« 『豊別岳?』で温泉のようなものを発見♪ | メイン | 新たな家族♪ »
2012年01月30日
惜別・・・
この世に生まれて来て、いつの日にか去って行くのは世の習いなのですが、やはり切なく悲しいものです。
今月12日。おトしゃんの親友のC先生が逝ってしまいました。
東京で生まれ、お父様のお仕事の関係で満州の大連市第三中学校で勉強され、終戦後に医師の免許を取得され、札幌で医院を開業されていたのです。
何故、実家のある東京を捨てて札幌に来たのか、それは、東京よりも札幌市が、大連市に気候も風土も少しは似ているし、距離も近いからだ、とおトしゃんに何度も何度も語ってました。
酒に酔うと、大連時代に覚えたロシヤ語で民謡の『カチューシャ』を音痴のおトしゃんに唄って教えてました♪
日本に戻って来たくなかったと云うか、心を大連に置いてきたと云うか・・・おトしゃんは心が純粋すぎる年上の先生の事をいつも、『大連のボンボン』と冷やかしてました・・・
20年前には医師の少ない古平町の病院にも勤務され、その後、東京の実家に戻られて御両親を看取り、悲しい事に奥様にも先立たれ、そして7年前に。また大連により近い札幌に帰ってきたのですが、ご飯支度が苦手で一人暮らしも大変と云うことで食事付きのホテルのような施設で暮らしてました。
ロクデナシのおトしゃんは、ワンワンの入室を禁じられているのにも拘わらず、わたしと缶ビールをこっそりバッグに詰めてC先生の部屋に忍び込み、ミニ宴会をして先生を元気づけてました・・・
天気の良い日は、こうして、今は亡きH先生とC先生をわたしが先導して公園に案内したものでした♪
おトしゃん達はビールやおでんを仕入れてきて、『不良高齢者の集い』と称して世間に悪態をついて、ひと時の憂さ晴らしをしていたものでした・・・確かに、あの時、わたしも高齢ワンワンでした。
ぁぁ、もう誰も居なくなったのですね・・・
昨年、覚えたてのパノラマ写真を見せに面会に行った時、C先生は薄れゆく意識の中でおトしゃんに『アリガト・・・』と、声をしぼりだしていたそうです・・・C先生なりのケジメをつけたのですね。
・・・・・
そして13日、会社設立以来、今日まで税務関係の指導をお願いしていた税理士のS先生が、ご逝去されました・・・
昨年末に体調を崩し高熱にも拘わらず、年末調整の書類等の仕事があるとふらふらしながら会社に来てくれたのです。
そして新年が明けて二週間、現役のまま急逝されたのです。
税理士さんはイイカゲンでは務まりません。S先生は何事にもイイカゲンなおトしゃんがお仕事で暴走しないように、常に諭してくれていたのです。
税金を払いたくないとブツブツ言うおトしゃんに、事の道理を判らせてくれたのです。
S先生は、高齢になられてから、体調を崩された奥様のお食事を支度する事になりました。税務のプロと云えどもお料理は素人だったのです。いろいろなお料理の本を見ながら、食材を購入し調味料を加減してみたようですが、納得がいかず悩んでいたのです。
そんな時に「ワンワンの会社勤務」の料理のページを見て、目からウロコが落ちたと、おトしゃんにお礼を言ってました♪ようするに味付けなんかもテキトウニ自分の好みで作っても大丈夫なのが判ったそうなのです♪
会社設立時の決算書、そして最近の決算書・・・この間におトしゃんとS先生の思いがこもってます・・・そして、おトしゃんの仕事も人生も終わりに近づいてきているのでしょう・・・
・・・・・
医師のC先生、最後まで、思いを置いてきた大連に近づこうとしてました。
税理士のS先生、人生の最後の最後まで現役で頑張って、おトしゃんを守ってくれました。
共に、昭和6年生まれでした。
共に、おトしゃんと三十数年の付き合いでした。
共に、おトしゃんを育ててくれた大先輩でした。
共に、おトしゃんの恩人でした。
賜った御厚情に感謝します。ありがとうございました・・・
投稿者 choko : 2012年01月30日 12:27
コメント
少しの間だけ・・・
投稿者 hiro-03 : 2012年02月05日 23:25
N支部長。コメントありがとうございます。
C先生の奥様によく『どうして、うちの主人と福本さんはこんなに仲がいいの?』と不思議がられたのもでした。
あの先生の持っている大陸的おおらかさと私のバカさ加減が似合ったのでしょうね。千歳駅から支笏湖に向かって二人で励まし合いながらフラフラ歩いたのが昨日のように思い出します。
人生は思っているより短いようです・・・ね。
投稿者 チョコのおトしゃん : 2012年01月31日 08:58
C先生、お亡くなりになったのですか...
ご一緒した遠足を思い出しますね。
あの頃は皆さんお元気でした。
ご冥福をお祈りします。
投稿者 N@北方支部 : 2012年01月31日 07:36