2006年10月21日
秘境オタモイ
秘境探検と称してはいるけれど、人に知られざる場所という本来の語義とかなり離れたところを取材して歩いている。しかし、尋ねて行ったところで目にした案内板に、ここが秘境であると書かれているところに初めて出くわした。オタモイ海岸への入り口にあった写真の唐門の説明に「秘境オタモイ」の文字があった。
小樽の街は赤岩山、下赤岩山から続く高島岬と石狩の浜で囲まれた石狩湾の入りこんだところの港町として発展した。この高島岬の小樽の街と反対側に位置して赤岩海岸からつながってオタモイ海岸が伸びている。
小樽の街を貫く国道5号線を余市の方に向かって走り、途中長橋地区からオタモイ海岸への細い道へ入る。標識を探しながら道なりに進むと海岸の上の辺りに唐門が現れる。この門はオタモイ海岸への入口に一九三二年(昭和七年)に建立されたものが、オタモイにあった建物が焼失した後に残り、この場所に移転されたものであると説明されていた。
この唐門から海岸へ向かってつづら折りの細い坂道を対向車が来たらどうしようかと気をもみながら車で降りてゆく。下にはかなり広い空地がひろがりパーキング場になっていて、ここからオタモイの海と海に迫る断崖を一望にすることができる。訪れた日は雲ひとつ無く、凪の海面を水平線まで見渡せ、太陽の光が切り立つ崖に陰影を生み出し、絶景であった。大小の石が重なっている波際まで降りて見ると崖が迫ってくる感じである。
この場所は昭和初期には一大リゾート地であったと説明板に絵と写真入りで書かれていても、それを偲ぶ痕跡がない。唯一、崖から海に張り出して建築されていたという龍宮閣への隋道の門を遠くに見ることができる。この門は以前遊歩道とつながっていて、通ることができたのが、崖の崩落後通行禁止となっている。この門を通り越していくと子授けの地蔵があるそうだが、当然そこまでは行けなかった。
オタモイ海岸の観光開発は小樽で割烹を経営していた加藤秋太郎が行った。龍宮閣をはじめ、現在の車のパーキングの辺りには弁天食堂や遊園地があって、一日数千人が遊びに訪れたそうである。戦後の一九五二年(昭和二十七年)に建物が焼失して、この地はリゾート地としての幕を下ろした。そのような繁栄の時があったとは、人の居ないことも手伝って、この場所に立っても信じられなかった。
投稿者 esra : 2006年10月21日 20:01