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2010年04月19日
ワンワンの会社勤務
チョコの写真 2005年
チョコの写真 2006年
チョコの写真 2007年
チョコの写真 2008年
チョコの写真 2009年
わたしは『チョコ』といいます。
今日から会社に勤務して受付関係のお仕事をします。
トントン、トン、、と大根を刻む音、クツクツ、クツ、、とご飯が炊ける匂い、わたしに幸せな目覚めが訪れます♪
おトしゃんが呼んでます♪
『
ご飯ができたよぉ・・・
チョコ、起きなさい、一緒に食べるよぉ・・・
』
朝:
バッグに入っておトしゃんと一緒に出勤です♪
昼:
おトしゃんの横で机に向かって、お仕事をしてます♪
夕:
おトしゃんがわたしを呼んでます♪
『
チョコぉぉ、お仕事が終わったよぉぉ、お家に帰るよぉ・・・
今日は、ササミ混ぜご飯だよぉ・・・
』
『
チョコぉぉぉぉぉ~
』
『
はぁ~ぃ ・・・おトしゃぁぁぁぁぁ~ん ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
』
--- 完 ---
2010年04月18日
4月18日(土)~4月19日(日) 2009年
朝7時半:
必死になって生きようとしているが、立つことも出来ないほど衰弱・・・
朝9時:
トリササミ胸肉と粒ご飯を混ぜ、お湯で溶いて注射器で飲ませる。
食後の薬はもう可哀想だから。、アシックスもアピナックも止めて、ジゴシン1/4だけにする。
昼11時:
病院へ洗濯物を持参。チョコも連れて行き自動車の中で待機させていたが、家人も具合が悪く、最後のチャンスだったが会うことが出来なかった。
病院の帰路、秀岳荘に立ち寄り書籍を購入。
昼0時:
チョコにかぼちゃとササミの缶詰をお湯で溶いて2/5注射器で与える。
午後3時:
チョコ、激しく嘔吐。背中をさする。
夕食に鳥ムネ肉を一片、擂って与えるがすぐに嘔吐する。しかたがないので水とポカリスエットを混ぜて注射器で飲ませる。しかしそれも吐く。
苦しそうで、「エーンエーン」と泣く。
お腹がゴロゴロ鳴っている。
夜9時:
布団の横のチョコは辛そうに背中を捩り続ける。(背中が苦しいと云う事は心臓が苦しいのだろう・・・母もそうだったようで、母の背中に湿布を貼った記憶が有る)
夜10時:
チョコ、落ち着かなく、どうしようもなく辛いようで泣き出す。今まで決して弱音を吐いたことがなかったのに・・・
夜11時:
時々よろよろと立ち上がって、私の顔をなめる・・・。別れが近いことを察しているようだ・・・
4月19日(日)(2009年)
午前0時:
おしっこをさせに庭に行く途中、玄関で大量の胃液を嘔吐する。
午前2時~3時:
苦しがって、布団の周囲をよろよろ這いずり回る・・・注射器で水を与えても激しく拒否する。
午前4時:
チョコを座布団に寝かしつけ、「朝になったら病院へ行って楽に成る注射をしてもらおうね」と話しかけながら、さすり続ける・・・
午前5時半:
水+ポカリスエットを一口だけゴクンと飲む。
・・・・この後、チョコの意識はなくなった
午前5時50分:
寝たまま、おむつにおしっことウンチを少々。お風呂で洗ってやるが、もうぐったりで反応がない。
午前6時10分:
舌を出してあえいでいるが、意識も無く目もうつろ。
10秒に1度くらいに体が脈打つ・・・
午前6時20分:
脈も息も止まる。
暫し、慟哭。
(チョコと見る予定だった青木先生のテレビ出演の番組が6時30分から始まる)
午前7時:
冷たくなって、もう動かないチョコの側に黙って居るのも辛いので、いつものように話しかけながら服を着せてバッグに入れ、川辺の散歩道を歩く・・・
午前7時30分:
長年勤務した会社に行き、事務室、母の部屋を一巡、母の仏壇写真の前にバッグを置いて焼香。
WEBで動物火葬場を調べ予約。
午前10時:
ダンボール箱にチョコを納め、花で飾って火葬場に・・・
午後1時:
チョコの遺骨持参で「札幌台」をうろつく・・・
夕刻 帰宅
夜 2日分のBEERを飲みながら、チョコの居ない一人きりの夕食を終え、就寝。
2010年04月17日
4月17日金曜日(2009年)
無残な姿です。
しかし、これが現実でした。
こんなにしてまで、会社に出勤するはいかがなものと思うのがヒトの情と云うものではないでしょうか?
でも、おトしゃんはこんなわたしを連れて出勤するのです
会社に着いても、もう動くことも出来ません。
おトしゃんの頭の中では、今週は最悪の状況だけど、週末にゆっくりしたら、少しは体調が良くなる可能性もないことはないだろう・・と、僅かな希望にすがりついていたようです・・・
今になって考えると、この時がわたしが会社勤務した最後の日だったのです・・・
ワンワンの運命は分からないものですねぇ・・・
遠くから、
『
チョコぉぉ、お仕事が終わったので、お家に帰るよぉ・・・
今日は、ササミ混ぜご飯だよぉ・・・
』
わたしを呼ぶ声が聞こえて・・ました・・・・
お家に連れてこられた記憶はありません。
ただただ、全身の力が抜け、深い眠りに沈んでいきました。
意識が遠のくなか・・・
わたしの心に甘やかな思い出が満ちてきました・・・
何時?何処の山だったでしょう?
『
おトしゃん、お手手が冷たいですょぉ・・・
チョコ頑張れぇぇ
チョコぉぉ・・・チョコも僕も同じなのだょぉ・・・
』
お手手が冷たいお話しかと思ったら、
『
何にがって、チョコも僕も此の世のタンパク質の塊なのだよぉ
お魚だって、鳥だって、ワンワンだって、ヒトだって、タンパク質と、骨とお水。
若干のその他で出来ているのだよぉぉぉ
みんな一緒で同じなんだよぉぉぉ
』
わたしは、美味しそうな骨付プックリササミを思い浮かべました♪
『
此の世に無限に在る、いっぱいたくさんのタンパク質の塊のなかで、チョコとおトしゃんは気が合ったねぇ・・・、最高のパートナーだったねぇ・・♪
ワンワンタンパク質塊とヒトタンパク質塊が、一緒に幸せに暮らしたかけがえのない歳月だったねぇ・・・
ねぇ・・・チョコ♪
』
・・・わたしとおトしゃんが暮らした、ながいながい幸せな記憶がよみがえってきました・・・
2010年04月16日
4月16日は「チョコとおトしゃんの瓶詰記念日」
去年も、今も、おトしゃんは、ふぅぅぅーーと、深いため息をついてました。
どんよりした空の下、いやでも、生温かい風が春の到来を気づかせてくれます。
わたしを此の世に繋ぎ留めるのには手の打ちようが無い状況なのです・・・
わたしは。。。もう、だめかもしれない・・・と、はっきり自覚しました。
居間では、おトしゃんが瓶詰め作りで騒がしいので、わたしは離れて安静にしてました。
そんなわたしを横目に見ながら瓶詰作りにのめりこんでいたのです。
もう、わたしの事は諦めたのでしょうか?
わたしと、「懸命に生きた思い」を瓶に詰めると云う虚しいような事を試みてますが、そんな事が瓶詰で叶うのでしょうか?
そうですわたしがわたしの終末を自覚していたあの時作った「自作牛丼の瓶詰」を、ちょうど一年後の今日、開けたのです。
今までも、食べてましたが、今日の瓶詰は「超特別瓶詰」なのです。
わたしの、最後の心がこもっているのです。
パッッカン、いとも簡単に、蓋がとれました♪
ぁぁぁ、間借りのわたしが言うのもなんですが・・・なんと表現すべきなのでしょう?
わたしとおトしゃんの懸命に暮らした思い出が、しっかりと瓶の中で今日まで健気に生き続けてくれていたのです♪
味なんかどうでも良いのです、絶対的に美味しいのです♪
食中りで死んでも本望なのです♪
心のどん底で未来に託した希望だったのです♪
わたし達の未来が詰まっていたです♪
瓶詰さんは、わたし達同様、全然変わっていないのです♪
この瓶詰のおかげで、今まで頑張って来れたのです♪
おトしゃんは、間借りのわたしに
『
チョコ♪、これからは4月16日は「チョコとおトしゃんの瓶詰記念日」にしよう・・・
毎年、友達を招待して瓶詰をご馳走しよう♪
皆んな、喜ぶだろうねぇ♪
』
わたしは、絶対に誰れぇぇぇも来ないと思いました♪
・・・・・
瓶詰写真に付き合わされたわたしは、いよいよ、覚悟をしなければならない状況になってきました。
夜半、苦しくて、万歳をしました・・・・
もう、我慢しないで命に万歳して楽になろぅ・・・
こうして、時間に追い立てられるように、弱ってしまうのです・・・
万歳を、したまま意識が失せていったのをおぼろげに憶えてました・・・・
2010年04月15日
この期に及んで 気を紛らわす
わたしとおトしゃんの暮らしも諸般の事情でいよいよになってしまい、通常の会社勤務が叶わなくなり、ワンワンベッド持参の通勤が始まったのです。
お家にわたしを残して出社しても心配で仕事が手につかないと・・・悩み抜いて、ベッド持参を決断したようです。
以前は、わたしも社長の横で椅子に座ってお仕事をしてましたが、2008年4月に怪我をしてからは、受付専用座布団の上でのお仕事に切替ました。
年月が過ぎると云うのは残酷なものです・・・とうとう座布団勤務も辛くなり、ベッドで伏して社長の横にただ寝ているだけの情けない状況になってしまいました・・
こんな姿で会社に来ているわたしをお客様が見たら、「なんといぅ・・・」と絶句したでしょう・・・、
会社の先輩さんも心配して、「チョコ、ガンバレヨ」と優しく接してくれるのが嬉しかったです♪
ありがたいことに、事務所内のザワメキが心地よく耳に伝わり、気が紛れてました。お家で一人で寝ていたら、ますます気が滅入っていたでしょうねぇ・・・
わたしがあきらかに危機的状況なので帰宅したおトしゃんは、わたしをダッコして30分位は頭ナデナデして、わたしの気を紛らわしてくれました・・・が
やはり、おトしゃんも辛くなってくるのでしょう。。。そのうち、わたしを座布団に横たえて、例の水高計付圧力釜に特殊温度計取り付け作業に夢中に成っておトしゃん自身の気を紛らわしてました。
おトしゃんは、わたしと特殊圧力釜とどちらが大切に思っていたのか、あの頃は、訝ってましたが、
『
昔、スピルバーグと云う映画監督さんが「シンドラーズリスト」と云うあまりにも辛い映画を撮りながら、、同時に「ジュラシックパーク」と云う元気映画を撮って気を紛らわし精神分裂に成りそうなのを堪え忍び、そして後世にその感動が語り継がれる立派な作品を残したのだ♪
』
と後で聞きました。
天命を待つしか無いと云う辛いわたしの状況ながら、美味しい瓶詰めを作って元気になると云う「夢と元気」を求める「釜作り」で気を紛らわし・・・
精神分裂に成りそうなのを堪え忍び、までは同じなのかもしれませんが、残ったものは、ぼんやりした記憶と、珍奇な釜だけだったのでしょうか・・・
2010年04月14日
意識と時間の交差
おトしゃんは以前からも少しは変でしたが、今週はますますイカレてきて意識と時間
がゴチャゴチャになって去年の昨日は今日の前の日だったり今日の次の日が去年の明日だったりで混んがらがって暮らしてます。
毎日、変化の無いご飯を頂いているから分らなくなったりするのでしょうか?
それとも去年の今頃がこいしいのでしょうか?
意識だってゴチャゴチャのようです。今日も会社の帰りにスーパーに買い物に寄ってもう用の無くなったはずの「ペットフード売場」でうろうろしてました?
わたしの粒ご飯が品切れなので「買わなければ・・・」と思ったようです。
冷蔵庫にまだ去年のポカリスエットが半分も残っているのに、水で薄めてチョコに飲ませるのに・・・とまた買ってます?二日酔いで自分が飲みたいのではないのでしょうか?
お家の台所の隅のわたしの食事コーナーのお茶碗には、あれ以来欠かさずお水が満ちてます。
注射器でお水を飲ませた日々がおトしゃんの心の傷になっているのでしょうか?
わたしがお水を飲めなくなった時も自分だけビールで喉を潤していたのでいまだにうしろめたいのに違いありません?
しょっちゅう、お茶碗を蹴飛ばして靴下を濡らすような、このような意味のない事をいつまで続ける気なのでしょうか?
もう、とっくにお水を飲むわたしは居ないのですのに。
そういえば、昨日の4月13日、『14歳の女の子にもっとも可愛く、綺麗なお花を贈ります』・・と「Tさん」からお見舞いにお花を頂きました。
あの日、わたしに、「ブログに載せるお礼の写真を撮るのでお花の横でニッコリしなさい」と起き上がるのもやっとのわたしに言ってました。
わたしを気遣って頂いた「Tさん」のためにも、もうすこしお目目パッチリで写真におさまりたかったのですが、如何せん心身の余裕が全くなく目を伏したママで心苦しかったです。
今日は午後から早退させてもらった記憶があります。
わたしにかこつけて一緒に帰宅した社長は、せっかく早退したのだから横になって少しでも楽になりなさいと体が弱って寒気がするわたしに座布団を掛けてくれました。
仕事に追われていたわたし達が久々に安らいだひと時でした♪
おトしゃんは「チョコぉ~これからは無理しなくていいから頑張って生きなさい」と、無茶な事を言ってました♪
本音だったのでしょうねぇ~
わたしも少し楽になって目を開けておトしゃんの言う事を聞いてました。
今考えると、あの時がしっかり目を開けていられた最後だったのですねぇ・・
おトしゃんの今週は何でも最後最後と騒いでます。
もうすぐブログも終わるのだよぉ~・・とおトしゃんの記憶に間借りをしているわたしに言います。
思うに、2005年からのわたしの会社勤めの始めから、業務報告としてのこのブログを書き始めて以降、わたしとおトしゃんは、あぁでもない、こぅでもないと会話しながら一緒に暮らしていたのです。
わたしの実体が無くなっても、こうしてブログを書ながら意識と時間をゴチャ混ぜにして山登りやお仕事の「思い出話」に耽って楽しくすごしてきました・・・のに・・・
もう、最後だ。。。なんて。
社長は、始めがあるのだから、終もあるのだよぉと宇宙の起源を引き合いにして教えてくれましたが・・
わたしは、ほとんど聞いてなく、ただこの一瞬を未来の為に記憶しておこうと、座布団を被って虚空を見てました。
ほんとうにわたしが居なくなるのはこれからなのでしょう・・・
せめてもと、なんとかと、ブログの中で頑張ってきたのに・・・
2010年04月12日
今後の心配・・・
4月12日(2009年)の日曜日、いよいよ動くことが出来なくなりました・・・
朝から、このように伏したママの状態だったのです・・・
大根を刻む音がトントン聞こえてました。
美味しそうな朝ごはんの匂いが漂ってきます・・・鼻がピクピク反応しますが・・・もう立ち上がれません・・・
おトしゃんは、いつものように台所の隅のわたしの食事コーナーに何時でも充分にお水が飲めるようにと・・・新鮮なお水と水腹に成ったら辛いだろう・・・奇跡が起こってササミチップも食べられるかもしれない・・・と、用意してくれてました♪
しかし、わたし自身で食事を取れなくなってもう一ヶ月、お水を飲めなくなって2日です。。。何度か近くまでにじり寄ってはみたのですが、この無念のありさまです。。。
お水のお茶碗の前で倒れているわたしを、見かねておトしゃんは呼びかける言葉を失ってました・・・
夕刻、もう晩ご飯も食べられ無くなったわたしに、せめて寒くないように・・・と、服を着せてくれ、腕の中に包み込んでわたしを温めてくれてました・・・
おトしゃんの腕の中で、『わたしとおトしゃんは、こうして身を寄せ合い命を支え合って暮らしてきたのだなぁ』・・・思うと胸が一杯になりました・・・
おトしゃんは、わたしの呼吸のリズムまでに気を浸かって、わたしに合わせて一緒に息をはいたりすったりしてくれました♪
わたしは、おトしゃん、ありがと、ありがとと呼吸するたびに思いました♪
わたしは、その気遣いに感謝しながら、逆に、ある不安を感じてました。
・・・と云うのは、もし、わたしとおトしゃんの立場が反対だったら??。。。。。と、あの時、ある状況を思ったのです。
上写真は、おトしゃんがわたしの介護をしているのではなく、わたしが衰弱したおトしゃんを励ましているとも見る事ができます♪
明日はどうなるか予想など出来ないのがこの世の定めなのです。ましておばあちゃんもわたしも心臓が辛かったのです、そういう事態は充分に想定できます。
おトしゃんがわたし同様に心臓の調子も芳しくなく、倒れて寝込んでしまったのです・・・
そして、何故か?うれしい事に、わたしは元気なのです♪
おトしゃんが・・ぅぅぅ・・・と唸って苦しそうに伏して失神しそうになっているのです・・・
わたしは、何とすべきなのなのでしょうか?
とりあえず、気を失いつつのおトしゃんの顔をペロペロします。
それでもダメなら、少しですが顔を引掻いてみます。
きっと、気がつくでしょう・・・、そこで、気つけのお水を一杯・・・なのですが、わたしは水道をひねるのは苦手です・・・
わたしに出来る事は、わたしの水飲みお茶碗の水をわたしの口に含んで、それをおトしゃんの顔にペッペッして飲ます事は出来そうです・・・
倒れたおトしゃんだって、お水を飲んだりしたら少しは元気になり、お腹も空いてくるのではないのでしょうか?
でも、わたしは昔からご飯支度は苦手です・・・
しかたがないので、わたしご飯茶碗の残りササミを、弱ったおトしゃんが食べやすいように噛み噛みし、それをおトしゃんの顔にペッペッとして食べさせる事は出来そうです・・・
次の行動として、窓を叩いてお向かいのおじさんに危機を知らしめる事が、できるでしょうか?
誰にも気づいてもらえなかったらどうしましょう?
頑張れ頑張れとの気持ちを込めて、『ぅぅ・・・』と声を掛けながら倒れたのママのおトしゃんの周囲をオロオロするしかないのでしょうか?
そのうち、わたしのお腹も空いてくるでしょう・・・
お腹が空いたらわたしも倒れてしまいます。
わたしのご飯は誰が支度してくれるのでしょうか?
ぁぁわたしとおトしゃんは共倒れで、このままむなしく朽ちてしまうのです・・・
わたしの限界と矛盾にハッと気がつきました・・・・・・・
そして、おトしゃんの腕の中のわたしの、「おトしゃんの世話をしている夢」はさめました。
わたしが、もうすぐおトしゃんより先に死ぬかもしれないのは、あんがいありがたい事なのかもしれないと思ってもいいのではないのかと・・・♪
しかも、今後がもうないわたしが今後のおトしゃんの心配のしようもないですものねぇ♪
もう、そろそろ、いいのかなぁ・・・・ ・・・・・ でも・・・
2010年04月10日
春を迎える心の準備・・・
あれから一年、おトしゃんはわたしが居なくても、居た頃と全く同じ様に生きてます。
と云うか、同じようにしか生きられないのでしょう・・・・
今日は冬囲いの取り外し作業です。
内心では、『ドーセ、また冬が来るのだから、このママでも良いのではないか?』と思っておるようなのですが、やはり世間体と云う事もそれなりに気にしているようで重い腰をあげました。
冬囲い外しといえば、必ずわたしはお手伝いしたものでした。
もう、わたしは居ないのに、やはり一人で作業をするのは不安なのでしょうか?、例年の如く(わたし)をダンボール箱に入れて作業開始なのです。
もう一年も過ぎたのに、未だこうしないとやっていけないものなのでしょうか?
昨年のあの頃は一ヶ月以上も注射器お粥で頑張ってました。
体重も3kg以下になり、それでもヨロヨロとお庭をうろついてました。
うろつく事に理由が有った訳ではありません、フラフラしながらでも土の上を歩きたかったのです。
わたしは、本能的にもう何日も生きられない事を感じてました・・・・
お庭の中から外を見つめ、わたしとおトしゃんが暮らしていたこの空間をしっかり感じておこうと思ってました・・・
わたしが居なくても、なんとか冬囲いの片付け作業は終了しました。そして(わたし)をダッコして記念写真です。
何の記念なのでしょうか?きっと諸諸の卒業記念のつもりなのでしょう?春は別れの季節ですからねぇ・・・
昨年、4月9日はとうとうお水も飲めなくなった日なのです。
おトしゃんは、水飲み容器を変えたりして工夫をしてくれたのですが、もう自分でお水を飲む力も無くなってきてました・・・
あの日以降はおトしゃんはお水を注射器で飲ませてくれました・・・
おトしゃんも注意深くわたしの喉の乾きを察しながら必死になって暮らしていたのです・・・
そして、あの頃から睡眠をとる事も難儀するようになりました。
何時もでしたらわたし達は午後9時前には寝てしまうのですが、辛くて夜中に起きてしまうのです。
春がきたのにおトしゃんとはもう一緒に暮らせないのが解ってました。
心の準備をしながら、わたしは、悲しくて布団の上で泣いてました。
この夜はおトしゃんは、ビールもひかえて、わたしが辛くないように背中をさすりながらいつまでも一緒に起きてました・・・
2010年04月07日
わたしの登山記録♪
最後のお庭の雪も、今日で消えてしまうのでしょう・・・
(わたし)は、残り僅かな雪を見ながら昔の事をいろいろと思い出してました・・・
おトしゃんは、残り僅かなブログの記事に使えそうな写真をパソコンの中で探してました。
そうしたら、わたしの登山記録表が出てきました♪
わたしが初めて登山に連れて行ってもらったのは2002年5月でした。
その時に初めてダニに齧られ、その事を入院中のおばあちゃんに聞かせたものでした・・・
その後、100回以上もおトしゃんに同行しました。
2002年 1 回
2003年 4 回
2004年 6 回
2005年 22 回
2006年 23 回
2007年 20 回
2008年 27 回
2009年 1 回
おトしゃんは、この数字を見ながら、もしかしたら何時も一緒に山登りに同行してくれチョコの写真を撮ってくれる札幌秘境探検隊北方支部長のブロクにチョコの情報が有るはずだ・・・と
検索をしました♪
他所様のブログにまで図々しく出かけるのは如何なものかとも思いますが、わたしの写真を一枚でも掻き集めたいおトしゃんには宝の山に見えていたようです♪
北方支部長とわたしがご一緒して登山をしたのは2005年4月です・・
その頃は北方支部長はブログを始めていなかったので記事はありませんが、その後はたくさんの写真を撮って頂き、本の表紙等に使わせて頂きました。
そして、わたしの最後の登山となった2009年02月11日も、一緒でした。
北方支部長さん、たいへんお世話になりました。
ダッコもナデナデもいっぱいしてもらいました♪
おトしゃんになり代わって、お礼を申し上げます。
以下、北方支部長さんのブログ、「お遊び 忘備録」から、わたしの登山の記事をリンクさせて頂きました。
2006年06月09日
ひさびさに
2006年10月21日
秋もタケナワ?
2006年10月29日
先週も行きましたが...
2006年11月05日
暖かいけど、もうすぐかな
2006年11月25日
ついに雪の季節です
2006年12月04日
NEW靴
2007年01月22日 (わたしは居なかったけど)
良い天気です
2007年02月18日
山と本
2007年03月05日
久しぶりに山遊び
2007年03月11日(ワンワンの会社勤務ブログに未掲載)
S旗山
2007年03月26日(ワンワンの会社勤務ブログに未掲載)
藻○山
2007年04月02日
次に来るときには雪は...
2007年04月07日(ワンワンの会社勤務ブログに未掲載)
S旗山 ふれあいのもり
2007年07月08日
背の高い山へ行ってきました
2007年07月22日
今日は暑かったです
2007年10月06日
ぐるっとひとまわり
2007年10月07日
今日もぐるっとひとまわり
2007年10月28日
今年初ニセコ
2007年11月26日
風邪引きからの脱出
2008年01月13日
初顔合わせ
2008年02月03日(ワンワンの会社勤務ブログに未掲載)
良い天気
2008年03月02日(ワンワンの会社勤務ブログに未掲載)
久々でした が...
2008年03月23日
色々と減り ました。
2008年04月13日
ひさびさの 運動
2008年06月08日
ご一緒
2008年06月30日
雲の下と中 と上と
2008年07月13日
いつもの藻 岩山ですが...
2008年12月24日
忘年会?登 山?
2009年01月12日
過酷な撮 影...かも?
2009年01月19日
TAKE2
2009年02月11日 (わたしの最後の登山)
ず~~っと ラッセル
2010年04月04日
記憶を拭い去る・・・
異変が起こりました?。十数ヶ月ぶりでおトしゃんはお家の床の雑巾がけを始めました♪
何が起こったのでしょうか?
養生で安静にしているお母さんは、願わくばもう少しお家の中のお掃除を入念に行い世間並みの清潔な環境に成ったら自身の精神にも身体にも良いのでは、と内心思っているようなのですが、三度のご飯を作ってくれるだけでもありがたい事なので・・・・、床の雑巾がけまでを・・との要望は夢のまた夢と口には出せないのです。
まして、おトしゃんはそのような常識云々で雑巾がけをするような善意のヒトではありません、なのに、どうしたのでしょうか?
二階の手摺りに分厚く付着している白い粉のような物を雑巾で拭い取りながら、、「ぁぁ、これはチョコのフケなのだなぁ・・」と、しんみりしてました・・
わたしは、おトしゃんのフケではないのかと異議をとなえたかったのですが、おトしゃんは「僕のフケだったらこんな細かくない、もっと大きい」と開き直ってました。
階段下の元わたしの寝室は、今では瓶詰用空瓶やらわたしの着ていたお洋服などが今も散乱してます。
わたしが元気な頃はこうして、わたしの寝室で寛いでいたものでした♪
あの頃を雰囲気を再現しながら、おトしゃんはわたしのお部屋の周囲の雑巾がけを始めました。
ゴシゴシ・・・・・ゴシゴシ・・・・
汚れたママで歩いたわたしの足跡も残してありました♪
食中りで嘔吐したシミもありました♪
おしっこをちびった跡は少し色が変わってます。。
あれもこれもわたしとおとしゃんの思い出のシミなのです♪
ゴシゴシ・・・・・ゴシゴシ・・・・
おトしゃんは床を拭いてました・・・
心の中の記憶の跡までも拭い去りたいように・・・・
何かに別れをつげるように・・・
ゴシゴシ・・・・・ゴシゴシ・・・・ と。
2010年04月01日
去年のように・・・春が来る
とうとう、わたしが居なくなった春と云う季節が目の前です。
昨年の今頃、わたしもおトしゃんも雪の有るうちは、なんとか頑張れるような気がしてました・・・
でも、根雪が無くなった頃には命の限界が来るような予感がしてました・・・
そう云う訳からか、三寒四温で寒気が戻ってきたりしたら内心「ホッ」としたものでした。
雪が有るうちは、まだ頑張れる・・と。
とは云っても春が来るのを止める事はできません。
会社の横の広場の雪も、もうすぐ消えそうでした・・
わたしからも、笑顔が消えそうでした・・・
春を迎える大地を見て、何故か半分泣きしてました・・・・
去年の今日も、去年のように・・と、つぶやいていたのですねぇ♪
そして、おトしゃんは、わたしと約束した『ワンワンの会社勤務⑤』を、出すべく最後の出版準備です。
今まではわたしも一緒に原稿を眺めていたのですが、今回はわたしという相談相手もいない一人の孤独な作業です・・・
来年からは 「去年のように・・・」と 云う事はなくなるのですねぇ・・・