官職を辞することになる。
橋とは関係ないが、写真にほんの少し写っている「秋野総本店薬局」が「そうせいはし」の近くにある。札幌軟石の土蔵を配した二階建のトタン葺屋根の家屋がビルの谷間にあるのは、川のないところに橋の欄干があるのと類似した景観である。
投稿者 esra : 2006年07月06日 14:06