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2009年04月26日

Ubiquitous Choko

わたしが死んだ次の日の夜のことでした・・・・
わたしの意識は、お家の中をうろうろしてました・・・・

一人で帰宅したおトしゃんは、もう、わたしの「すり鉢ゴロゴロお粥」を作る楽しみもなくなり、自分だけの簡単ご飯仕度をしてました・・・・

一人でBEERを頂きながらボンヤリしていたおトしゃんは、 わたしがいつもおトしゃんの横に座っていた椅子に置いてあった、昨日までわたしに掛けてくれていた毛布を見て・・・・

突然に。

『チョコぉ・・・チョコぉ・・・・・ここに居るのか・・・』と、慟哭しました・・・・

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おトしゃんの脳の中でだけ見える絶対的わたしの相似形なのです♪
さすが、おトしゃんは毛布の中に居たわたしを解ってくれたのです♪

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錯乱状態のおトしゃんは、あの注射器にお水を詰めて、必死に毛布に飲ませようと試みてました・・・
・・・・そうでしたよねぇ、、わたしは最後に一口しかお水を飲めませんでしたからねぇ・・・・

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おトしゃんは、わたしの毛布を見て、わたしが毛布と一緒に居ると思ったようです・・・

世間の常識では、どう見ても、この毛布は、わたしではありません。
やはり、わたしが傍にいなければおトしゃんの狂気が露呈するのでしょうか?
おトしゃんは自分の脳を狂わしたいのでしょうか?

どうして、このように毛布が「わたしのようなもの」に成るのでしょうか?
これが奇跡と云うのでしょうか?
だとしたら、あまりにも安易で、いい加減な奇跡ではないでしょうか?
単なる毛布の皺なのですから。

でも、おトしゃんには・・・わたしに見えるのでしょうね・・・・
まして、わたしの汗も涙もおしっこも一杯付いた毛布なのですから。

実は、今、わたしはもう、会社勤務も無くなったので、あまり先の事は考えないようにして、おばあちゃんの横にいたり、お家に戻ったり自由にしてます♪
でも、おトしゃんに会うにしても、悲しいかな、何かの「わたしのようなものの実体」がなければ、表現できません。

おトしゃんは、あまりの嬉しさに、「わたしのような」毛布をナデナデしました・・・・・

毛布はつぶれ、一瞬にして、わたしは居なくなり、元の毛布になりました・・・・
哀れな社長は焦って、あれこれ毛布をねじったりしましたが、二度と、「わたしのようなもの」には戻りませんでした。

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社長は、「わたしのようなもの」だった毛布を抱きしめて気がふれたように『ユビキタス チョコだぁ』と喜んでました♪

何か、光が見えてきたのでしょうか?
虚空に遍在するわたしを感じてくれたのでしょうか?

わたし自身も、何か「わたしのようなものの実体」があれば、何とか今後も何とか成ることも無いことは無いので無かろうかと、虚空からおとしゃんの姿を見ながら光を感じてました。

初七日の今日、社長は丸めたタオルにジーンズを着せて「チョコのようなもの」を作り、座布団に寝かせて語りかけてくれました。。。。

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 あの毛布は、チョコの仕業だったのかい?
 このタオルを丸めた「チョコのようなもの」をチョコは気に入るだろうか?、
 次回もチョコは出てくるのだろうか?
 チョコの好きだったササミチップも置いておこうか?

 お魚釣りではありません。
 こうして、オカシク成ってきた社長が可笑しくなりました♪

おトしゃんは、

 あの毛布の皺の形は、私へのチョコからのメッセージとしか思えない・・・が、
 否か然りか??

と、自分の脳と葛藤してました♪

毛布チョコの件は、何なのでしょうか?
偶然なのでしょうか必然だったのでしょうか?
わたしとおトしゃん、この世もあの世も不可思議です。

投稿者 choko : 2009年04月26日 11:25

コメント

hikkey05さん、ありがとうございます。おっしゃるとおりです。
昨年の同じ頃のブログを見て自分で微笑んでます。
チョコが居ない以外は全く同じ春が廻って来ました。
花の咲く、春に逝ったチョコは幸せです。


 

kuwagoroさん ありがとうございます。
チョコの水が飲めなくなった最後の10日間、私も必死で注射器で飲ませました。チョコは注射器で飲むのが上手になり、わたしも加減がわかり案外と楽しく世話が出来ました、しかし最後はその水も吐きました。でも最後の最後に一口、ゴクンと美味しそうに飲んでくれたのが救いでした。『ノア』さんの介抱の記憶、私も痛いほど察します。娘様の心に『ノア』さんが住んでいるのですねぇ♪


 
 


まるさん ありがとうございます。
(今でもまだベルの匂いを感じることがあります。)とありますが、
わたしもチョコの匂いを感じます。
脳の錯覚なのでしょうが、長年の脳の記憶に関係あるのでしょうか?
この「匂い」の件については、いずれブログで詳しく書く予定です。

投稿者 チョコとおトしゃん : 2009年04月28日 17:32

チョコちゃんは、おとしゃんのそばにいつもいるんですね。我が家の、ベル(シーズー)が、旅立ってから早1年半が過ぎますが、今でもまだベルの匂いを感じることがあります。やはり16年近くも一緒にいると色々なものが記憶にしみついています。本当に、愛情は薄れませんね!いい言葉ですね!

投稿者 まる : 2009年04月28日 12:13

チョコちゃんは、おばあちゃんのとこやおとしゃんの所を自由に飛んでるんだと思います。
いつかおとしゃんと虹の橋を渡る日まで、毛布の中に戻って眠る日もあるんだと思います。
我が家のノアが亡くなってもうすぐ3年経ちます。
原因不明で水が飲めず、苦しかった最後のことを思い、今でも水は欠かさずあげています。
一人っ子の娘は生まれた時からノアと兄弟のように生活し、ノアが亡くなってからも家の中でノアを見ることがあるようです。
ちゃんといるんです。

投稿者 kuwagoro : 2009年04月28日 10:26

社長さん、こんにちは

大切な人(わんこ)をなくしても

時間はいつもと変わらず流れ日常が過ぎていきますね。

ニンゲンにとっては十数年は短いけど

わんこたちにとってはしかるべき生きた時間なんだと私は思います。

社長さんにくっついて生きた時間は

ちょこにとってはたっぷり感あふれた時間だったのでは

ないかと勝手に想像します。ごめんなさい

投稿者 hikkey05 : 2009年04月28日 08:58

Kikurinさん いつもありがとうございます。
ユビキタスになってしまったチョコですが・・・抱っこしてやれるチョコが堪らなく懐かしい・・・です。


ケンちゃんの姉さん 言葉に助けられます、ありがとうございます。
確かに、チョコが私の側にいるような温かく優しさに包まれている感覚になります。
「記憶は薄れても、愛情は薄れない」。脳裏に刻みます。



ラッキーさん アメリカからの花束、おどろきました。遠くからありがとうございます。
ラッキーさんもお母さんもいっぱいいっぱい幸せになってください。
チョコも私もいっぱい幸せでしたから、今も幸せです。幸せの記憶に助けられてます。

投稿者 チョコとおトしゃん : 2009年04月28日 06:43

チョコちゃんのおとうしゃん、
アメリカに住む僕とマミーはチョコちゃんのブログを訪問するのが日課です。今もそうです。これからもチョコちゃんとおとしゃんの心の会話をここに載せてください。チョコちゃんは今もおとしゃんと一緒に暮らしているし、僕たちワンワン仲間にも元気をくれていますよ。いつまでも、いつまでも。

投稿者 ラッキー : 2009年04月28日 04:45

チョコちゃん、昨日も雪が降ったり寒かったのでまた毛布に
包まりに来ていたのではないかな♪

お父しゃんが感じている温かく包まれるような感覚こそチョコちゃんがいつも側にいる証のように感じます。
記憶は薄れても、愛情は薄れる事はないとも思います。

ゆっくりゆっくりと新しいチョコちゃんとの生活のカタチを
つくっていかれるのでしょうね...
まだまだ寒い日も続きそうです風邪などひかれませんように。

これからもブログにおじゃまさせていただきます♪

投稿者 ケンちゃんの姉 : 2009年04月27日 11:20

ユビキタスチョコちゃん&おトしゃん、こんにちは。
そうですよねぇ。
ユビキタス...チョコちゃんは今や、いつでもどこでも時空を超えて移動可能なんだものね。
いいなぁ~。

ということは、今、私がコメントを打っているもしかしたら自分の横にもチョコちゃんが居てくれるかもしれないのですね♪

おトしゃん、今日も寒いですねぇ。
チョコちゃんバッグは温かい重みがあったでしょうけれど、今は“自家発電”しなくてはなりません^^;
ご飯しっかり食べてエネルギィ蓄えてくださいませネ。

投稿者 Kikurin : 2009年04月27日 10:07

Anonymousさん ありがとうございます。
私の横に、いつでもどこでもチョコの気配を感じてしまいます・・

シフォンママ さん、ありがとうございます。
もう、悪天候時の散歩に悩む必要がなくなりました。逆に寂しいものです。

きぬきぬ様 いろいろお世話になりました。
チョコも『ボギー』さん同様に私の台所仕事の時は何時も足元で待ってました、懐かしい感覚です・・

ちょびさん ありがとうございます。
なかなか毛布を片付けられません・・

うさこさん いろいろとありがとうございました。
そうですねぇ、チョコは、憎たらしいと云う感覚とは無縁でしたねぇ・・
親ばかですが、素直でおとなしい仔でした。

さちよさん いつもありがとうございます。
わたしも毛布の件で、玄侑宗久氏の「中陰の花」を思い出してました・・

投稿者 チョコとおトしゃん : 2009年04月27日 05:39

父のとき、タマリンのとき何度か不思議なことがおこりました。もっともわたしにとっては不思議ではないのですが。
魂のエネルギーとわたしは感じました。
内田百閒さんの「のらや」でもそんなことがあったような。

投稿者 さちよ : 2009年04月26日 23:54

一生懸命ジャーキーを食べているチョコちゃん、今もお父さんのそばでご飯をムシャムシャ食べているかもしれませんよ。子供はそのうち大きくなって、かわいくないことを言ったり反抗したりするけど、わんこは何歳になっても赤ちゃんの時と同じように素直でかわいいんですよね。だから亡くなった時も、とてもとても悲しいんです。もうちょっと憎たらしかったら、死んだときに悲しみが少ないのに、と思ってしまったりします。生まれた時から死ぬときまで、わんこは本当にいい子ででかわいいです。世の中にはたくさんの愛されずに捨てられたり処分されるわんこやニャンコがいます。チョコちゃんのように最初から最後まで愛されて尽くされた子は本当に幸せですね。お父さん、ありがとうございました。

投稿者 うさこ : 2009年04月26日 22:46

お父しゃん、こんばんは。
チョコちゃんのお父しゃん、お母さんを思う気持ちが毛布に現れたんですね。今度はどんな風に現れてくれるのかな。
今日は一日中雪や雨でしたね。風邪など引かぬよう、お体大事にして下さいね ^-^

投稿者 ちょぴ : 2009年04月26日 22:16

きっと毛布の中で休んでいたのでしょう。

時々台所に立っている時
足元のある高さに温もりを感じて
ふと見ると何も居なくて?と思うことがあります。
考えると亡くなった先代シーズー『ボギー』の高さ。
時々来ているようです(笑)


おトしゃんが気が付いてくれて
喜んでいることでしょうね。

投稿者 きぬきぬ : 2009年04月26日 20:07

チョコちゃんかくれんぼしてるのかな
みつけられないお父しゃんに
『お父しゃんここだよ!あたちはここ・・・』
と遊んでるのかな

今日GWを目前に雪が降りましたよね
気温がかなり下がったので風邪をひかないように気をつけて下さい

投稿者 シフォンママ : 2009年04月26日 19:41

アッ!チョコちゃんがネンネしている!と私も思いましたーー早いものでもう1週間が過ぎたんですね~でもチョコちゃんは何時もおとしゃんの傍に寄り添って見守って居ますよね!目を閉じるとチョコちゃんの飛び跳ねている姿が浮かびます・・しろつめ草のなかのチョコちゃん・・お耳がなびいて可愛いなチョコちゃん*おとしゃんとおかしゃんを見守ってあげてくださいね~

投稿者 Anonymous : 2009年04月26日 13:09

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