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2010年01月30日

春を迎えましょう♪

・・・ 『 寒 い 日 』 が続きます・・・
わたしとおトしゃんに静かな時が流れて行きます・・・

静かすぎます・・・

間借りのわたしは、「 やはり暮らしの中には華やぎや楽しみもある程度不可欠なのではないだろうか 」 とおトしゃんに提案しました。
わたしが生きているのであればお部屋をピョンピョン跳ね回るだけで賑わいや活気が満ちるのですが、今ではかなわぬことです・・・

おトしゃんは現状を鑑みて最も真っ当で効果的方法を考えました。

少し早いのですが、わたしのメモリアルコーナーの増築工事をして雛祭り風に飾ることです。

こんな事は、初めてです・・・
もっとも、昨年の今頃はわたしのメモリアルコーナーなんて無かったですからねぇ・・・

オルガン椅子を追加して、ワンワンお雛様、クリスマスカード、お花・・ BEER・・チョコウラン・・(わたし)等々おめでたい品々を並べて  『 春よ来い♪ 』 と歌ってました♪
全部、頂き物で心苦しいのですが、わたしのメモリアルコーナーは広くなり且つ賑やかな風情になりました♪

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確かに、此処だけを見ていると、春爛漫のよう・・ですねぇ♪♪♪♪
しかも、こうしすることによって、心もウキウキ春を迎える気持ちに成りますねぇ♪


ギリギリで頑張っているお母さんも 『 チョコの所を広くしたんだぁ♪ 』 と少しだけ微笑ました♪

おトしゃんは、こんな事をしたのは、六十余年の生涯で初めてだと云ってました・・・

こう云う・・事も・・これで最後なのでしょう・・・・ね。。。
 
 
 
 
 


投稿者 choko : 17:40 | コメント (2)

2010年01月23日

サヨナラだけが人生 か

昨年のお正月、体調を崩して倒れ、その後の一年間リハビリーに励んできたHさんが昨年末からの肺炎が悪化して、昨日ご逝去されました・・・

12年前に奥様に先立たれてからは一緒に暮らす家族もなく、一人でご飯を作って頑張って暮らしてました。

先月に旅立たれた同級生のOさんは15歳から48年間の親友でした・・・
おトしゃんより21歳年長のHさんとは19歳の時から43年間の親友でした・・・

・・・ 皆んな居なくなってしまいます ・・・


43年間、Hさんとおトしゃんは
 数千局も碁を打ちました・・・
 数千本のビールを一緒に飲みました・・・
 数千回、人生を語りあいました・・・

Hさんはライフワークの 「 民衆史 」 の研究をされてました。
十数年前には岩手県の一揆の研究をまとめて

 弘化四年南部盛岡藩遠野強訴覚書
    幻の老人
    切牛の万六
』 を出版されました。

『 五十年後、百年後に一人でもこの本を読んでこれらの事を思ってくれるだけで、もって瞑すべき 』 と生前におトしゃんに語ってました。


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Hさんには毎回の「 ワンワンの会社勤務 」 出版時に巻頭の言葉をお願いしてました。

前回の 「 ワンワンの会社勤務④ 」 の前書きの最後の行に、この世とのサヨナラの予感を記してありました・・・
この原稿がHさんの最後の執筆になってしまったのですね。

改めてこのブログに掲載し、H先生から頂いた御厚情への感謝とします。



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まえがき
チョコちゃん 何時までもお元気で
                   早坂基(石久隈市)No149901
 1944(昭和19)年、春から秋にかけて、私はニューギニヤ西部の孤島に居た。ニューギニヤは巨大な島嶼であって、その面積は日本の数倍はあろう。島全体はトカゲの形に似て、その首筋にあたる西部ヘルビング湾に点在する島の北方にビアク島がある。孤島とはいえ、佐渡ヶ島の大きさという。
 1941(昭和16)年暮、アメリカに挑戦したわが軍の勝利は、当初の半年より維持できず、拡大した東南アジアの戦線は、ガタルカナル島の敗北から次第に後退し、ニューギニヤ北岸を進む米軍は、圧倒的な物量作戦で日本本土に迫ってきた。
 1944(昭和19)年春、ビアク島は日本本土を守る再重要拠点として、精鋭二万の軍隊が派遣され、島の完全要塞化がすすめられた。
 五月上旬から、この島にも米軍の猛攻撃が始まり、制空権・制海権を失ったわが軍の攻撃は補給が続かず、一ヶ月余りで日本軍は完全玉砕した。全員玉砕した日本軍将兵の中に私の名前も入っていたはずである。しかし現実は違っていた。
 玉砕し果てたこの島にも生き残った兵士が居たのである。幸運にも私はその生き残りの兵の中にも入っていた。
 玉砕後も生き残った兵士のその後は悲惨であった。戦後の戯歌に 「 ジャワは極楽 ビルマは地獄 生きて還れぬニューギニヤ 」 とあった。正にそのとおりであった。
 生き残った私の体験から言えば、私達が遭遇したのは、この世の地獄であり、生死の境に喘ぐ人間の極限の生き様であった。
 八月下旬頃か、私達はビアク島北岸に居た。コリム湾の近くであろうか。部隊はすべて玉砕し果て、残った兵士も次第に消え、組織的動きは終わっていた。その頃の私は白川千代太君、樋野五郎君と三人で生き延びていた。
 私達は米軍の発見から逃れるため、日中は煙をあげず、夜間は光を遮断して潜んでいた。そして僅かな食料を求めて踠いていた。飢餓と熱病のため体重は半減し骨と皮ばかりで歩行も容易ではなかった。
 ある日、食料を探して帰ってきた樋野五郎君の両腕には、可愛い仔犬二匹が抱えられていた。巨樹の洞窟に啼いていたという。還らぬ母親をもとめていたものであろう。私達三人も暫時は心を潤したが、悲しくも冷たい現実に直面せざるを得ない。結論は決まっていた。この可愛い仔犬を食べることだ。その作業準備は私に課されていた。当然である。左手を失い (正しくは左腕を肩から吊り下げていた)、すべてを二人に頼り切っていて何もできない私が、すすんで背負うべき二人への義務であった。
 記憶は確かではない。明るい静かな海岸に二匹を連れ出し溺死させた。長い大腸がさらに長く静かく波間に伸びていた。鉄兜の鍋に仔犬の肋骨はあったが、飢えを満たすことはなかったのか、記憶には僅かに仔犬の匂いだけが残っている。悲しい出来事であった。
 数日後、食料探索に出た樋野五郎君は、忍び寄ってきた原住民の蛮刀に斬られて息が絶えた。白河千代太君は、熱病で発狂し、スコールの中を 「 嫌だ 嫌だよ 兵隊さんは嫌だよ 」 と絶叫しながら死んで往った。
 得難い戦友二人を亡くした私に明日はあるまい。それから数日、目覚めたのは原住民のカヌーの中だった。甲高い原住民の声と米兵の銃が私を囲んでいた。嗚呼!!
 それから六十年数年が過ぎた。故郷日本に帰り、老醜の身を晒しながら、何時の間にか馬齢八十歳を過ぎた。戦争は、戦後は、私には生きている限り終わらないであろう。故郷を望みながら南の島に果てた戦友の怨霊は私から離れることはない。男が生きるのに必要なものは、信頼できる数人の友人である。それが戦争から得た私の教訓である。
 福本チョコちゃんとの交誼も長い。始めは元気で布団の上を跳び廻っていたが、今はソファーに飛び上がるのも容易ではない。動くこともなく静かに居眠りばかりしている。わが福本チョコちゃんも私と同じく老いてきたのであろうか。
 老衰した私は急に立ち上がると眩暈がするようになった。そして六十数年前を想起する。ビアク島で私が溺死させたあの二匹の可愛い仔犬の事を。
 戦友の怨霊が私にとりついているように、あの二匹の仔犬の霊も私から離れないのだ。福本チョコちゃんはあの仔犬の再来であろう。そして私は独語する 。「 チョコちゃん、お互いに年をとったなあー、死ぬときもいっしょかなー・・・・これからもよろしく・・・・」。
 現在でもワンちゃんから学ぶ事は多い。あの世からのお迎えが明日であろうと、十年後であろうと、動ずることなく、ゆっくり落ち着いて、せめて一本のタバコを喫しながらこの世にサヨナラしたいものである。
                      (2008・10・16記)
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この前書きに記してあるようにHさんは二人の戦友の怨霊と戦争を背負って今まで生きてました。

戦後六十余年、未だに誰にも弔われずに孤島に眠っている戦友に遠慮し、思計り、「 自分の葬儀はいらない 」 と言ってました・・・

そして、今、彼の意思で、亡き戦友と同じように戒名もお経も無しで、彼らの元へ旅立ちました。

葬儀はHさんの意を汲んで、数人の親族による無宗教形式で執り行いました。

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やっと長い長い ハヤサカモトイさん シラカワチヨタさん ヒノゴロウさん の戦争が終わりました。

早坂さん、どうぞ楽になってください。

この後、わたしとおトしゃんは、ハヤサカさん、そしてシラカワさんヒノさんが懸命に生きていた思いを継いでいきます。

早坂さん ♪ たくさん たくさん ありがとうございました ♪ わたしとおトしゃんの最大の理解者で最高の親友で人生の師であり、そして戦友でした。

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(2003年4月)

サヨウナラ、早坂 基さん。
 
 
 
 
 

投稿者 choko : 16:20 | コメント (5)

2010年01月21日

遺児の眼差し

おトしゃんの親友のOさんが遠いところへ旅立ってはやひと月です。

Oさんのご家族様も落ち着かれた頃だろうと云う事で大昔の同級生の小樽のYさんと一緒にOさんのお家に御焼香に先日伺いました。

Oさんのお家にはOさんの遺児のラピさん(13歳)がおりこうさんにしてました。
わたしは若い頃におトしゃんに連れられて一度お会いしたのを記憶してます。

今回同行のYさんは仏前の御花を添え、そして桃色のお洋服等を持参してラピさんに着せて女性らしい気遣いをしてました♪


そして皆んなでお話をしました・・・

生きている側のおトしゃん、Yさん、Oさんの奥様、Oさんのお母様、ラピさん・・・
あちら側のOさん、わたし・・・で・・・


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ラピさんはおトしゃんの服をクンクン嗅いでました。何年も洗っていない背広にはわたしの匂いが染込んでいますからねぇ・・・

おトしゃんはラピさんにナデナデをしながらあれこれ話し掛けてました。
久々の「生ワンワン」との会話ですからねぇ・・・

。。。。。。。
。。。。。
。。。

帰りがけ、ラピさんは黙っておトしゃんの目を無垢の心で見つめ続けてました・・・

おトしゃんにラピさんは、何を伝えたかったのでしょうか?

二人は、数分間見つめあってました。


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おトしゃんは、OさんとOさんの遺児ラピさんとが重なって見えた・・・と云ってました・・・


 あの眼差しは最後のお別れの時のOさんの眼差しだった・・・
 Oさんがラピさんの目をとおして心を伝えてくれた・・・

と。感動してました・・・


わたしは、わたしの経験に基づいて違うのではないかと考えました。
おトしゃんに、おやつをねだっていた眼差しだったのではないのでしょうか?
 
 
 
 
 


投稿者 choko : 05:50 | コメント (0)

2010年01月16日

失われた記憶

パソコンの隅っこから昔の写真が出てきました♪
おトしゃんはパンダの帽子を被ってます。

日付を見ると2006年の1月10日でした・・・

ここは、何処の山なのでしょうか?

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(2006年1月)

どなたが写真を撮ってくださったのでしょうか?

おトしゃんは何をしているのでしょう?
バッグからわたしを出して毛布を敷き直しているのでしょうか?


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(2006年1月)

おトしゃんは4年前の事なのに全く記憶が無いと云ってます。

やはり、わたしと一緒に生きていた頃の記憶がドンドン失せてきているのでしょうねぇ・・・

手作りで編んで頂いたパンダ帽子も今は見あたりません?この時に紛失したのでしょうか?
この時の緑色のストックもこの時のここの山に置いてきたのでしょうか?
そして、記憶も一緒に 『 この時 』 に消えたのでしょうか?


どう考えても、あの時の頃と、今の時間今のわたし達が連続しているとは考えられません・・・

もしかしたら、あの頃のママ、何処かの山で、わたしとおトしゃんは彷徨いているのでしょうか?

お家に戻ってきたのは別物のわたし達ではないのでしょうか?
そう考えるとつじつまが合います♪

きっと、いつか、どこかの山で、あの頃のわたしとおトしゃんに会えるのかなぁ・・・
 
 
 
 
 


投稿者 choko : 18:07 | コメント (1)

2010年01月11日

冬山に休日出勤・・・

本来であれば今時期は、雪山秘境探検隊の新年雪山頂上焼肉と湯豆腐の(BEER付)大新年会のはずなのですが今年は参加者が居ません・・・

あたりまえです・・・めんどうなので誰にも・・・開催を告げていないのですから・・・
予定無しでも、付き合ってくれるN北方支部長は風邪で体調が芳しくなくて安静に臥していて不参加なのです。

それでもメゲないおトしゃんはわたしを連れて一人で新年の挨拶に冬山に向かいます。

一昨日も昨日も今日も8時~12時まで毎日冬山に出勤しているのです♪
三連休で暇なのです♪

こうして、背や肩に荷物を載せて喘ぎながら一歩一歩進むのです・・・
わたしと云う命を抱えて一歩一歩進むのです・・・

バッグの中のわたしは、何故か 『 優しい気持ちになり 』 何時もこのように目を閉じて心地よく揺られてました♪

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(2008年1月)


誰ぁれも居ない冬山は死と隣り合わせの危険な空間なのではないのでしょうか?

足を傷めたら、もうお終いです・・・
滑落したら、お陀仏です・・・
わたしと似て、心臓の調子もよろしく無いのです。おトしゃんは自分の心臓が止まったらどうする気なのでしょう?
わたしと似て、方向音痴のなのです。おトしゃんは吹雪いたら帰ってこれなくなってしまったら何とするのでしょう?。

にも拘らず、お家で黙っていると気が狂いそうになって、ジッとしていられない・・と、こうして家出をして山中を彷徨しているのです・・・


・・・何で?わざわざ?こんなアホらしい事をし続けるのでしょうか?


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お手手も冷たくなり、お腹も空いてきて快適な生存が困難になってくるギリギリの状況に成ってくると・・・さっさとお家に帰って、温泉入浴剤含有の熱っ熱っお風呂に浸かり、冷ぇ冷ぇビールで水分補給しなければ・・・と考えるのです♪

つまり、こうすることでお家がこいしくなるのです♪

おトしゃんは頂上で一呼吸おいたら、必ず声を掛けます♪
『 チョコぉ・・お家に帰るよぉ・・・』 と。
わたし達が暮らしていた・・お家に。


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何とかお昼までに帰宅でき、ご飯の仕度も終えました♪

食器戸棚のガラス扉には体操のようなポーズをとっているお母さんが映ってます。
体が弱って立ち上がって歩く事も辛くなったお母さんが戸棚に捕まって自主訓練をしているのです♪
もう、3ケ月も病院に行けなかったので、何とか連休明けには診療を受けに行くためなのです。
でも、ケホケホゴホゴホと激しい咳等で数分間がやっとです・・・

ぁぁお母さんは、命のギリギリのところで頑張っているのですねぇ~♪


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閑も余裕もいっぱいのようなおトしゃんは、きっと(ギリギリ生きている感)を実感したくて山に出勤するのでしょうか?
そして、困難に負けないように精神を強くしようと目論んでいるのでしょうか?

おトしゃんは 『 No 』 と云ってました。
こうして冬山を彷徨いていると 『 優しい気持ちになれるような気がするんだよぉ・・ 』 と。

でも、何時も休日出勤しているこの辺は、お子様や幼児様が 「ソリ遊び」 をしているような山なのです・・・

正直に、「冬山のような所」 と言えないのでしょうか?
なにせ、3~4時間で行って帰ってこれるのですから・・・・

 
 
 
 
 


投稿者 choko : 17:20 | コメント (1)

2010年01月10日

風景社印・株式会社福本工業

都市秘境作家のA先生は昨年から風景印研究家としても活躍されておられます。
今年は会社の風景印、つまり風景社印を研究した御本を出版される予定とかで、昨年4月までわたしが勤務していた㈱福本工業にも原稿の依頼がありました♪

おトしゃんから 『 チョコの出番だよぉ~ 』 と声をかけられ、A先生のお手本原稿を参考にしておトしゃんと一緒に原稿のサンプルのようなものを作ってみました♪

以下 サンプル原稿のサンプルのようなものです。
 
 
 
 
 

企業名   株式会社 福本工業
代表者   福本義隆
住所     札幌市白石区平和通17丁目北3-24
社員数         5名
創立年         1986年
主な製品・業務    建設業用パッケージソフト 「The見積当番」  建設業用SaaS 
URL            http://www.fukumoto.co.jp        


(風景社印)
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(会社ロゴマーク)
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(社屋)
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私共の会社の地域周辺には、訪れる人が滅多に居ないと言ったら失礼ですが「ノーモアヒバクシャ会館」や「白石亭」など物悲しい佇まいが感じられる、都市における秘境と云うに相応しい場所がたくさんあります。

会社の事務所と云うのは、本来であれば人通りが多い賑やかな場所で、ハツラツと元気に営業しているものなのでしょうが、当社も当社周辺も行き交う人も無くシーンとしてます。
静かであると云うのも捨てがたいもので、わたしも朝晩には会社周辺をのんびりと散歩をしていたものでした。

そんな中での一番のお気に入り散歩コースが風景社印に画かれているこの場所なのです。

そこには世にも珍しい北海道開拓時代の土管の墓地があります。
今にも宇宙に飛んで行きそうな土管で作られたロケット型のお墓なのです?

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このロケット型のお墓や十字架お墓の奥に、守られる様に囲まれた広場の真ん中に直径十数メートルの円形状に樹木が植栽されてます。


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この円形樹木植栽をわたし達は、「ウッドサークル」と名付けました。
この謎の「ウッドサークル」の周辺には巨大な土管が東西方向、南北方向と埋められていてその土管の中心にも樹木を植えた痕跡が見受けられます。
誰が?何のために?これほどの大掛かりな事をしたのでしょうか?この精緻な構造、天に何かを伝えるが如くの配置、このような造形は伊達や酔狂で作ったものとは思われません。

謎のこの空間は、主として樹木と土管で構成してあり、当時としても経費や労力は過剰にならないように配慮した感はありますが、人生を共に暮らしたかけがえのないどなた様かの死を悼んで作った、ピラミッドやタージ・マハルのような霊廟のようなものなのではないのかと私は推察しました。

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ある秋の日の夕暮れ、会社からの帰宅途中にここを散歩してました。

夕暮れの寸前、黄金に輝く夕日に照らされた瞬間、言葉には言い尽くせないような至福に包まれた感じになりました。悠久の自然に対する懸命に生きてきた開拓時代の皆さまの畏怖の念が天に通じているのでしょうか?

あの夢のような光景の記憶の風景社印を持てることは、ありがたいことです。


(文 福本チョコ 翻訳と写真 福本義隆)
 
 
 
 
  


投稿者 choko : 17:02 | コメント (2)

2010年01月07日

天上から光?

実は昨年12月頃から社長は人生の狭く深い部分で悩んでました・・・
社長は趣味を仕事としている超幸せなヒトなので今までは悩んでいた社長を見た事が無かったのです♪

原因は、自分が趣味で作っているプログラムが思うように動作しないという、本人以外はアホらしい様な、辛い悩みだったのです。
傍目からは取るに足らない事のようですが本人はこの部品が意図したように動作しないと先の人生が画けない・・・と・・・大げさに深刻ぶり、陰陰滅滅悩悩なのでした・・・

朝昼晩食前食後就寝中登山中入浴中と何時も考えてましたからねぇ~

それが、なんと♪今晩のご飯仕度中に解決したのです♪
豚汁(水から野菜を煮て出汁を使わないおトしゃん自慢のブタ汁)とモツ煮(青森ニンニクたっぷり+日本酒)とホウレン草のおしたしを調理しながら食卓上のコンピュータでヒラメイタのです♪
(万歳万歳万歳万歳万歳万歳)♪


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この至高・・・自分の思考の枠にハマった自分が抜け出せた事の歓喜♪ ぁぁ♪♪♪♪♪♪
天上の光を感じたと云う事は、めげないで、・・・思考と試行を・・・延々・・・と続けていたからなのでしょうか・・・

(わたし)も当然、横で 「 伏せ 」 をしてお付き合いしてました♪

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目が良くないおトしゃん用の大画面ディスプレイの前で・・・おトしゃんを励ましていた(わたし)を写すほど、おとしゃんは嬉しかったようです。

以前も、わたしが社長の目の前でドッシリと構えて励ましてましたからねぇ♪

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(2008年3月)


『 これで・・・前に進める 』 と・・
老いてきた・・おトしゃんは人生を山登りと同じように考えているのでしょうか?♪
でも、もう下り道でフゥフゥと空を仰いでいるのでが現実なのではないいのでしょうか???

わたしは、おトしゃんの気持を理解します・・・
お母さんのご飯仕度をしながら、・・・そして・・・その後の人生に・・・浮かれて生きられ続けられるテーマは・・・こう云う様な好きな事をすることなのではないのだろうか。と云う事を。

今夜のおトしゃんは缶ビール(350cc)を5本も頂いて浮かれてました・・・
その後・・・の人生の形がボンヤリと見えてきたのでしょうか♪
もう居ないわたしに「チョコぉ・・・希望が見えたよぉ・・」と言いながら・・・

こんな事で歓喜している社長は、お金がかからないヒトなのですねぇ♪

わたしには解りませんが、これはお仕事に役にたつ事なのでしょうか?
社長は「私がおもしろければ良いのダ」、「だから続くのダ」、「これを無料で提供して巷で喜ばれたら良いのダ」と浮かれ続けてました。


少しでも希望が見えると、明日以降も生きることが楽しく有意義に成る事でしょう♪・・・
しかも、わたしがおトしゃんのすぐ傍で応援しているのですから♪

 
 
 
 
 

投稿者 choko : 17:48 | コメント (1)

2010年01月02日

謹賀新年♪

お正月なのですが、わたしのお家ではちっともおめでたく華やいだ雰囲気が感じられません・・・

おトしゃんはせっかくのお正月なので

① お世話になっている皆さまに感謝の気持ちを伝えられて
② ご長寿の願いを込められて
③ お正月らしく気持ちがありがたく華やぎ
④ 費用もかけなくてすむような

良い方法は無いだろうか?と考えてました。


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一石四鳥の妙案を考えつきました♪

① 頂いたお花や鉢植えを背景にして
② 昨年初冬から咲き続けている健気でご長寿なチョコウランの枝に
③ わたしの顔写真をお花に見立てて貼りつけて華やぐのです。
④ 材料はセロテープ10cmのみです。


おトしゃんは、もっともっとわたしの顔写真をお花のように貼りつけようと思ったようでしたが・・・度が過ぎると不気味に成るかもしれないと・・常識的判断をしてました。

咲き誇る紅白のお花の饗宴♪
お花のように可憐なわたしの顔写真♪

ぁぁ・・何もなかった殺風景で寒々としていた壁にお正月が来た感じがするではありませんか♪

これを見たら、お母さんは微笑を浮かべるはずとわたしは確信します。。。

ちょっとの工夫でこれ程までに明るく楽しいお正月が過ごせるものなのですねぇ♪

 
 
 
 
 
 
 

投稿者 choko : 16:39 | コメント (3)