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2006年09月29日
セラミックアートセンター
江別市はレンガややきもので売り出そうとしている。その啓蒙・宣伝を行う中核施設が野幌森林公園近くにあるセラミックアートセンターである。市の期待を背負った施設であるので、秘境に組み込むのは適切ではないかも知れない。しかし、たまたま土曜日の午前中に出向いてみたところ、来館者もほとんど見当たらず、広い駐車場には車が二,三台しか留まって居らず、雰囲気的には秘境的であった。
この施設は一九九四年(平成6年)十一月に開所した。二階建てで一階にはれんが資料展示室、北のやきもの展示室がある。これらの展示室は有料である。有料であるのでこの資料館の見学はパスする。一階にはその他にレンタル工房、窯室、教室工房があり、市民に開放されている。レンタル工房でろくろを回して、陶作に精を出している人が一人居た。
二階には図書室や教室があり、講習会などで利用されるのだろう。教室前にはラウンジもあって寄ってみる。食器棚があって、コーヒーカップの作品が並んでいる。売り物かと思っていると、好きなカップを選んでコーヒーが飲めるようになっている。それではと選んだカップが写真のものである。
そもそも江別とやきもののつながりは江別式土器の続縄文時代に遡る。れんが産業の歴史も北海道では古く百余年を数えている。釉薬の第一人者の小森忍が晩年を過ごした地でもある。ここで小森は大阪高等工業学校窯業科で学び、その後京都の陶磁器試験場に就職し、中国古陶磁器の研究を行っている。満州にも渡り、終戦で新しい活動の場を求めて江別に移り、この地で亡くなっている。このような経緯から江別市が陶芸の里を目指していて、セラミックアートセンター開設の背景となっている。
窯業の未来を切り拓こうという目的のための技術開発を行う施設として、道立工業試験場野幌分場が市内にある。小森が陶磁器試験場で研究を行っていた例を引き合いに出すまでもなく、他のジャンルの芸術よりは陶芸の方が研究や技術開発との結びつきが強く、この点からもこの試験場が持つ陶芸の里での役割は大きい。
2006年09月26日
森林の家
野幌森林公園を突き抜ける狭い道を自動車で走っていると、「森林の家 ご自由にご覧下さい」という石狩森林管理局の看板が目に入る。傍に登満別園地のパーキング場があるので車を止めて覗いてみることにする。
二階建てのロッジ風の建物で、自由に内に入れるようになっている。入館者は我々の他にはいない。一階は広い空間に野幌森林公園を紹介するためのパソコンや航空写真を立体視する器具などがあり、壁には各種の木の紹介パネルが立てかけられている。
樹齢三百五十年のアカエゾマツの幹の輪切りの標本やその他の木の輪切り標本も並んで置かれている。北海道森林管理局の石狩森林管理署の看板が建物入口にあったので、木の標本や木に関する説明が館内にあっても不思議ではない。この施設は一九七九年(昭和五十四年)開館しており、その後にこの新しい建物が建ったとのことである。事務所も館内の一角にあって、管理人とおぼしき人が詰めていた。
二階に上がってみると壁を使った写真展が行われていた。見る人もいないところに写真が飾られていて、多分この場所まで来る人はほとんどいないだろうから、来場者の居ない展覧会で、展覧会場の秘境という表現が当てはまりそうである。
展覧会ではないけれど、動物や鳥のカービング作品が飾ってある。二階の窓際に望遠鏡が置かれてあって、バードウオッチングが楽しめるようである。覗いてみたけれど鳥らしきものをみることができなかった。
野幌森林公園には色々な散策コースが作られていて、この森林の家の横からはカラマツコースが伸びている。そこを少し歩いて、カラマツの林まで行ったのだが、人工林のカラマツの林は日光が地面まで届かず、薄暗い草も生えていない林が広がっている。歩いて楽しむような雰囲気ではないので早々に引き返した。同じ樹種で人工的で作られた林や森は本来の意味での秘境空間を造り出しているようである。
森林の家から東に車で少し走ると森林公園を抜けて、森林公園に並行に走る道道江別恵庭線に出る。この通を北上すると江別の市街地に達する。江別は思っていたより森林の豊かな市である。
2006年09月23日
昭和の森のクリの巨木
林野庁は全国の巨木から百本を選び「森の巨人達100選」としている。道内にはこの森の巨人として選ばれた巨木が十一本あり、そのうちの一本が野幌森林公園内にあるクリの巨木である。このクリの巨木の話は耳に入っていたので、秋が始まりかけた九月の下旬にこの目で確かめようと探しに出かけてみた。
南郷通から北星学園大学付属高校の横を通り森林公園に入る。札幌市の境界から森林公園内の道を江別市側に道なりに4kmほど進むと、この巨木の標識が目に入ってきた。標識には「昭和の森のクリ」とある。この森林公園が一九六八年(昭和四十三年)に自然公園法に基づいて道立自然公園として指定されたことから「昭和」が冠された森の名前になったのだろう。
この標識から百mぐらい森林の中を進むと、ロープで囲まれて、クリの巨木が現れる。これが森の巨人達に選ばれた巨木である説明板も立っている。説明板には、このクリの樹は樹齢推定八百年、樹高十八m、幹周四十五mとのデータが書かれている。
樹の下半身部分には枝が無く、太い幹ばかりで、幹の上部に枝が空に向かって伸びている。上部の枝の部分だけが緑の葉で覆われている。巨木と古木を重ねると、この枝ぶりと葉のつき具合になるようで、周囲の樹とは異なった雰囲気を醸し出している。
クリの樹というからにはこの季節、樹の周囲にクリのイガでもおちているかと探してみるのだけれどみつからない。クリも歳をとると実をつけることが無くなってくるのかな、それは生き物としての自然の摂理なのか、と不確かな考察である。
クリの巨木の幹は螺旋状に筋が重なっている。人間に例えれば年配者の皮膚に現れる皺に相当するだろう。巨木の幹に現れるこのような皺は見ごたえのあるものである。長い年月この樹が風雪に耐えて来ただろうと思うと、それは尊敬の対象ですらある。
しかし、人間の場合にはそのような感じからは遠くなるのが一般的である。鑑賞用(?)に人目に晒されるのは若者である。対して樹木では若木は見ても大して感動もしないけれど、老木には感情を移入できる。この差はどこからくるのかと、クリの巨木を眺めながらふと思った。
2006年09月20日
著者が北大勤務時代に石狩の浜まで行って実験をしたことがある。電波で物を見る技術である電波ホログラフィーの研究をしていて、その関連で砂のなかに埋設された物体に地表から電波を照射して物体を映像化して判別できるか地表レーダ装置を用いて試してみようということになった。学生達を石狩の浜まで駆り出して行った実験はあまりよい結果が得られなかったと記憶している。
この実験の時に石狩灯台を見に行ったのか、実験に時間をとられてそんな余裕はなかったのか、今となっては記憶がない。しかし、石狩浜の灯台は砂浜とハマナスの群生に囲まれた詩情豊かなイメージが頭の隅にあって、今回の秘境探検の対象にした。
札幌からは新川通で小樽に向かい、国道337号線を通って石狩に入り、途中石狩川河口に発達した砂嘴(さし)部分を走る石狩街道を通って目的地に着く。灯台傍のパーキング場で車を止めて、灯台の付近に近づいてみる。日曜日のこともあって訪れる人も目立ち、夏が終わり、秋に入りかけている石狩の浜を楽しんでいる。木道の上からハマナスの赤い実を砂地のそこここに見ることができる。
石狩灯台の歴史は古く、一八九二年(明治二十五年)一月一日に最初の灯が点されてから数えると百十五年の歳月が流れている。この灯台は木下恵介監督の「喜びも悲しみも幾年月」の舞台にもなったことで有名で、カラー映画の始まりの頃で、灯台の外壁の白黒の縞模様が映画撮影のため赤と白に塗り変えられた。この配色が現在まで続いていて、訪れる人の目を楽しませている。
灯台は石狩川の河口の先端部分に建てられたらいいのだが、長い年月で砂嘴が発達して河口からかなり離れたところに位置している。灯台から石狩の砂浜に出てみると、海水浴の季節を過ぎても砂浜にテントを張ってアウトドアライフを楽しんでいる人を見かける。
石狩湾を囲むように厚田村から浜益村の山並みを湾の彼方に遠望することができ、もうすぐここは日本海からの冷たい風と雪にさらされる季節を迎えることになり、石狩湾を取り巻く山々も雪化粧が施される。その時でも、石狩灯台は無人の石狩の浜から石狩湾を航行する船舶に光の信号を送っているだろう。
2006年09月17日
川の博物館
北海道開拓の歴史は石狩川治水の歴史でもある。この治水の歴史を見ることのできる博物館が、石狩市を突き抜ける国道231号線沿いの旧石狩川(現茨戸川)に面してある。
石狩川の治水の柱として、河口近くで蛇行する石狩川の蛇行部分を切り離し、本流部分を直線状に改修し(ショートカットの方法で専門用語的には捷水路(しょうすいろ))、川の水を最短距離で石狩湾に流すことがある。この残された石狩川の蛇行部分が茨戸川となっていて、茨戸川は石狩湾とは石狩放水路でつながっている。
石狩川に鮭が遡上し始めた9月の中旬の連休中日にこの川の博物館を訪れてみる。博物館のパーキング場は写真のように茨戸川の川べりにあって、茨戸川を間近にみることができる。パーキング場に止まっている車もなく、茨戸川を眺めてから、無料のこの博物館に入ってみる。予想したように館内には他に来館者は居ない。
館内には治水の歴史や石狩湾氾濫時の写真、河川工事に使われた測定器等の展示がある。石狩川の生態系や四季の変化の映像を見せるビデオもあって、誰も居ない館内でビデオのスイッチを入れてかなり長めのものを最後まで見る。子供達に石狩川を知ってもらうための教材といったところである。
この博物館の展示の目玉は、石狩川治水の祖岡崎文吉の業績である。岡崎は一八八七年(明治二十年)札幌農学校工学科入学しており、北大工学部の前身で学んだことになる。卒業後北海道庁の技師となっている。しかし、この人の名前を聞くのは初めてであった。もっとも、岡崎は土木工学の人であるので、専門が同じ技術者には良く知られた人なのかも知れない。岡崎の論文、著書、辞令などがガラスケースの中に展示されていて、岡崎その人の博物館のようである。
岡崎は一九一五年(大正四年)には「治水」を丸善から出版しており、この著作は土木学会の「近代土木文化遺産としての名著100選」に選ばれている。岡崎の治水思想の集大成といわれている。治水事業は単に川のみを見るのではなく、山林を始め河川を取り巻く環境、その保全のための行政等に目を向ける必要があると言及しているとのことである。
川の博物の前には道路を挟んで風力発電の風車がゆっくりと回っていた。海から蒸発した水が地上に降り、石狩川の水となりそれを用いて電気を起こす一方で、河水が海に還る海岸付近では、海からの風で電力を得ようとするようになって来ている。この水と風に関わる技術の対照が、川の博物館と風車を並べて見比べて、印象深かった。
2006年09月16日
2007パンダカレンダー
2007のパンダカレンダーが間もなく出来上がります。
その表紙の写真をアップしておきます。
パンダカレンダーは「曄友(イエヨウ)の成長記録」のテーマです。
このパンダは中国では有名なパンダになりつつあって、この
カレンダーは将来高値がつくカレンダーになるかも知れません
(と希望的観測をしています)。
10月30日(月)~11月4日(土)、時計台ギャラリーで札幌秘境100選の
写真展を予定していて、これに間に合うように「札幌秘境100選」を刊行したいと
考えていて、写真展で本とカレンダーの即売会を計画中です。
もちろん即売会以外での注文は受付けます。
2006年09月10日
パンダ
「札幌秘境100選」のレイアウト修正、校正で時間を使っています。1テーマ2ページで100テーマですと200ページを相手に校正等を続けていると、かなり頭がぼ~となります。パンダの棲む街のページをアップしておきます。何でパンダかといいますと、現在2007年度のパンダカレンダーの制作に入っていて、このカレンダーのテーマが「曄友(イエヨウ)の成長の記録」で、この実物のパンダが「札幌秘境100選」にも引用されているためで、ちょっと関連しているかな、と思ったものですから。本をつくるのもカレンダーを作るのも、その後で売りさばく仕事が待ち構えていて、それを考えるとこれまた頭がぼ~となりそうです。
2006年09月08日
番外編までたどり着きました
「札幌秘境100選」の入力と割付も100番目と一つの番外編までたどりつきました。後は校正の段階を経て印刷に回せば、今年の初めにスタートさせたこのプロジェクトも終わりに近づきます。番外編のレイアウトを載せておきます。校正刷りをプリントアウトしてみると、ずいぶん色んなところに行ったものだとの感慨が湧きます。
2006年09月05日
パンダの棲む街番外編
北海道テレビ放送(HTB)の朝の番組「おはよう遠藤商店」で札幌秘境が取り上げられ、好評であったこともあり、札幌秘境のテーマで五回テレビ放送が行われた。テレビ放送された秘境の一つが「パンダの棲む街」で、藻岩下公園(パンダ公園)に以前二体のパンダ像があって(現在は一体)、二体が写っている写真を求めている、との案内がテレビ番組で流された。
テレビ放送の威力はたいしたもので、視聴者から別の場所に同じパンダの像があるとテレビ局に知らせがあった。では、札幌市内にある同様なパンダを取材しようとの話となり、取材に同行することになった。
中の島の「かつら公園」は精進川の近くにある小さな公園である。中の島通を挟んで公園の西側には社会保険病院がある。この公園の木の間の芝生の上にパンダが座っていた。このパンダは耳や口が欠けず、よい状態で置かれてあった。
「八軒パンダ公園」は下手稲通に面して、JR学園都市線がこの通りを横切るあたりにある。名前の通り、この小さな公園にはパンダが置かれていて、顔は公園内に向いている。このパンダは耳が欠けていて、保存状態はそれほど良くはない。札幌市にはパンダ公園と名づけられた公園が多数あるけれど、そこに必ずしもパンダが居る訳ではない。しかし、これほどパンダ公園が多いのもパンダが人気者である証拠だろう。
南郷通5丁目の北側にある「タンポポ公園」のパンダは公園を囲む道路近くにあって、公園で遊ぶ子供達の邪魔にならないように置かれている。このパンダも耳と口の部分が欠けていて、ここに居ついての永い年月を想像させてくれる。
国道12号線から白石本通九丁目に少し入ったところに「あかね公園」がある。この公園は比較的大きな公園で、公園を見張るようにして置かれていたパンダは何と全身が白であった。これはパンダというよりは白熊である。あるいは突然変異で全身が白毛になってしまったパンダか。ペンキを塗りなおした時に、黒のペンキが無かったか、パンダのパターンに塗り分けるのが面倒になって止めてしまったかであろう。
しかし、札幌市内にこれほど同じポーズのパンダが居たとは驚きである。長い年月を経て生き延びて来たこれらのパンダは絶滅危惧種とも考えられ、その保全に力を注ぐ必要があると思われる。
2006年09月02日
出版作業進行中
「札幌100秘境」の出版作業が進行中です。添付のようなページ構成で200ページの本に仕上がる予定です。10月末か11月始め本が出来上がるようにと、入力作業と校正の段階に入っています。