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2009年05月30日
魔境焼山とダニの恩返し♪
社長のここ2~3年の登山はわたしの体調を鑑み近郊の低山をうろつく程度でお茶を濁してました。
でも、本当は生死を賭した冒険に憧れていたようです。
そして、今日は人踏稀で命の危険も大なる恐ろしい山と云われているような魔境焼山登山を決行する日なのです♪
「焼山」ぁぁ、定山渓から札幌に向かう途中の右側にそびえる登山道も無いピラミタルな魔の山・・・」なのです♪
社長は、どんな山でも山頂で栄養摂取して安全に下山してこそ明るい明日の暮らしの基本かもしれないと・・・例によってお肉、BEER、野菜、ストーブ、フライパン等々をシッカリ準備しました♪
そして・・・チョコも一緒だよぉ・・と、わたしのようなものもビニール袋に包んでリュックにフライパンと一緒に詰め込みました♪
魔境への道はありません!
道なき笹薮を、何度か登頂に成功しているS秘境探検隊本部長の後をT先生A隊長そして社長N支部長がヨロヨロ続きます♪
少々渡渉、藪こぎと難所が続きます。ダニさんの営業活動が活発な時期で、皆さんにダニさんやブヨさんが嬉しそうに、まとわり付いてました♪
不思議な事に3年前にダニさんに齧られ潜られたママの体の社長には、悪さをする虫さんが寄ってきません???免疫と云うことなのでしょうか?
社長のお腹で暮らしている、あのダニ母さんが他のダニから社長を守ってくれているのでしょうか?
「ダニの恩返し」なのでしょうか?あまりそのような事例は聞いたことがありませんが?やはり事実は小説よりも奇なりなのだと云うのは本当なのでしょうか?
この山は謎に満ちてます??、山なのに「鰻さんの寝床」の様な謎の4連トンネルが存在しているのです?
何者かが、何かの目的でこの山の中腹にトンネルを作ったことは明白な事実です。
なんのかんので頂上です♪
(2006年05月17日 S本部長撮影)
焼肉宴会を始めようとしたら、ガソリンストーブを持参するのを忘れた・・・・・と・・火気責任者の社長は・・・・『生でお肉を食べませんか?』と
提案してましたが。。。誰一人、賛同するメンバーはいませんでした。
まぁ、焼肉は無くても、好天に恵まれた山頂から360°の大展望です。
社長はリュックからわたしを出して、そのうちに登頂予定の札幌岳を同定してくれました♪
自分の事はさて置き、わたしがダニに齧られないようにビニルに包んでこの魔の山の頂上にたどりついて社長は幸せそうでした♪
わたしも・・・ここまで・・・来た・・・ぬいぐるみは居ないだろうなぁ・・・と思いました♪
視線の先の悠久の山々が、わたし達探検隊を祝福してくれているのがヒシとわたしは感じました♪
爽やかな風が・・・皆の頬を撫ぜていき、空中で遊んでいたツバメさんも嬉そうでした♪
そして、わたしのようなものがこうしているのと、チョコ隊員のようなものがああしているのは同じダニぃと皆様が平然としていてくれるのが・・・わたしは嬉しかったです♪
ありがたい事に、この世に居ないわたしはもうダニに齧られる事はありません・・・
社長もダニに齧られませんでした・・・もしかして・・・本当は、社長も今のわたしの側の存在なのだからなのでしょうか??
2009年05月27日
書店のチョコ
時々、わたしは本当におトしゃんと一緒に暮らしていたのだろうか?と思ったりします。
社長も、わたしの実体が居なくなって、チョコとの暮らしは本当は夢であったのではなかろうか?と最近は思ったりしているようです。
当然、『本の事は夢のまた夢・・・』であったのでしょうか?
夢ではないとしても、極く狭い閉じた局所的空間における人生の午後の妄想ではなかったのではなかろうか?とも思ったりです。。。
不安になって、大きな書店に出かけました。
膨大な書籍を検索するコンピューターが備えてあったので、著者名「フクモトチョコ」で検索しました。
ぁぁ・・・有りました♪登録されてました♪
著者名「福本チョコ」で「ワンワンの会社勤務」の書名が表示されました♪
嬉しい事に共著者には社長の名前も記載されてました。
実際に並べてある書架の番号を印刷しました。
ぁぁぁ、紙と云う実体にわたしと社長が居りました♪
紙の番号を見ながら棚をさがしました。
ぁぁ・・・有りました♪売ってました♪
わたしも社長も一切関与したことが無い書店の売り場で「ワンワンの会社勤務④」に出会ったのです。
「チョコぉ・・・私達は紛れも無く一緒に暮らしていたのは事実だったのだねぇ」と、安堵してました。
わたしの代わりに書架の「ワンワンの会社勤務」の本が頑張っていると思うとわたしの胸が熱くなりました・・・
社長は、来年は此処に「ワンワンの会社勤務⑤」を並べるゾと、決意してましたが・・・・わたしが居ないのにブログを続けて『本』にまとめることができるのでしょうか?
わたしの鋭い問いかけに、社長はうつむいて黙したママでした・・・
2009年05月22日
今のわたしに出来る事♪
いつも、ぼんやり、のっぺり、ほわほわの社長の暮らしは変化があまり有りません・・・・
でも今日は、大昔にA先生達と研究した論文の「特許認可祝い大宴会」に出席することになりました・・・。。
社長は辛そうに言いました。
『
チョコぉ・・・連れて行きたいけど・・・レストランの宴会だから、ワンワンは「ダメぇぇ」と言われるのでお留守番していてねぇ・・・
』
わたしは心得てマス・・・・
わきまえてマス・・・・
何時もは社長の所に間借りしてますが、たまには自主的に気ままにのんびりとするのも悪くないです♪
わたしの事情を良く解っている社長は、わたしのようなものにわたしのように応対して
『
チョコぉ・・・お留守番を頼むよぉおお・・・・
』
と、言い含めて外出しました・・・・
わたしは、懐かしかったです。
ここ一月ほど、しばらくお仕事をしてませんでした・・・・
実体が無くなったわたしに出来ることは、ありませんでした・・・・
でも、こうして、玄関ホールでお留守番するお仕事は、今のわたしでも出来ます♪
黙って居るだけでいいのです・・・から・・・
一応、わたしのようなものが居るだけで良いのです♪
玄関ドアの郵便受けから見たら・・・しっかりとおりこうにお留守番しているわたしが居るのです♪
わたしなりに考えました・・・
あの世とこの世は隣り合わせなのですねぇ・・・・
だって、あの時と同じですもの・・・・・
こうして、今でもお家でお留守番できるのは・・・とっても幸せですねぇ~と・・・思ったのですが・・・解ってくれるのは・・・おトしゃんだけでしょうか♪
2009年05月19日
わたしの 初めての お花の・・・命日♪
社長が、珍しく「お花篭を」を買ってきました。
つましい社長は「500円もするのだよぉ」と、小さな花篭でした♪
『今日はチョコの命日だよぉ』と、わたしのメモリアルコーナーに飾ってくれました♪
残酷なことに月日は、寸分の狂いもなく巡ってきます。
わたしが居なくなってからの一月間。社長は『長い長い一ヶ月間だったなぁ・・・』と呟いてました・・・・
やはり、わたしのすり鉢ご飯作り、散歩、目薬付け、その他細細した暮らしの準備等の時間を取られる事も無くなったので、日々の時間が余っているように感じるのでしょうか?
わたしが居なくなってからの、この一月間は何をしていたのでしょうか?
社長は、「遺品の整理、気持ちの整理等をしなければならない症候群」に成って迷いの人生を歩んでいるのでしょうか?
これからの人生をどの様に生きるべきか考えないままに、時間に流されているのでしょうか?
(社長は、わたしの骨壷に、「病気平癒御守」を付けてくれました・・・ありがたい事です♪しかし骨壷に御守とは御利益があるのでしょうか?なんらかの神仏合同相乗効果が期待出来るかもしれない♪とうそぶいてますが・・・)
わたしに、社長は『久しぶりに会社に行こうか?』と声をかけてくれ、「わたしのようなもの」と一緒におばあちゃんのお部屋に行きました。
そこには、奇しくも?わたしの今日の命日にわざわざ合わしてくれた様に、わたしの同級生のサボテンさんが『チョコちゃぁぁ~ん』と叫ぶが如く真っ赤な『花』を咲かせてくれました♪
わたしは、そこに、サボテンさんの友情を感じて泣きそうになりました♪
長い付き合いでしたからねぇ・・・
普段は地味に暮らしているサボテンさんの、この『紅花』は狂気に近い凄みを感じると、社長は浮かれてました♪
サボテンさんのお花に凄みを感じるなんて・・・・・・・
おばあちゃん亡き後も、おトしゃんは、そこそこ面倒をみてましたからねぇ・・・・、それなりの思いがあるのでしょうねぇ・・・♪
お花の友情を感じていたら・・・西区のN様からのお花を頂きました♪
ぉ花ぁ♪ぉ花ぁ♪ぉ花ぁぁぁ♪
わざわざ・・・わたしの命日に、贈ってくださったのです♪
・・・ありがとうございます♪
わたしは、まだ生きているようなものなのですねぇ・・・・
生きているが如くのわたしが未だ其の辺に居れるのです・・・・嬉しいことです♪
わたしとおばあちゃんは命日と云うモノも持っているのです♪
わたしの命日は社長にとっては祝日の一種なのでしょうねぇ・・・自分の命日は未だ持っていない社長ですが何故か、なんとなく今日は嬉しそうでした♪
生きているが如くのわたしの雰囲気を感じていたようです♪
花は、心の救いなのですねぇ・・・・社長は、あの歳になって、やっと解ったようです♪
2009年05月16日
謎の多重時空間?
朝、空を見上げたら、爽やかな五月晴れが光ってました♪
おトしゃんは、「お天気もったいない症候群」の初期症状が出てきたようです・・・
『チョコぉ・・・藻岩山に行ってこようか・・・・』と、間借りのわたしは声を掛けられました♪
安心安全の勝手知ったる藻岩山です、おトしゃんが背負ったバッグの中で観光登山気分です♪
眼も悪いおトしゃんの代わりにしっかりと前方を見て注意を払ってます♪
(2008年5月)
此処は、わたしとおトしゃんで勝手に名付けた「藻岩峠」です♪
何時も此処で一休みします♪
滑落したら命が確実に無いと思われる崖の上なのですが、見晴らしは抜群です♪
わたしは、何時も、此処から遠くわたしとが暮らしている街並みを眺めて幸せを感じます♪
今日も遥か彼方におなじみの雪山が玲瓏とそびえてました♪
頂上はおなじみのレストランの屋上です♪
此処の頂上はダニの心配が無いです♪
寝そべっても、安心です、ダニは居ないのですから♪
おトしゃんは、昨年の同じ時に此処に来たのだょぉと・・・「ワンワンの会社勤務④」を広げてわたしに見せてくれました♪
「ぇぇぇええ・・」と思いました。今のわたしとおトしゃんが「本」の中に居るのです???
どうしてなのか?わたしは訳が解らなくなりました???
あの厳密のはずの時間が重なったのでしょうか?
絶対的空間がいい加減になったのでしょうか?
おトしゃんは
『
チョコぉ・・・多分これは「多次元宇宙」と云って、時空間が「ごちゃまぜ」に成る現象ではないのではなかろうか・・・
だから、去年のわたし達と、今日のわたし達が共存できるのだよぉ・・・
わたし達は「量子もつれ」とか「局所的実在」と云うややこしい物理学の根底を揺るがす現象に遭遇したようだ♪
幸せだねぇ・・・
』
と喜んでました。が。どうしてこの様な「量子や時空のもつれ」が幸せなのでしょうか?
わたしと一緒にまだ暮らしているような気分に成る多重時空が幸せなのでしょうか?
そんな事よりも、わたしは、おトしゃんの「舌もつれ」や「足もつれ」や「心臓もつれ」が心配です♪
2009年05月13日
遺品整理
社長は『チョコが居なくなってそろそろ1ヶ月になるねぇ・・・チョコの遺品整理をしなければならないのかなぁ』と言い出し、「わたしのようなもの達」にも集まってもらい、相談しながら整理しようと試みました。
長いこと暮らしていたので、わたしにもそれなりの遺産や遺品があります。
わたしは遺産と云う程のものは持っていませんでしたが、それでも固定資産としての不動産的な物として、お家と会社のおばあちゃんの部屋に、築14年のケージハウスを2戸所有してました。建坪は0.3坪です。どちらもトイレ付きです。わたしはほとんど散歩で用足しをしてましたので新品同様のトイレです♪
ケージハウスには、ふかふか布団があつらえてありますが、どちらかといえば、わたしはおトしゃんの横で寝ていたのでハウスも布団もピカピカです。
流動資産としての貯金等は、給与としてササミご飯の現物支給を受けていたので通帳等は有りませんでした。会社に税務署が調査に来たときは「チョコちゃんの預金通帳はありませんか?」とあらぬ疑いを掛けられましたが、潔白な身を保っていたので、それ以上の追求はありませんでした。
やはり、わたしの遺品としては衣類が大部分です。
若い頃はお母さんが手作りしてくれた仕事着2~3着を着て働いてましたが、晩年はブログ関連の皆様からたくさんの有名ブランド物のお洋服をプレゼントして頂き結構な衣装持ちになりました♪
わたし専用の衣装用ダンボ-ル箱から衣類を出してみたら、こんなにいっぱいありました・・・♪
本来であれば、縁のあるワンワンさんに「形見分け」と云うのが世の習いなのでしょうが、勤務先と自宅との往復のみのお仕事一筋の暮らしをしてきたわたしには「形見分け」をするほどの知り合いワンワンさんも居ません。
かと云って、塩で清めて燃えるゴミとして処理するのも心が痛むことです・・・
社長は「チョコが身に付けていた服はチョコなのだ・・・やはりこのママにしておこう・・・」と、またダンボール箱に仕舞い込みました。
その他、バッグ、散歩用のリードとかご飯茶碗、とかの遺品、蔵書も2冊もあります・・・焦せる事もないだろうの結論でした。
わたしでしたら、このようにふかふか衣類が積んであったら喜んで転がって遊んでいたのですが・・・・「わたしのようなもの達」は黙ってうつむいたママです。
そればかりは、やはり、しかたがない事なのでしょうが・・・・沈黙は、うら寂しいものですねぇ・・・
2009年05月10日
時の流れに負けないよぉ・・
わたしが居なくなって3週間が経ちますが社長は未だに現実の認識が改まらないようで、例年のわたし達の歳時記をたどって暮らしてます。
今朝も、梅公園に出かけて、昨年と同じ場所で同じ様に記念写真です。
下は、昨年の同じ時期同じ場所の記念写真です。
昨年のわたしです。
今年のわたしです。
昨年も美味しく頂いた巨大アスパラとわたしです。
アスパラガスも同じ時期同じ場所に同じく成ります。
こうして、昨年と同じ様に、暮らしの時間が流れて往きます・・・
やはり・・・わたし達の暮らしは何も変わっていないのですねぇ♪
昨年の満開の梅の下の記念写真撮影の時に、社長は「来年のこの時にはチョコは居ないだろうと思っていた」と言ってました。
アスパラガスの時は「来年にはこのような巨大アスパラガスとは出会わないだろう」と言ってました。
来年はどうなるのでしょうか?
「時」は容赦無く過ぎていきます・・・・社長は必死で抵抗しているのでしょうか?・・・・それは「時」ではなくて自身の記憶に対してではないのでしょうか?
2009年05月08日
チョコの木
先日、一本の植木が会社に届きました。
東区のN様が贈ってくださったのです。
『チョコちゃんいつまでも幸せにね』と書いてある札が添えられてました・・・・
社員の皆で「この木は、きっとチョコの代わりに社長が面倒をみるだろう・・・」と社長の机の横に設置しました。
そうです、こないだまでわたしが陣取っていたわたしの場所にです♪
さっそく社長は洗面所から水を汲んできて植木にかけてました。今までも出社して一番初めにする仕事はわたしのお水飲みお茶碗にお水を汲む事でしたから体が自動的に水を運ぶように成ってしまったようです。
しょっちゅう水をやるので部長さんに「水をやりすぎると根が酸欠になるよぉ」と注意されてました。
やはり最後にお水を満足に飲めなくなったわたしの記憶がトラウマになっているのでしょうか?
社員の方々は「これは『チョコの木』だね~チョコの代わりだねぇ~」と何故か安堵してました。
わたしが居た場所で生きているからといってわたしの代わりにはならないと思います。受付のお仕事が植木に出来るのでしょうか?
社長は、お客様が来たら入り口まで移動できるようにセンサー付自動走行台車に乗せて葉っぱを揺らしながら出迎るのはどうだろうか・・・と言ってました?
わたしは、植木にはわたしのように愛嬌と云うものがないので受付業務は無理なのではないかと思いました。
N様、ありがとうございました。おトしゃんは大事に大事に育てます♪
2009年05月06日
満開の桜の下の狂気
以前から、社長はなんとなく怪しいヒトだなぁとわたしも感じてましたが、やはり怪しく可笑しいとわたしは思いました♪
と云うのは早朝、「チョコ、私達の歳時記だ・・・」と引っ張り出され町内墓地の満開の桜の下で記念写真を撮りに行ってきました♪
・・・わたしはもう居ないのです・・・なのに・・・社長は例の「わたしのようなもの」を抱っこして自己写真を撮りました・・・
しかし、満開の桜の下の焼肉宴会で幸せいっぱいだったら理解の範疇なのですが、定年を超えたような薄汚れたおじさんが「ぬいぐるみ」を抱っこしてニタニタしている光景は狂気の世界そのものではないのではないのでしょうか?
世間のヒトは「気が触れた」と、近寄らなくなるのではないでしょうか?
わたしが居なくなってからのおトしゃんはやはり心のバランスが狂ってきたようです・・・・
おトしゃんはわたしの居ないお家ではジィィットしていられないようです・・・桜の下で狂ったのでついでに、山でも狂おう・・・と、二日連続の札幌台~白旗山行脚です♪
こうなると、もう怖いことはありません・・・「わたしのようなもの」を抱っこして自己写真三昧です♪
このようなことに・・・いったいどのような意味があるのでしょうか?
影・・・までもを・・・懐かしがって・・・写真です・・・
良い影になるように・・・「わたしのようなわたし」もポーズをとりました♪
ぁあああ・・この瞬間が社長の脳に閃きをもたらした・・・ようです♪
そうだ・・・二次元でも良いのだ・・・と♪♪♪♪♪
下山後に会社に戻り、プリンターで昔のわたしの写真を印刷し、切り抜いて「わたしのようなもの」に貼り付けました♪
なんと、わたしにそっくりな♪「わたしのようなもの」が居るのではないですか♪
わたしが社長の横に居るのなら・・・メモリアルコーナーの遺骨はもう不要なのではないでしょうか♪
こうなったら、何でもでも有りです♪
あっちもこっちでも二次元わたしが居れるのです♪♪♪
ぁぁ、あの注射器ご飯を頂き、「以って瞑すべき」と感謝顔のわたしですねぇ・・♪
二次元世界でしたら、わたしとおトしゃんは一緒に暮らしていれるのですねぇ♪・・・
満開の桜の下で浮かれていたおトしゃんは、「二次元わたしのようなもの」に囲まれ狂気に浮かれてます・・・
こんなのでも幸せを感じるのでしょうか?
明日から、お仕事なのに・・・・
2009年05月05日
変わらぬ暮らし・・・
お母さんは、お家に戻っても辛そうで、ぐったり横になって安静にしてます。
呼吸が苦しいのでほとんどお話も出来ません。
寂しそうなお母さんに、おトしゃんは「わたしの赤ちゃんの頃の様なぬいぐるみ」を仕入れきててジーンズを穿かせ、お母さんに抱っこさせました。
お母さんは「チョコみたいだねぇ」と言ってましたが、温もりも無く息もしない「わたしのようなもの」を抱っこしているのが虚しくなったのか5分程で疲れて関心を示さなくなりました・・・
そして昨夜、病院に戻って行きました。
今日から、またおトしゃんと2人の暮らしです。
お天気休日なので、探検隊のN支部長と札幌台登山です♪
いつものように「わたしのようなもの」をバッグに入れてよいしょよいしょと登ります♪
一休みの間もおトしゃんはしっかりバッグを抱きしめてくれてます♪
頂上では、いつもと変わらぬ焼肉宴会です・・・
N支部長はおトしゃんの健康を気遣ってくれて、いっぱいカボチャを焼いてくれました♪
「わたしのようなもの」は食べようがないので、黙ってうつむいてます・・・
下山後、スーパーに晩ご飯のオカズを買いに行き、そのついでに病院に洗濯物を届けにいってきました。
いつものように、「わたしのようなもの」は自動車の助手席でおりこうさんに待機してます。
病室のお母さんは『チョコはどうしているの?』といつものようにうっかり言ったそうです。
おトしゃんは『自動車でおりこうさんして待っているよ・・・具合よければ、下に降りて来て抱っこしたら♪』と言ったそうです。
お母さんは、『体調の良い時にね♪』と微笑んでいたと、「わたしのようなもの」に語ってくれました♪
わたしはもう居ないのに・・・、まだ、「わたしのようなもの」を必要としているのでしょうか?
お家に帰ってきた「わたしのようなもの」に、『チョコ、久しぶり登山で疲れたでしょ』と、お母さんがいつも座っていた座椅子の横に「わたしのようなもの」を安静に寝かせてくれました。
わたしは、このような暮らしから 『 のようなもの 』 を取り外したら・・・・
今までと全く(変わらぬ暮らし)なのではないかと、思いました。
わたしとおトしゃんは長いこと、ふぁふぁした暮らしのようなものの中で生きてきたからなのでしょうか?
2009年05月02日
メモリアルコーナー
おトしゃんが、いつもわたしが座っていた椅子の横にわたしの「メモリアルコーナー」を作ってくれました♪
会社からお花を少々持ってきてそれらしい感じになりました♪
とりあえずですが、お家の中での居場所みたいなものです♪
・・・・と云うことは、お母さんが連休なので病院から2~3日出されてくるのです。
わたしが死んでから2週間お母さんに内緒にしてきましたが、お家に戻ってきたら隠し様がありません・・・・
せめてこの様なコーナーがあれば、なんとかなる・・・と、おトしゃんは思ったようです。
お昼、お母さんが帰ってきました。。。
そして、わたしが居ないことを知って・・・・静かに・・・泣いてました。。。
おトしゃんはお母さんにパソコンで昔の写真を2時間も見せて説明してました・・・
お母さんは、体が辛いのをこらえて静かに見てました・・・
(2006年1月お正月にちょっとだけ帰ってきたお母さんに抱っこされていたわたしです)。
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