« がったんごっとん大旅行♪ | メイン | がったんごっとん大旅行③ »

2012年06月30日

がったんごっとん大旅行②

 極楽浄土ではないであろうか?と云う所に来たら、その天地水平360°の光景を伝えたいと思うのが人情なのではないでしょうか?と云う訳で、約5200万年前に形成されたといわれる『浄土ヶ浜』の風景のパノラマ写真です。

 (↓②観光関連) 【マウスでクリック・グリグリして、暮れなずむ此の世の浄土に佇む気分を味わって下さい♪】
s-GOPR0922 Panorama.jpg

 心を包んでくれるような浄土ヶ浜の煌めく夕日を浴びたおトしゃんは、その夜はありがたく成ってぐっすり休めたようです♪
 
 翌朝、田野畑村民俗資料館の若きホープS研究調査員さんが自動車で迎えに来てくれました♪
 
 (↓④亡霊関連)
DSCN0112.jpg

 本来であれば、宮古市から田野畑村には『三陸鉄道北リアス線』でがったんごっとん向かうのですが・・・あの空前の大津波で、線路も鉄橋も駅舎もあれもこれも波にさらわれて無くなってしまったのです・・・
 残っているのは橋脚と駅舎の基礎だけです・・・

 (↓③震災関連)
DSCN0027.jpg

 奇跡的に宮沢賢治氏の歌碑が残ってました。津波の力を直接受けない角度に建っていたのが幸運だったようです・・・

 (↓③震災関連)
DSCN0030.jpg

 津波のはかり知れない力は巨大コンクリートブロック等をいとも簡単に転がしてしまうもののようです・・・

 (↓③震災関連)
DSCN0021.jpg

 田野畑村の海岸では、ホテルの修復工事をしてました。
 なんと・・・3階まで津波が襲ってきて破壊されてます・・・
 でも、絶対に諦めないでこのホテルも復興させる、と云う意気込みが伝わってきます。

 (↓③震災関連)
DSCN0033.jpg

 右側に白く見えるこのホテルの前に広がる紺碧の美しい海が津波の直前、沖合数Kmも波が引いたそうです。
 そして、その反動が何度も襲って来るのです・・・

 (↓③震災関連)
DSCN0039.jpg

 震災で凄まじく破壊喪失した跡を直視して落ち込んでいるおトしゃんにTさんは、せっかくだから観光地にも立ち寄りましょう、と優しく気遣いしてくれました。

 (↓②観光関連)
DSCN0046.jpg
 

 山がそのまま海に落ちてます。
 青い海は、ゆらゆらしてました。
 おトしゃんは、「あの海底に、まだまだたくさんの遺体が眠っている・・・辛いなぁ・・・」
 ・・・深くため息をついてました。

 (↓④震災関連)
DSCN0044.jpg
 
 いよいよ、来るべき所に近づいてきました・・・
 切牛の民家の畠の脇に・・・
 
 (↓④亡霊関連)
DSCN0016.jpg
 
 上記の説明看板がありました。

 (↓④亡霊関連) 【マウスクリックで大きい画像にすると字が読めると思います】
DSCN0018.jpg

 畏怖とか畏敬とかとは無縁で生きてきたおトしゃんが、なんと、手を合わせて頭を垂れてます???未だに神社仏閣等には「ふ~~ん」と頭を下げないヒトなのに・・・???
 
 (↓④亡霊関連) 
IMG_3465.jpg

 いったいどうしたのでしょうか?
 おトしゃんは「怨霊の磁力のようなものに引かれて、はるばるここに来たたようだ・・・、やはり来る必然性があったのだろうか?・・・不思議だなぁ・・・」と言ってました。
 でも、何処にも怨霊のような者は見あたりません??
 蝉も鳥も、シーンとしてます
 ピカピカに青い正午のお空、生き物も怨霊もお昼寝の時間ではないでしょうか?

 隣の集落のお家のお庭には、こう云うのもあります。

 (↓④亡霊関連) 
DSCN0059.jpg

 子孫の方と村の皆んなが、守り続けている誇りなのです。
 
 (↓④亡霊関連) 
DSCN0057.jpg
 
 ぁぁ、『小◯』の旗がやっと見えてきました。
 誇らしい一揆の旗です♪
 当時、諸般の事情で『困る』とは書けないので『小◯』と工夫したのではないでしょうか?

 (↓④亡霊関連) 
DSCN0105.jpg

 小◯の旗が無邪気にパタパタしてました・・・
 田野畑村民俗資料館です。

 (↓④亡霊関連) 
DSCN0104.jpg

 この地のここに。早坂さんの亡霊が眠っているはずなのです・・・

 ※次回に続く・・・

 

 

 
 

投稿者 choko : 2012年06月30日 16:25

コメント

A先生。

 北上高地から山田線と並走して宮古湾に注ぐ『閉伊川(へいがわ)』があり、この一帯の野田通・宮古通・大槌通の3つの通りを一括して、三閉伊(さんへい)通と言われていたので三閉伊一揆となっているようです。
 約170年前の事でそんなに昔ではなく、あの辺に佇むと先祖の記憶が今でも生々しく通じているようでした。
 と云っても当時の明確な資料があるわけでもなく、あの説明看板を指さしている部分の『弥五兵こと万六』と云うのも定かではないようだ・・・弥五兵と万六は別人ではなかろうか?と云うのが早坂氏の見解でした。
 それでは、万六は何者か?と謎は謎を呼び、謎を解くために膨大な資料と格闘し綿密な調査をしてました。

 この一揆は国の歴史上最大級の一揆で、且つ、それなりに成果を勝ち取ったことでも特記されるようです。
 しかもその一揆を主導したのが当時70歳になんなんとする『万六』と云う人物に早坂氏は魅せられ、取り憑かれたのです。彼は亡霊になる前から、酔うと私に何度も語ってました・・・

 

投稿者 早坂氏の碁仇 : 2012年07月01日 06:36

 今まで三閉伊のルビ打ちが無かったので何と読むのか確信が持てなかったのですが、このブログ記事の三閉伊一揆の説明看板にルビがあったので「さんへいい」と読んでいます。しかし、変わった地名ですね。一揆の記憶の残る土地ですか。やはり北海道とは違います。早坂氏の亡霊に会うことがあれば、どうしてこの一揆がライフワークの対象となったのか聞いておいてください。

投稿者 A : 2012年06月30日 18:14

コメントしてください♪

☆☆☆☆☆☆ スパムコメント対策のため【確認】後に投稿して下さい(管理人)  ☆☆☆☆☆




保存しますか?


(← 一旦確認して下さい・・その後投稿できます)

☆☆☆☆☆☆ スパムコメント対策のため修正しました(管理人)  ☆☆☆☆☆