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2006年10月08日
石狩-無辜の民
石狩の浜に本郷新の無辜の民と名づけられたブロンズ像があるとかねてから聞いていたので見に行くことにする。海水浴客や秋の鮭祭りのイベントの時には自動車で満杯になる駐車場に車も見当たらないのを横目で見ながら、石狩の浜に延びる道路を車でゆっくり走る。殺風景な浜辺の風景の中に案内標識がポツンと立っている。「本郷新制作ブロンズ像 石狩―無辜(むこ)の民」の文字が読み取れる。
車を降りて像に近づいて見る。像は、上半身にしては不均整な部分が布で隠れるまで巻かれたもので、布からかろうじて出た片手と両足が何かを訴えように伸びたフォルムが台座の上に横になっている。台座にはめ込まれたプレートには「石狩 開拓者慰霊碑」とあるので、鎮魂のブロンズ像である。
本郷新は一九〇五年に生まれ、一九八〇年に没している。二年前に本郷新生誕百年の行事もあった。北海道を代表する彫刻家で、札幌市内に多くの作品を見ることができる。札幌市宮の森には本郷新記念館もある。一九七〇年(昭和四十五年)から無辜の民の連作が始まり、十五点の作品が生み出されているので、本郷の晩年近くの作品群となっている。この石狩の浜にある作品は、箱根森彫刻の美術館主催の第二回現代国際彫刻展に出品されたものである。
彫刻の意味するものは、生きている状況で降りかかってくる諸々の制約で身動きのできなくなった人間の、もがきながら生を終えた姿を現しており(想像ではあるけれど)、開拓者慰霊の意味と重ねると、自然の脅威に遭遇してどうすることもできず苦闘のうちに斃れていった開拓者達を表現していると思える。石狩浜の灯台のロマンチックな思いを引きずってこの像に出くわすと、モノクロ写真の白黒を反転させたような感じになる。
見た目には不細工なこのブロンズ像を遠景にして、石狩の浜に赤い実をつけて冬の到来を待っているかのような浜茄子を前景にした写真を撮ってみる。すすきも生い茂っていて、秋の人の訪れない海浜の荒涼感が漂う。この荒涼感を浜茄子の実の赤色が和らげていると、芸術的なブロンズ像を鑑賞した余韻で写真の自己評価をしたけれど、普通の写真と評されるとそうかも知れない。
投稿者 esra : 2006年10月08日 10:05