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2013年08月17日
ぁぁ・・・としか、言いようがない・・・・
おトしゃんは、お盆休みの前半は、皆でパノラマ撮影に出かけたりして有意義に過ごしました・・・が。後半はお墓参りに行ったくらいで毎日ぼんやり暮らしてました・・・
お家に居てもヒマなので会社に行ってみました!
ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・なんと云うことでしょう・・・・・
I さんの訃報のFAXが着てました・・・・
おトしゃんは、泣きそうになって、体が固まってました・・・
I さんは、おトしゃんの親しい友人のなかでも特別変わったヒトでした・・・
おトしゃんと同じくIT関係の会社を二十数年経営されていてホテル関係のソフトを作ってました。
昔々に業界の会合で会った事もあったようですが、親しくなったのはここ十年位前からです。
当時のおトしゃんが、わたしやお母さんの看病とお仕事を両立させながらスパゲティを作っている姿に何かを感じたのでしょうか?その後どういう訳なのか2ヶ月毎のお昼休み時間におトしゃんのお家に来て、必ずおトしゃんの手作りのスパゲティを『おいしいおいしい♪』と食べて元気を得ていたようです・・・一緒にビールを飲んだり、焼き肉を食べた事は一度もありません。
一緒に登山をしたことも旅行をした事も一度もありません。
他の友達の面々と集ってワァワァしたことも一度もありません。
いつも、もっと大事な銀行の融資の姿勢とか、株主への配慮とか、おトしゃんは何時も彼のお仕事の相談にのってました。
仕事と家庭を大切にしながら、会社の行く末や彼自身の引退後の生き方等を虚勢なく、おトしゃんと2人でいつも静かに語っていたのです・・・
彼はいつも自分の有り様を客観的にみて、語り、その意見をおトしゃんに求め、確認してました。
先日は、とうとう還暦に成ったと、笑ってました。
晩婚だった彼は、「娘と息子を立派な社会人にするまでは頑張るぞー!」と未来の方角を見据えてました。
小樽の空は今にも泣き出しそうな感じでした・・・
彼もおトしゃんと同様に病院が大の苦手で、今まで健康診断等を受けたことも無く、それでも健康で毎日自宅の在る小樽から会社の在る札幌まで元気に通勤してお仕事をしてました。
その彼から春先に「風邪が治らなくて調子よくないのでしかたがなく病院に行ったら心臓が傷んでいるので、検査入院する」と連絡があり、その後「心臓の手術をすることに成った」とメールが着ました。
♪♪♪
そして、6月21日、退院して元気な姿の彼が現れ、例の如くおトしゃんの作るスパゲティのようなモノを美味しい美味しいと、食べながら、数時間におよんだ手術の話、一旦死を覚悟した話、死の淵を見て人生感が変わった話、食事の前には野菜サラダは良いと云って2人分買ってきた話、生きている喜びの話、愛する家族の話、今後のお仕事の話、引退後の話、あれやこれや生きている喜びをいっぱいいっぱい語ってくれました♪
どういう訳か、彼は沖縄が好きでした。
独居老人のおトしゃんの身を案じて、お互いにお仕事を引退したら、暖かい沖縄でのんびり暮らしませんか??と、ありがたい提案もしてくれました。
おトしゃんは、沖縄にも行った事もないのに、暑い所では生きていけない!と。せっかくの好意を冷たく断ってました・・・
彼は、それではせめてもと、おトしゃんにも『これからは一緒に定期的に健康診断を受けて安心して生きていこう!』と力強く勧めてました・・・・
♪♪♪
おトしゃんも、無事に生還した彼に健康診断を誘われたら拒否出来無いだろうなぁ・・・と、聞きながら、受診をやんわり断る言い訳を考えてました・・・
彼は、とっても危ういようなおトしゃんの行く末を案じてくれていたのです・・・・
・・・あの会話が最後だったのですね・・・・
あの日あの時、おトしゃん自作のスパゲティをほおばりながら、今後の人生に希望を持ち抱負を宣言していた彼が、急に居なくなってしまいました・・・
I さんは、まだまだまだまだまだまだ、家族に会社に必要とされていたのです・・・・
・・・そして・・・キリスト教の教えにしたがっての告別式です。
お母さんの小さな葬儀の時もそうでしたが、楽譜も渡されます・・・
おトしゃんは、音楽が嫌いではありません。楽譜も理解できます。
でも歌う気になんかになりません!
ぁぁ・・・今年は、おトしゃんの大切な親しい友人達が此の世から去っていきます・・・
ブログが蓋棺録の様です。
5月11日、外山 博 君・・・
8月2日、 松野 俊一 君・・・
8月15日、岩下 亨 君・・・
・・・ 皆、年下なのがやりきれないです。
・・・ せいいっぱいがんばっていきてきたかれらになんとかたりかけたらいいのでしょうか ・・・
投稿者 choko : 2013年08月17日 23:56