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2010年12月26日
意味も無い行動♪
おトしゃんは・・・
お休みの日は、もうお家に居なくてもいいのです♪
お休みの日に、お家に居るのがつらいのです♪
昨日は、探検隊の面々が付き合ってくれたので、阿部山で楽しく雪と格闘していました。
しかし、さすがに今日も『山に行こう』とは、探検隊仲間の誰にも言えなかったようです。
おトしゃんだって浮世の常識はある程度は理解しているのです。
皆様にはそれぞれの家庭の事情もお有りで、御家族様と一緒に過ごすことが正しいヒトとしての生き方なのです。
結局、(わたし)しか居ないのです。
こんなことに付き合うのは・・・・
おトしゃんは・・・自分がイカレているのが判っているのです。
いつまでもこんな事をしていても何の解決も希望も見出せないのも分かっているはずです。なのに、何故にこんな事をしているのか自分でも解からないのです。
あの時、あんな風に生きていたと云う記憶を無くするのが怖いので写真も撮るのです。
何の意味も無く山に来ているのですが、どうしてもテントを設営したいのです。
山の上でも、居を構えたいのです。
糸の切れた凧のようなおトしゃんですが、あんがいとマイホーム志向なのでしょうか?
居の中は、暖かいストーブが燃えてます♪
(わたし)も居るのです♪
お水もあります♪
カップ麺だってあるのです♪
ビールは無くてもしょうがないのです♪
これで十分に幸せなのです♪
リュックとバッグ、これがおトしゃんの全財産でいいのです♪
何も無くてもこれだけあれば生きていけるのです♪
もうクリスマスにもお正月にも用が無くなりました。
いずれ、おトしゃん自身にも用が無くなるのでしょう♪
全財産がリュック一杯分でも幸せなのです。
お母さんも居なくなったので、たくさんの過去の思い出が辛くなってきたのしょうか?
思い出もリュック一杯分で十分なのでしょうか?
だから、こんな所でこうしてうろうろしているのでしょうか?
もっと建設的で前向きな行動をする気にはならないのでしょうか?
不可解と云わざるをえません。
おトしゃんは『こうして自分を失わないようにしているのだ♪』とわたしに弁明しますが・・・わたしにはとっくに自分を失っているとしか思えませんが♪
2010年12月20日
白と黒との世界で・・・
週末、おトしゃんは山の中を彷徨ってます・・・
お家に居るのがイヤなのでしょうか?
山と云っても丘のような所ですが・・・
冬の山には白と黒しかありません。
おトしゃんは色も何も無いこういう所に来ると心が落ち着くのです。
きっとおトしゃんの心もモノトーンの殺風景な荒野のようなものだからなのでしょうか?
これは間違いありません。
わたしは間借りしていて解ります♪
音もありません。
生き物の気配もありません。
死の世界に近いのかもしれません。
そんな所を粛々と歩くのです。
遠い昔・・・わたしも、山歩きのお仲間と何度もご一緒したものです♪
こう云う所に来ると、「チョコもいっしょけんめいに歩いたよねぇ~」とわたしを想いだしてくれます。
おトしゃんは、皆んながわたしを記憶してくれているのがたまらなく嬉しいようです♪
おトしゃんは、何度も、何度も、後ろを振り返ります。
もしかして・・・後ろからわたしがいっしょけんめいについて来るのではないかと、思ったりするようです。
ここは死の世界に近いところなのでわたしに逢える可能性も無いことは無いと思って山に来るのでしょうか?
でも、おトしゃんの本当の目的はそうではありません。
ハァハァして山に登った後の冷たいビールを飲むのが目的なのです♪
テントを設営して、ささやかなごちそうを頂くのが生きがいなのです?
何年も前からこんなことだけを目的に生きているようです?
でも、今は昔と違うのです。
わたしはもうお家にもこのテントの中にも居ません。
お母さんはもうお家にも病院にも居ません。
ご飯仕度をすることも無くなったおトしゃんはお家に居るのがイヤで自分をもてあましているのでしょうか?
2010年12月15日
空の心、花の心、人の心
数年に数回お空にも意志があるように思う事があります。
11月上旬の夕暮れ時でした。社員の方々が空を見上げて騒いでました。
なにか尋常でないような空の感じなのです。
物好きなおトしゃんはさっそく会社の屋上から写真を撮ってました。
西のお空は荘厳と云うか怪しいと云うかお空が何かを必死に伝えたがっているような感じに見えました。
東のお空からは出所不明の光が天空の彼方まで後光のように射しているのです・・・
同日同時刻の天空がこんなにも違うのです?
わたしもおトしゃんも呆然としてました。
何かの予兆だったのでしょうか?
この時おトしゃんは言いようのないお空の気持ちのようなものを感じたとわたしに言ってました。
きっとこの時にお空がお母さんに『おいでおいで』をしたのではないかとわたしは考えました。
この一週間後にお母さんはお空の彼方に行ってしまったのですから。
そして一月後、お母さんの命日です。
命日といってもお坊さんが来るわけでもないので、せめてもとおトしゃんはお母さんの写真とお骨箱の周りに御花をいっぱい飾りました。
なんと一月前にたくさんの方々から頂いた御花が、まだ頑張って咲き続けてくれているのです♪
御花にも意志があるのでしょうか?
花を買うことなんかめったにないおトしゃんの事が解っていて、お母さんの命日まではと御花さん達が皆んなで頑張って咲いていてくれたのです♪
おトしゃんはお母さんが居なくなった暖房も止めたままの寒い寝室に置いてあったので長持ちしたのだろぅと科学的見解を述べてましたが・・・・
更に不思議な事に、もう咲く気力もなかったようなあの高齢チョコウランが蕾を膨らませてきたのです・・・
しっかりと未来に向かって前向きに生きているのです♪
年末なのに忙しくはないでしょうか?
落ち込んでいるおトしゃんを慰めようとお正月に合わせて咲こうとしている気持ちが伝わってきます。
きっと、お正月を一緒に迎えたかったお母さんの気持ちを察して代わりに咲いてくれているのでしょう。
何故、こう云う事になるのでしょうか?
わたしは、お空もお花も心を持っているのではないかとわたしなりに考えました。
おトしゃんの空虚な心には『空』や『花』と対話するのが救いになるのではないのでしょうか。
『空』も『花』も慮ってくれているのです。
昨日の夕刻、教会の牧師さん夫妻が一月目の命日と云う事で『お祈り』に来てくれました。
そして4時間もおトしゃんのよた話に付き合ってくれました♪
『人』も慮ってくれているのです。ありがたい事です♪
2010年12月13日
温泉で冬季テント泊耐寒訓練?
秘境探検隊の25ヶ月ぶりのニセコ山荘温泉研修会です。
おトしゃんはわたしを連れてくるかどうか直前までずいぶん悩んでました。
立派な大人の集まりに、ワンワンぬいぐるみと一緒に参加するのも如何なものだろうか?
還暦をとっくに過ぎているのに、ぬいぐるみを抱っこしていたら未だに幼児性の抜け切らないイカレタやつと思われないだろうか?と。
やはり常識と照らし合わせて考えるとチョコの参加は遠慮すべきではないのではないか?と。
でも、他の参加者面々も結構イカレタ面々なのでそこまで考えなくてもいいのではないのか?と。
と、云うわけで今回わたしは、ぬいぐるみの形となって参加させて頂きました♪
おトしゃんはわたしが風邪をひいたらかわいそうとストーブに当らせてくれました♪
それを見ていたS本部長は「ぉお、チョコも来ていたか♪」と、生きている頃のわたしに接するようにごく自然にわたしに声を掛けてくれました♪
他の面々からも「チョコぉ~」と、以前と変わらぬ接し方をして頂きました♪
わたしも数年間にわたりワンワン隊員として皆様と研修会にご一緒していたのでぬいぐるみワンワンとなった今回の参加も違和感はないのでしょうか?
それとも、きっと気が触れかかっているおトしゃんを慮ってくれたのでしょうか?
今日は晩ご飯の仕度をしなくてもいいのです♪
たくさんのご馳走を皆んなで頂き、いっぱいビールも飲んだり囲碁をしたりして幸せに包まれてました♪
ところが・・・8時すぎ・・・おトしゃんは温かく楽しく賑やかな語らいの場に背を向けて一人孤独な行動に出たのです?
幸せなひと時を拒否してどうするのでしょうか?
せっかくだから『冬季テント泊耐寒訓練』をするというのです?
荷物を背負って山荘の道路の向かいの目が眩むような高い樹木が生い茂っている林にたどり着きました。
ここの凍りついた大地にテントを設営して寝るのです。
もう、わたしの心情に配慮する必要もないので、おトしゃんはやりたいほうだいなのです。
もちろん、こんなクダラナイ事を制止するような物好きなメンバーもおりません♪
と、云うもののやはり気になるのでしょう・・・
時おり、おトしゃんのテント暮らし生活をヒヤカシに訪ねて来てくれます♪
夜半、樹を揺らしていた風も止みました。
雨が雪に変わりしんしんと降り積もってます。
テントの中は何もありません。誰も居ません。暖房も灯りもない漆黒の空間です。
今、横に居るのはわたしだけです。
おトしゃんは光も音も無いテントの中で、お母さんと暮らし始めた40年前の何も無くても懸命に生きて、幸せを積み重ねていた頃でも思い出していたのでしょうか?
浮世も自然も変わります・・・
雪は吹雪に変わってきました。
この中で、わたしとおトしゃんは生きているのです。眠っているのです。
夜の明けない朝はありません。
このままここで一人暮らしをしている訳にはいきません。
お家に帰って植木にお水をやらなければならないのです。
広げたテントは仕舞わなければなりません。
どうして、こんな面倒な事をするのでしょうか?
わたし達は温泉に浸かり、皆んなとに楽しく過ごすためにニセコ山荘に来たのではないでしょうか?
おトしゃんは『孤独に耐える訓練だったのだよ、これからのために・・・』とわたしに語ってました。
2010年12月08日
離別の悲しみの方程式 訂正版
先日からおトしゃんは、残酷な命題に悩んでました。『チョコが死んだのと、お母さんが死んだのと、どっちがより悲しいのだろうか?』と。。。
そんな事を考えるのは死者に対する不敬なのではないのでしょうか?
と云っても、おトしゃんはこのような事を曖昧なママでは生きていけないようなのです♪
こう云うことは理論的に考えて『数値』で判断するべきだと考えたようです♪
そうでなのです、こうして『再び逢えることが絶対に無い』死者に対する悲しさを推定する『離別の悲しみの方程式』と云う理論を世界で初めて確立するに至ったのです♪
深い悲しみはおトしゃんの様にイカレタヒトでも成熟させるのでしょうか????
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『離別の悲しみの方程式』は以下のように記述される。
※半可通様のコメントでのご指摘で括弧の間違いに気付きました。
※半可通様、ご指摘をありがとうございます。
※訂正前
N = ((W / (H x H) x T x Hp x K) / (D x D))
※ 訂正後
N = ((W / (H x H)) x T x Hp x K) / (D x D)
ここで、
W : 離別の相手の体重 (kg)
H : 離別の相手の身長 (cm)
T : 一緒に過ごした年月 (日)
Hp : 幸福度 (幸福だと実感した回数)
K : 印象に残る会話 (回数)
D : 一緒に居た時の個体間の距離 (m)
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ああ、何故か『ドレイクの方程式』のようですが・・・それにしても限りなく美しい方程式ですねぇ♪・・・
でもこの方程式の中に肥満度を表す体格指数(BMI)が含まれているのは何故なのでしょうか?怪しいですねぇ?イイ加減ですねぇ?
おトしゃんはこの方程式は健康に生きていたかの判断も重要な要素だと言い切ってましたが・・・
体格指数と悲しみとは関係あるのでしょうか???
W、Hはお母さんの方が圧倒的に数値が高く優位なのです。わたしの数値が少ないのはシカタガナイのです。
Tはお母さんの1/3なのです。
Hpは難しい値です・・・
Kはわたしには更に辛い数値です・・・これは生物の種の問題なのです・・・でもわたしはおトしゃんと心で会話をしてましたが・・・
わたしは、お家でも会社でも何時もおトしゃんにくっついて暮らしてました・・・
と、云うことはDは限りなく0になるのでしょうか?
と、云うことはNは∞大に近づくのでしょうか?
それともErrorなのでしょうか?
でも、最後の一年半はお母さんもDは1~2でした・・・
最後の最後の10分間は0でした・・・・
もちろん、わたしの最後も0でした・・・
Dにも時間の要素を組み込むべきなのでしょうか?
これらの難題には後世の『あの世研究家』様達が多様なパラメータを附加して考えるのではないのでしょうか?・・・・
でも、よく考えてみたらこの方程式は『懐かしい至福の方程式』とも 云えるようだ・・・・・おトしゃんは解ったようです♪
悲しみの量と懐かしい至福の量は同質なものなのでしょうか?
ぁぁ、なにやらややこしくなってきました。この事は安易に決められないからと、おトしゃんは『チョコの方程式』と紛らわしい名前も付けてました♪
ところで、おトしゃんはこれらのパラメータにどのような数値を当てはめたのでしょうか?
おトしゃんはHpの数値のあつかいの判断が出来ないのです・・・・
おトしゃんには、この方程式は永遠に解けないのです・・・・
長い付き合いのわたしには解ってます・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・
(お仕事の打ち合わせ中でも、しっかりとおトしゃんにくっついてました D=0 です 2008年07月)
2010年12月05日
お母さんとの最後の記念写真♪
もう、あの日から3週間も過ぎてしまいました・・・
ありがたいことに、今まで精一杯病気と戦って頑張って生きていた、わたしのお母さんに温かいお言葉御花お菓子等たくさん頂きました。それらをおトしゃんはお母さんの写真の周りに飾ってました。
おばあちゃんには仏壇と云う居場所を確保し、そこに居てもらってますが、お母さんは線香の煙が気管や肺に辛く仏壇に居てもらうのもかわいそうなので、お家の居間の中古品の戸棚をお母さんの居場所にしてこれからのわたしとおトしゃんの暮らしの中の最重要事項として位置づけました♪
大事な防犯カード、自動車の鍵などを帰宅したらお母さんの写真の前に『ただ今ぁぁ~』と言いながら置いておくと翌朝、出勤前に『行ってきぁぁぁます』と言いながら忘れないですむのです♪
こうして作ったお母さんの居場所に御花をいっぱい飾りました♪
お家中、甘やかな花の香りや晩ご飯用の『千葉県産めざし』の焼ける匂いに満ち満ちてます♪
何を思ったのか、おトしゃんはこのような機会はもう二度とないだろうから・・と(わたし達)を集めて記念写真を撮ってくれました♪
そうなのです、わたし達は、昨年の秋から一年半、お母さんの側でお母さんを励まし続けたのです・・・
もう、その役務も終わりました。
こう云う時は、やはり記念写真を撮るのが浮世の習いなのでしょうか、おトしゃんは心からわたし達に『皆んな、お疲れさん』と労って、ナゼナゼをしてくれました♪
でも、もうわたし達はお役御免なのです・・・
現実を直視すれば失業したと云う事なのです・・・
もうわたし達には用がないので、『燃えるゴミ』として捨ててもいいのです。
わたし達は、動きません、語りません、眠りません、もちろん食べません、
ただ、無言でおトしゃんの顔を見ているだけです。
これから、わたし達は、どのように生きていくべきなのでしょうか?
おトしゃんに聞いても、おトしゃん自身が、どのように生きていくべきなのかの『答え』がないようなので、そんな余裕もないようなのです・・・、
お母さんにも先立たれたおトしゃんは(わたし達)を養いながら『善く生きる』と云う難題に立ち向かって行けるのでしょうか?
ぁぁわたし達は 不安です♪
ぁぁわたし達も おトしゃんも 終わってしまったでしょうか?
『然り』と云う天の声が聞こえてくるような気がするような気がします♪