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2011年07月30日
サマースクールでうろうろ♪
【写真は全部パノラマ撮影です、マウスクリックすると会場の雰囲気が良く分かると思います♪】
雨が降っていないのに、おトしゃんは山登りにも行かないで、モエレ公園に来ました。なにか思いがあるのでしょうか・・・
此処には、遠い昔わたしもお母さんもキチンと歩ける頃に、おにぎり持参で来たものでした♪
ガラスで出来たピラミッドのようなものは、わたしも記憶してます。
今日は、この中でロボットのようなものを作ったりする『サマースクール』なのです。
よちよち歩きの小さなお子様、小学生様、中学生様、引率の親御様達、そしてその方々に電子工学を教える若き大学生や社会人の方々・・・会場には・・・元気♪希望♪未来♪幸福♪華やぎ♪家庭♪等々のエネルギーが溢れているのです。
実は、おトしゃんも『サマースクール』にロボットの勉強に参加したのです・・・
還暦を過ぎ、眼も壊れてきて、足もヨロヨロしているのに図々しく参加したのです・・・
参加者の若若男女様達が自由な心と服装で参加しているのに、おトしゃんは会社でもないのにネクタイ姿なのです・・・仕事の世界しか知らないので他に着る服がないのです・・・場違いなのです♪
当然です、おトしゃんは隅っこで気まずそうにしているのです・・・
そんな、おトしゃんにも、未来ある若人は、明るく屈託なく声をかけてくれました♪
そうなのです。普段、会社や町内会やらの会合には絶対に一緒にならないような若い新品間もない人々がいっぱいなのです♪
天井もキラキラ輝いてました♪
床もピカピカ光ってました♪
ドアは、未来への入り口のようなものに見えました♪
浮世の端っこの方で、あの世に行った方々の想い出だけで細細と生きているようなおトしゃんには至福のひと時のようでした・・・・
でも、わたしは思いました。
やはり、おトしゃんは 『 遺言の書き方サマー講座 』 のようなのに参加する事のほうが大切な生き方ではないのでしょうか♪
我が身の現状も自覚できなくなったのでしょうか?
2011年07月23日
デコイのようなもの・・・
今年のお正月に開花し、その後5ヶ月間も殺風景なお家の中で懸命に咲き続けていたチョコウランも春の終りには散ってしまいました・・・
頂いてから2年以上も経ったので、もうそろそろ高齢蘭で『もう一花』を咲かせる葉力も根力も無いだろう・・・『今までご苦労さん』と思っていたら・・・なんと・・・また、また、また、つぼみが膨らんできました♪
ああ~、なんと健気なのでしょうか♪
やる気の無さが蔓延しているこのお家の中で唯一の希望と云えるのではないでしょうか♪
たった一鉢で孤独に耐えながら『お花を咲かそう』と努力しているのです♪
健気なつぼみを見ておトしゃんは胸を熱くしました。せめて何か応援やら手助けやら出来ないものだろうか?と考え、ハッと閃きました♪
そうなのです、2週間も前に頂いた花束の中の桃色の蘭が最後まで枯れないで残っていたのです。
この『桃色ミニ胡蝶蘭(?)』をデコイに見立てて鉢に挿したのです。
こうすることによって、これから咲く予定のつぼみは安心するのではないでしょうか♪
でも、わたしは考えました・・・何故に今頃・・・つぼみが?と
ぁぁ、お母さんの初盆に合わせて咲く準備をしているのですねぇ~♪
2011年07月19日
物悲しく見えるようなパノラマ写真?
連休は雨でした。
しとしと雨の降る時にお家でボンヤリしていると気持ちまで滅入ってくるので、曇天でしたが今時期は人の気配のない『梅の公園』でテキトウなパノラマ写真を撮りに出かけました。
梅の木は来年に備えて養分を蓄え中で、青青して風に揺れてました♪
せめて写真になりそうな所を・・・と、何時も花壇にお花がいっぱいだった裏山のベンチに行ってみました。
ぁれぇぇ~・・・時期が悪いのでしょうか?確か昔は赤色・青色・黄色・白色・その他色色のお花が咲いて、わたしとお母さんもここのベンチでオヤツを頂いた楽しい場所だったはずなのに・・・
ぁぁ~、なんとなく、お花なんかに手が回らない様子で静まり返ってます・・・
きっと、諸般の事情で花の種を購入する予算等も人手も削減され管理当局も静かにしているのでしょうか?
がっかりしてパノラマ写真を撮す気もなくしていたおトしゃんにご褒美なのでしょうか?突然どんよりした雲が何処かに流れて行き、みるみるうちに青空が広がってきました♪
何故?この様に運がいいのでしょうか?
きっと、冬山で青空が急に吹雪に成ることのお返しではないでしょうか?
青空があれば、おトしゃんの眼には何でも綺麗に見えるのです♪
そして物悲しくも見えるのです。
きっと物悲しいのは、昔、晴天の日には、お母さんに文句を言われながら布団干しをさせられていたからではないでしょうか?
2011年07月17日
半身を裂かれた木
おトしゃんは、多分・・・常識的食生活の基準から判断すると、日々の食事には『葉緑素』つまり『青物野菜』が不足しているのはどうしようもない事実なのかもしれません・・・そう云う現実に対する対応策としても『緑』に囲まれて良い空気を吸うのは効果があるかもしれないと・・・雨天にも拘らず白旗山をうろつくのです。
眼から摂取する『緑』だって、確かに体に良いのかもしれません♪
もしかして、緑内障の目薬としても有効と思われます♪
どちらも緑緑ですからねぇ~♪
連日の雨を吸って、木木は青青、元気一杯です♪
小雨の中、鼻歌を歌いながらスキップして浮かれていたおトしゃんは焼肉平近辺で何故か突然に立ち止まり、黙祷をし、写真を撮りました↓
ぁぁ、幹の半分が裂けた『木』です。
なんとか、ほんの少しだけ緑の葉っぱがくっついていて生きているようです♪
わたしは、知ってます♪
昨年、お母さんが居なくなった半月後、この辺一帯に季節はずれの豪雪が降り、数多の樹木が倒れたのです。その翌日、暇なおトしゃんはこの辺をうろうろうろついていたのです。
そして、この幹の半分を雪の重みで裂かれた木に出会ったのです。
そうです、約半年ぶりで出会ったのです。
あの頃、人生の70%も一緒に暮らしていたお母さんを失った、おトしゃんは
『長年一緒に生きてきた人生の伴侶を失う辛さは、己の半身を裂かれるようだ・・・』と云う言葉が、この同じように半身を裂かれた木を見て、自分自身に重なって感じたのです。
木でもヒトでも、半身を失ったら長生きは出来ないのでないでしょうか?
でも、この木はこの辺で暮らして、なんとか生きているようです・・・
自分自身の生き様を重ねていたおトしゃんはこの木の姿を見て『お互い、なんとか、生きているねぇ~』と安堵したようでした。
この木と一緒に生きることが未来への希望に成ると明るい気持ちになったようです♪
わたしは、考えました・・・
この木が枯れて死んだら、どうなるのでしょうか?
おトしゃんも枯れて死んでしまうのではないでしょうか?
しかし、先におトしゃんがイカレテも、この木は元気に生きると思います♪
2011年07月15日
似たもの一家
お家の玄関先です。
あちらにも、こちらにも、せっかく咲いてくれたお花さん達が倒れているのです・・・
何故か?ぐったりしているのです?
咲いてはみたものの、あまりやる気が無いように見受けられます。
せっかく咲いているのに、おトしゃんは声の一つも掛けません。
愛でると云う事をしないのです。
それどころか、邪魔者扱いにして、荒縄で縛ってこのとおりなのです。
おトしゃんは世間体を気にして倒れたお花を起こしただけなのです。
倒れたお花を起こすにしても、もうすこし愛情を込めてのやりようがあるのではないでしょうか?
あまりにも無関心と云うかどうでもいいと云うか、投げやりな生活態度がそのママ表れているのです。
このお花だって、お母さんが居た頃は、背筋をピンとのばして胸を張って上を向いて希望に満ちて咲いていました♪・・・なのに・・・今では・・・こうなのです。
わたしは、考えました。
きっと、このお花さんは、おトしゃんの『生きる姿勢』そのものを現しているのではないでしょうか?
似たもの一家と云うではないですか♪
2011年07月10日
私達が暮らしている街の姿♪
怪しいヒトがビルの塔屋に登ってます?何をしているのでしょう?
山に登るのが飽きてきたので、今度はビルを登っているのでしょうか?
そうなのです♪ビルのテッペンに上がってパノラマ写真を撮るのです♪
どうしてこうなったかと云うと、先日におトしゃんが藻岩山から撮ったパノラマ写真を『札幌市南区藻岩下まちづくりセンター』のホームページに使いたい・・・と嬉しい連絡があったのです♪
長い間お世話になっている藻岩山関係の方面からの依頼なのです。せっかくですから他の写真も写しますと、最近、パノラマ写真撮影を覚えた会社の(Yさんとおとしゃん)の怪しい雰囲気のコンビが喜んで写真撮影出張です♪大丈夫なのでしょうか♪
屋上に溜まっていた雨水にジャブジャブ浸かって足元はグショグショグショになってもめげません♪
ビルの屋上から周囲を眺めていたおトしゃんは、突然、何かが見えてきました?
ただの風景ではないのです・・・
なんと風景に慈しみを感じたと云うのです?
『この周辺で、生まれ死に喜び悲しみ。何代もの人々が暮らしてきた生活とそれに同期した時間の積み重ねも見えた』と云ってました!
そうなのです、私達はこの大地の表面にしがみついて暮らしているのです♪
今回の大震災大津波で、私達が暮らしていける大地のありがたさが身にしみました・・・
暮らしがあってこそ大地があるのが真実なのです?
・・・と云う訳で、『その為にはここの地勢や街並みを克明に写真を撮って後世の為に残しておこう♪少しは地域社会のお役に立てるのかもしれない♪』
と、
グチグチと理由を述べて今回は『高解像度藻岩下町内会パノラマ写真』を撮りました♪
【写真をマウスでクリックすると高解像度パノラマ写真が表示されます、(+)(-)を押してズームイン、ズームアウトが出来ます。ズームインすると遠くのJRタワーやテレビ塔やいろいろな看板が、もちろん恵庭岳、空沼岳も見えます】
確かに撮影日(2011年7月6日)のお昼、この町内の暮らしの一瞬の光景です。
わたしは、建物のお部屋の中まで見えるようなもっともっとの超高解像度で見たいと思いました。
おトしゃんは、そこまで写すと何やら物議を醸す恐れもあるかもしれない・・・物事はホドホドで中庸なのがちょうどよいのだよぉと云ってました。
が・・・
わたしは知ってます。本当は『【超】高解像度パノラマ写真』を撮る技術も根気も体力も学識もないのです♪
それにしても、皆んなの暮らしを静かに見守ってくれている藻岩山はありがたいですねぇ♪
2011年07月08日
お母さん用の大きなお花♪わたし用の小さなお花♪
たいへん珍しいことに、おトしゃんは床の雑巾がけ、玄関掃いたりと、まめまめしくお掃除をしてました。
あの時のお母さんのお葬式をキチンとしていなかったので、今になってお母さんの同級生の皆様が弔問に来ることになったのです・・・
お母さんが居た頃だったら、全ての事がどうでもイイおトしゃんでしたが、今となっては亡きお母さんの手前もあり恥ずかしい振舞いは出来ないのです。
メロンを切ったり、おしぼりを用意したり、テーブルを拭いたりで大忙しです。
お昼に突然『ピンポーン♪』とチャイムが鳴り、お花屋さんがお花を届けてくれました・・・
今日、お見えになる予定の同級生の方々からのお花が届いたのです♪
・・・そして・・・信じられない事が起こりました???
お花を配達してくれたお姉さまが、さらに『これをチョコちゃんに・・・』と、可愛いらしい小さな花篭をおトしゃんに手渡してくれたのです・・・
『ェエエエッ~どうしてチョコの名前を知っているのですか?』と訝るおトしゃんに説明をしてくれました。
そうなのです・・・右側の小さな花篭はお花のお店の社員の方々がブログを見たりして、わたしを覚えていてくれていて、自発的にわたし用にあつらえてくれプレゼントしてくれたのです♪
わたしは2年以上前にこの世から消えて居なくなったのにです・・・
たいへんたいへんありがたい事です・・・
ぁぁ、お母さん用の大きなお花♪わたし用の小さなお花♪
『思ってくれているヒトがいる限り、憶えていてくれる心がある限り、チョコはこのお家でお母さんの横に居るのだねぇ・・・お花屋さんありがとうございます・・・』
人の心の優しさに大感激し、『胸が苦しくなった』・・・と言ってましたが、わたしはおトしゃんの心臓の血管にそろそろゴミのようなものが詰まってきて胸が苦しくなったきているのではないかと思ってます。先に死んだわたしがそうでしたからねぇ~・・・ワンワンとヒトでも親子はやはり似てくるのものではないのでしょうか♪
2011年07月04日
何処にでも楽園を感じる・・・怪しい心境
日曜日の午後、おトしゃんは所用で出かけ、日没頃に帰宅しました。
お留守番していたわたしを相手に、「夢のような所に行ってきた♪」と声をはずませて、そこの様子を語ってくれました♪
「そこには、とっても大きな湖のようなものがあり、さざ波にちゃぷちゃぷお船が浮かんでいて、親子連れの水鳥もぷかぷか浮いていた・・・」
「その湖の辺りには竜宮城のようなおごそかな建物がそびえており、その玄関先には白いテーブルが並び、善男善女がビールを頂きながら談笑しているお伽の国のような光景が広がっていた♪」
「初夏の風が吹き抜ける青空の下、あのような所でビールを頂いたらとてつもなく美味しいだろぅぅぅ」
「札幌市内にこのような楽園があるとは♪知らなかった♪」と大袈裟に喜んでました♪
「今後、行く機会もないだろうから、チョコに見せようとパノラマ写真を撮ってきたよぉ」と、わたしにその夢のような場所のパノラマ写真をみせてくれました。
たしかに美しい館です・・・、わたしの心にも、この建物は何か優しい心と、たまらない懐かしさを蘇らせてくれます。
格調高いというか、威厳があるというか、知性的なもの、気品とか、礼儀とか、由緒正しいとか、清清しいウルトラマリンブルーとか、おトしゃんに欠如しているものが全て備わっているのです♪
【以下の写真をクリックすると、館の前庭を散歩をしているようなありがたい気分に成れます♪】
おトしゃんが、初めて入ったと、ビックリしていたこの公園は『中島公園』と云う所で、この美しい建物は『豊平館』と云って120年も前に誕生し、その後の幾多の苦難を乗り越え、今では『国指定重要文化財』として頑張っているのだそうです。
やはり、それなりの歳月を経ても輝いている存在は、ヒトの心に何かを感じさせるものなのですねぇ♪
おトしゃんも古くなってきたので、古い物どうし理解し合えるのでしょうねぇ・・・
それにしても、このようにそこら辺のアレコレに大袈裟に感謝感激するのは何故なのでしょうか?
ホトケ様のようなありがたい心境に成ってきたのでしょうか?
おトしゃんは、もしかして自分自身にフテクサレテ、ヤケになってどうでもよくなっているのではないでしょうか♪
2011年07月01日
手作りレンズに写る黄色いお花・・・
おトしゃんは、お庭にいっぱいいっぱい咲いてきた黄色いお花の写真をわたしに見せてくれました・・・
漆黒の宇宙に浮かぶ慈悲深い希望の光に満ちたお星様のようです♪
何故か?なんとなく、このボンヤリに、遠い昔が懐かしくなるような感じをわたしは得ました・・・
どのようにして、この世のものでないような、摩訶不思議な写真が撮れたのでしょうか?
おトしゃんは、アチコチのWEBを参考にして、ドアスコープで『お魚お目目レンズのようなもの』を作り、それで写真を撮ったのです。
(わたし)が必死で倒れないように手でおさえているのがそのレンズのようなものです。
大きいほうのは、お店で売っている『お魚お目目レンズ』です。
ずいぶんと、違いますねぇ~
正規のレンズは600gもあります。
おトしゃんの手作りレンズは20gです
アチラは、何十倍もの重さです・・・
ドアスコープのお値段は1080円です。
売っているのは、その70倍ものお値段なのです・・・
それなりのお値段なのです、故に当然の事ですが、レンズとしての実力が圧倒的に違います。
同じお花を写しても、ハッキリクッキリこんなにも綺麗に写るのです♪
でも・・・おトしゃんはボケた写真の方が好きだ・・と云ってました。
もの事をハッキリと見る事に疲れてきたのでしょうか?
自分もボケているので、そう思うのでしょうか?
自分も軽薄で安っぽくいい加減な人生をおくっているので親近感を得るのでしょうか?
真意は違ったようです。
昔、わたしもお母さんもなんとか歩ける頃の最後に公園でこのお花の種を拾ってきて お庭に植えたのが、今、愛でるお母さんも居ないのに咲いているのです。
お母さんの形見のような花なのです・・・だから好きなのだと無理してでも云うのでしょうか?
確かに、おトしゃんにとっては、そう云う事はボンヤリした記憶になったほうが・・・楽なのですねぇ・・・
そう云う意味で、闇の空間に浮いているボンヤリ灯りの方がありがたいのでしょうねぇ・・・
・・・
・・・
・・・
ところで、このお花はなんと云うお花なのでしょうか?
おトしゃんは、知りたくないのでしょうか・・・