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2010年02月28日
上を向いて生きられた最後の頃・・
『 一年前のわたしは・・・ 』 なんて言えるのも、あと一月半あまりです・・・
昨年の2月28日の写真です。
言うまでもなく、お部屋が散らかってます。
テーブルの上にはわたしの心臓のお薬、怪しげな自家製瓶詰め、圧力鍋の錘・・・
床では、おトしゃんの食べ残しおかずを圧力釜で高圧殺菌して瓶詰めを作っているのです。
わたしのポリポリご飯も無造作に置いてあります・・・
そうなのです・・・あの頃は、このような足の踏み場も無い様な劣悪な環境の中でも、わたしとおトしゃんは懸命に生きていたのです♪
ご飯を作り、それを頂き、生き続ける事が最優先の暮らしでした・・・
この頃までは何とか自分でご飯を頂くことが出来ていたのです
おトしゃんは何で、このような悲惨な状況を写真に撮ったのでしょうか?
日々、弱っていくわたしを不憫に感じたのでしょうか?
あの時
おトしゃんは、万感の思いを込めて 『 チョコぉ 』 と声をかけてくれました・・・
体調が優れなかったわたしでしたが、日々の暮らしやご飯支度に疲れている様なおトしゃんを励ましと感謝の心を込めて 『 なぁにぃ・・・ 』 と見上げました。
この時が、わたしが上を見上げて生きて居れた最後の頃だったのです・・・
今、思い返すと2009年2月は、わたしが寝込まないでやっていけた最後の月だったのですねぇ・・・
最近、空を見上げる事が少なくなったおトしゃんは、この写真を見て 「もう少し自分も頑張らなくては」、と思ってくれると良いのですが♪
2010年02月27日
光の春の記憶・・
先日、バッグに(わたし)を積んで登山をするのを止めると決意し、ケジメをつけたおトしゃんは一人で白旗山登山です♪
文字通り「肩の荷」を下ろしたので、スーパーのBGMでおぼえた「ひな祭りの歌」を歌いながらの登山です♪
頂上近くの急斜面にさしかかりました。ふと、足元を見るとカンジキの跡に添ってワンワンの足跡が微かについてました・・・
わたしもおトしゃんも電撃に打たれたように記憶がよみがえりました。そういえばこの場所は5年前のあの時に、この事は絶対に忘れないであろうと思った此処での記憶だったのです。
・・その時に・・・未来にこの情景を思い出す事を、自覚して記憶したのです♪
あの時の写真と言葉です♪
『
ふと、後ろを振り返ると、点点と、私のポツポツ足跡とでっかい社長のカンジキベタベタ足跡が雪に刻まれてました・・
何か・・私たちの生きた証のようでし た・・雪が消えたら無くなる・・でも、この足跡の記憶を何故か何故かわたしは絶対に忘れないような気がしました・・
』
(2005年4月)
あれから5年・・・・あの時の情景が此処によみがえったのです♪
・・・
頂上で記念写真です。
これからは、わたしのぬいぐるみを連れて山登りには行かない、と決意したはずのおトしゃんなのに・・・今度はわたしの写真を持参です♪
『チョコぉ・・頂上に着いたよ・・』と言いながら・・・
どうしても、わたしと一緒に山登りをしている気分に浸りたいのでしょうか・・・
記憶とは厄介なものですねぇ・・・・
辛い時の記憶ほど甘やかな思い出となってよみがえるのですから・・・♪
その記憶を薄めるように
蒼い2月の空から光が静かに降りそそいでます・・・
・・・近くで、春が微笑んでます♪
2010年02月20日
けじめ
朝ご飯の仕度を終えたおトしゃんは(わたし)をバッグに詰めて、札幌台登山の準備です♪
寒くないようにと、毛糸のフード付き防寒コートをしっかりと着せてくれました♪
ちょうど一年前の時と同じ様に、ガソリンストーブ持参で焼肉登山を計画したのです♪
あの時、おとしゃんは、これがチョコと一緒の焼肉登山の最後になるだろうと判っていたそうです・・・
防寒長靴、スノーシュー、ストーブやら食料等々が装備でしたねぇ・・・
そして、バッグ入のわたしも焼肉登山の定番でした♪
そして、わたしがこの世に居なくなった今年も、(わたし)を連れて同じように近郊低山秘境探検隊N北方支部長と山に向かうのです♪
あの頃の様に、よいしょ、よいしょと、わたしを背負って登るのです・・・
どうしても、この時期この場所で、わたしと一緒に再び登りたかったのです。
何度も何度も通ったわたしとおトしゃんの実家のような山でしたからねぇ・・・
頂上に着いてびっくりしました・・・
なんと云う偶然でしょう、わたし達の山登りの恩師でもあるS本部長もスキーで登頂していたのです♪
この奇跡のような事に、おトしゃんは『チョコが出会わせてくれたのではないか?』と俗っぽい表現をしてました♪
わたしが最後にお会いしたのはわたしの修学旅行でニセコ山荘に行った時から一年半ぶりです・・・
S本部長はバッグの中でおりこうさんにしている(わたし)を見て『チョコに似ているねぇ♪』と褒めてくれました♪
さっそくテントの中で焼き肉を皆んなで頂きながら談笑です♪
おトしゃんの手はわたしにお肉を食べさせようと無意識に動き出しそうです・・・
テントの中は、一年前の時間と空間がそのままで続いているのです・・・
お肉が美味しそうに焼け・・・冷たいビールを頂き・・・楽しい仲間とお話をし・・・
そして、わたしも居るのです♪
何一つ変わっていないのです・・・・
これからはもう二度と無いおトしゃんの至福のひと時だったのです♪
帰り道、
間借りのわたしにでしょうか?
バッグの中の(わたし)にでしょうか?
ぶつぶつ言ってました
『
一年前に、ここに登ったのがチョコとの最後の登山になってしまった・・・・
そして、今日のチョコとの思い出登山は記憶の中に大切にしまっておこう・・・・
チョコと一緒の登山は、これでお終い・・・
これで、けじめとしないと・・・・
』
何事にもあきらめの悪いおトしゃんですが、
さすがに
自分の心にけじめをつけたいのでしょうねぇ・・・
2010年02月13日
悟・・・
不思議なもので、生き物には自身の命の先を明確に悟る瞬間があるのかもしれません・・・
わたしが・・・そうでした・・・
昨年の今頃、わたしがこの世でおトしゃんと一緒だった最後の二ヶ月の頃でした・・・
確かに、あの頃は心臓やら足腰やらも辛くなり走り廻る事も無くゆっくりと時間をかけての何時ものようにお家の周りの散歩でした・・・
なのに、何時もと異なる感覚におそわれました・・・
眩暈がして、体が左側に傾いたママ歩いてしまうのです・・・
四本の手足でしっかりと大地を踏みしめて今まで生きてきたわたしの自信がゆらぎました・・・
わたしは、背筋を伸ばして真っ直ぐな姿勢で歩いていたつもりだったのに、体はわたしの精神とは別の存在のようになってしまったのです・・
わたしは、焦りました・・・、何故か、わたしが今までのわたしでない別のわたしに成ってしまうように感じました・・・
わたしは、心の中で、ァァァ・・・と叫びました。
ハッと、我にかえって姿勢を立て直し、転ばないですみました・・・が・・
ベテランワンワンのわたしが歩いていて転びそうになったのです・・・
わたしは、この老いの事実に驚愕しました・・・
目の前の雪道をこうして歩いているこの事実が、とてつもなく、ありがたいことで、このようなありがたい事も、そろそろお終いなのではないだろうか・・と。
わたしは、佇んで、考え続けました、そして、悟りました・・・・
ぁぁ・・・この世は、そういうものなのか、と。
何時までも、おトしゃんと一緒に居られないのか・・・と。
悲しいけれどしかたがない。
終が近づいて来ているのだろうか・・・
ならば、せめて、春まで頑張れないものだろうか・・・と。
・・・・あれから、一年。また、春がめぐってきます。
2010年02月06日
一年前の2月6日・・・の記憶・・・
おトしゃんは、次第に壊れる方向に向かっているようです・・・
自身が死ぬ頃には、「甘やかな記憶よ蘇れぇ・・」と願って生きてきたはずなのですが・・・自身の記憶自体が怪しくなってきたようです。
わずか一年前の事すら思い出せない体たらくのようです。
以下、一年前の今日の写真です。
この写真は、厳寒の夕刻、お家の周囲を散歩している様子です。
おトしゃんは、あの頃にギリギリの状況の中で必死で生きていたわたしを写して記憶に留めようとした写真なのでしょう・・・
次の写真は、疲れきって起きていられなくなり、横になって辛そうにしているわたしに風邪をひかないようにタオルを掛けてくれたのでしょう。
わたしの、スースー寝息姿を甘やかな記憶に留めようと思ったのでしょう。。。
同じ日に写したこの写真はどのような意図で写したのかおトしゃん自身の記憶に全く無いそうです・・・
写真を拡大して見たらスーパーで購入した110円の「粒あんおはぎ」のようです、そして定番のビールとわたしです???
昨年のこの日のこの写真を撮っていたおトしゃんは何を記憶に残したかったのでしょうか?
肝心のおトしゃん自身が全く憶えていないのです??
キット、それなりの大事な意味があるのでしょうけれども、本人が解らなければ救いようがありません・・・
勿論、わたしの記憶にも残っていません・・・
どうして?おはぎとビールとわたしなのでしょうか?
一年前のおトしゃんの心はこの写真を撮る必然があったはずです・・・なのに・・・今日のおトしゃんには・・・あの時の心と記憶が失せてます・・・
この調子では・・・
人生の最後の頃に、「甘やかな記憶よ蘇れぇぇ・・・」と意図していたのが裏目に出るのではないでしょうか・・・
おぞましい記憶やバカバカしい思い出でばかりがしっかり残り、甘やかな記憶は失せてしまうのでしょうか?
一年前の『頃』が・・・ずいぶんと遠い過去の『あの頃』になってきたのでしょうか?
わたしと懸命に暮らしていたあの頃の記憶も遠のいてしまうのでしょうか・・・
コンピュータのメモリーと違い、記憶は薄れていくのです・・・
一葉の写真にも、爪句のように心情を添えないと。・・・♪