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2013年11月30日
命を作るような厳かな気分♪
ところで、おトしゃんが壮大なテーマと騒いでいた瓶詰鉛蓄電池はどうなったのでしょうか?
一応充電も放電も出来るのですが・・・10分間ほど小さなLEDを光らせれる位の情けない性能です・・・
もっとも、この装置は実験のための実験装置のようなものなのです。
壮大な計画を進める為に、硫酸の比重計も用意しました♪
いよいよ、少しは実用になるかもしれない鉛蓄電池を作るのです。
と云っても、おトしゃんは正しい作り方なんて解らないのです。
実際に鉛蓄電池の内部等は見たことが無いのですが、テキトウに想像して作るのです!
そうなのです、こう云う事はやってみなければ解らないのです♪
今回は、+極板と - 極板を近づけて見ることにしました。
極板同士がくっつくと意味をなさないので、セパレータを挟む事を考えました。
セパレータに使えそうな物を見つけました。
階段のスベリ止め用のマットを階段から剥がしました。
こうしてマットを細長く切断します。
8cm X 45cm に鉛板を切り取って、スベリ止めマットを挟みます。
サンドイッチのようですね♪
細長いサンドイッチのようなものをクルクル巻きます。
ノリ巻きのようですね♪
バラけないように、タコ糸で縛ります。
ハムのようですね♪
6ヶ作ります。
2v x 6 = 12v の蓄電池です。
ペットボトルを半分に切って容器として使います。
各、端子を結んで 12vの電圧になるようにします。
ゴーグルとゴム手袋で防備し、おごそかに各容器に、硫酸を注ぎます!
おトしゃんは、何か怪しい宗教の儀式のようだ・・・と言ってました!
そして、初めての充電です。
電池に命を吹き込むのです♪
鉛蓄電池は酷使すると、弱って昇天してしまいます。
常に電池の体調を案じながら優しく扱う必要があります。
つまり、鉛蓄電池は「生き物」と云われてます!
おトしゃんは創造主に成ったような気分のようです。
まずは、今夜、数時間充電して電池を育てるのです♪
今回生まれた電池は、元気な良い子に育つのでしょうか???
すぐにバテるおトしゃんに似なければイイと思います・・・が・・・
2013年11月29日
劉連仁さんの貴重な資料が届く♪
おトしゃんは昔から役所のような、おかたい所は苦手として生きてきたヒトなのですが、劉連仁さんの事を調べるには、やはり役所の資料を見なければ・・・と思い、先週に沼田町役場を訪ねたのです。
そこには、劉連仁さんの資料がたくさんありました。
おトしゃんは、ぜひ見たい!とお願いしたら、関係者の方々は快諾され、コピーして、わざわざ郵便で送ってくれたのです♪
(沼田町役場の皆様ありがとうございます)
たくさんの資料の中には1958年3月、つまり劉連仁が発見された翌月の「華僑報」と云う新聞記事までありました!
1958年から今日までの新聞の切り抜きやら当時の炭鉱の地図やらの貴重な資料が封筒に一杯詰まってました。
どうして、おトしゃんは最近になって劉連仁さんの事を調べ始めたのでしょうか?
理由はこうだそうです ↓
1、小さな石油ストーブでお家の中が寒くても、劉連仁さんの火のない生活を考えると、なんとか成る気がする!
2、おトしゃんが自分で作ったご飯のオカズがまずくても、劉連仁さんの食糧事情を考えると、ありがたく食べることが出来そうな気がする!
3、一人でポツンと家に居ても、 劉連仁さんの孤独を考えると、耐えられるような気持ちになれるような気がする!
4、四面楚歌、絶対的に希望も無い中、暗い穴の中で正気で13年間生き抜いた、心の強さを我が身の事と想像して勇気を得る!
等々・・・
おとしゃんは劉連仁さんがああして生きてこられた事実に人間の強さを教わり、励みにしているのです♪
2013年11月27日
静かな輝き・・・
今日は、A先生の北海道功労賞受賞祝賀会です♪
会社のカメラマンYさんが、たくさんの方々に輪になってもらって、パノラマ記念写真を撮ってます。平面的な記念写真でしたらA先生が真ん中になって写すのですが、パノラマ写真には真ん中がありません。
皆んなが平等に写るのです。
皆んなに分け隔てなく接してくださるA先生の人柄と同じなのです♪
H銀行のY会長の立派な挨拶から、祝賀会が始まりました。
おトしゃんは、この祝賀会の経過説明係なので、経過を説明してました。
A先生自ら、プロジェクターでパノラマ写真を写し、出席者の皆様に説明してくれました。
わたしが生きていた頃は、わたしもA先生のパーティに何度かおじゃました事がありました。
その事を憶えてくださった方がおられて、おトしゃんに、『チョコちゃんは元気ですか?』と訪ねてました。
やはり、わんわんと一緒にパーティに出席するのは印象深かったのでしょうね・・・
会場は全日空ホテルの23階です。
窓からはキラキラした夜景が広がってます。
以前のおトしゃんなら、『わぁ~キレイだね・・・』と素直に喜んでいたのですが、乏しい太陽光発電で暮らしている今では、灯りがもったいなく、もっともっと暗くしてもヒトは生きていけるのに・・・
と、思えてならないようでした・・・
そして、アイヌの方々が神と崇めているシマフクロウの羽をかたどった、たいへん貴重で高価な特製純銀のネクタイピンをA先生から頂きました。
ぁぁ、なんという重厚で静かな輝きでしょうか♪
アイヌの方々がシマフクロウに託した思いを想像しながら淡い光を放つこのネクタイピンを見ていたら、深い深い記憶の中から突然、あるメロディが響いてきました。
古い音楽ですがYotubeで聴くことができます。 ↓
Carmen Sylva Waltz です。
おトしゃんは楽譜を見つけてきてバンドネオンで弾けないだろうか?と・・・思いはじいめたようです・・・
やはりシマフクロウの純銀の羽の静かな輝きは、遠い昔を蘇らせる何かがあるのでしょうか?
2013年11月24日
同じ北海道なのに海岸は小春日和、山は猛吹雪・・・
ここは何処でしょう?
早朝の地下歩行空間です。
おトしゃんは始発の地下鉄を大通りで降りて札幌駅に向かうのです。
札幌駅で2200円の「一日散歩切符(道央圏用)」を購入して旅をするのです♪
仲間は、登山仲間のSAさんABさんJNさんです。
と云っても、彼らは某山岳会のメンバーで冬の高い山で泊まってくるような強靭なベテラン登山家連中です。
おトしゃんのように白旗山半日登山者とは大違いなのです。
小樽駅で長万部行きの列車に乗り換えます。
今日は、2200円で列車の旅をして、長万部のドライブインで1280円の『カニご飯バイキング』をお腹いっぱい頂いて幸せな気分に成ると云う、贅沢な旅行なのです♪
ニセコ駅からは当然ですが、先日登ったニセコアンヌオプリが美しい姿を見せてます♪
青い空・・・白い雲・・・のんびり各駅駅停車の列車の旅・・・心が癒やされます♪
パノ鉄取材でお馴染みの車掌車改造駅も活躍してます。
今日はパノ鉄の取材ではないので、おトしゃんは写真撮影をしないでビールばかり飲んでます♪
ガッタンゴットンゴットンゆらゆらしていたら、同行のJNさんの電話が鳴ります?
彼らの山岳会のメンバーが十勝連峰の「上ホロカメットク山」遭難したとの緊急連絡です・・・
SAさんABさんJNさんは、落ち着きません・・・
すぐに戻って、救援のお手伝いに上ホロカメットク山に行かなければ・・・
でも、列車はガッタンゴットンゴットン走ってます・・・
カニご飯が待っている、長万部駅に到着ですが、山岳会の皆様は気が気ではありません・・・
山岳会から、どんどん電話が入ってきます。
・・・警察が救助した・・・
・・・1人が亡くなり、4名は命に別状がなく病院に収容された・・・
と云うことは、これから戻って、上ホロカメットク山に行ってもしょうがない・・・と判断し、カニご飯のドライブインまでテクテクと歩くことにしました。
地平線まで延びる道路、空にぽっかり浮かんだ白い雲、文字通りの小春日和、おトしゃんは他の面々の心情に構わず浮き浮き歩いてました。
今回亡くなられた、NKさんと親しかったABさんは、涙を堪えて歩いていたのが、鈍感なおトしゃんにも伝わってきました・・・
カニご飯を、お腹いっぱい頂き、あとは札幌に帰るだけです。
東室蘭駅で乗り換え、更に苫小牧駅で乗り換え、おトしゃんにとっては、まるで鉄道ファンにでも成ったような幸せな一日でした。
帰りの列車内でiPadでニュースを視たら、遭難事故の記事が載ってました・・・
今回、上ホロカメットク山に登って天上の光景を見に行ったグループ・・・
今回、一日散歩きっぷでカニご飯を腹いっぱい頂くグループ・・・
それぞれの人生の明暗が紙一重の偶然で分かれてしまいました・・・
常に死の覚悟を持って、人生の高みを目指す選択。
カニご飯を食べて、人生の口福を目指す選択。
ヒトは、その両方を行ったり来たりしているのでしょうか・・・・
2013年11月23日
MOE研究会
ぁぁ・・・なんとなく懐かしい光景です。
ここは北海道大学の構内です。
懐かしいからといって、おトしゃんはここで勉強をしていたからではありません。
10年以上前に学生食堂でお昼ご飯を食べたり、ゲスト用レストランでお昼ビールを飲んだりして、この辺をうろうろしていた記憶が甦ったのです。
今日は、MOE研究会と云う、若若男女の研究発表会におトしゃんも参加したのです。
学生さん、先生たち、皆様はおトしゃんの子供かお孫さんの年齢の初々しい若人ばかりです。
20代、30代の方々がほとんどで60代後半はおトしゃんだけで、場違いなのですが、おトしゃんはそういう事にも超鈍感で、あいかわらず嬉しそうでした♪
皆様は夢と希望にあふれる研究成果の発表です。
おトしゃんは暮らしに根付いた電気料金を節約する話、つまり太陽光発電生活の実態を発表したのです。皆様は理解したようですが実感としてピンとこないのは若い人達ゆえ否めません。
延延6時間近くの研究発表の後、楽しい懇親会です。
おトしゃんもビールを頂くのは得意で、若いヒトと呑むペースを合わせれるので喜んで参加しました。
座長のAN先生は、手品の研究家でもあり、楽しいトランプ手品で皆を楽しませてくれます♪
いつものおトしゃんが会食する面々でしたら、お互いの病気自慢、心身の不調自慢、服用している薬の種類自慢、等々の話題で盛り上がるのですが・・・
若い面々達は、夢と希望を語り合ってました♪
人生これからのヒト、人生の終末のおトしゃん、違うような同じような???
若い皆んなは、かってのおトしゃんで、今の皆んな必然的におトしゃんの年齢になるのですから♪
2013年11月22日
劉連仁さんの逃避行の初めと終わりの足跡を訪ねる。
重苦しい厚い雲が空を覆い冷たい雨が体を冷やします。
こんな天候なのに、おトしゃん、A先生、温泉マンさんで、劉連仁さんの記念碑を訪ねてきました。
ここは、当別町の小さな公園の一角です。
この近くの山で、1958年2月に劉さんは当別町の方々に保護されて、13年間の飢えと寒さと孤独と絶望の逃避行を終えることができたのです。
その劉さんの想像を絶する苦難を忘れないようにと、2002年9月に地元の人達が小さな記念碑を建立したのです。
A先生撮影の『劉連仁生還記念碑』のパノラマ写真です。
A先生の秘境100選ブログの爪句記事です。
おトしゃんは 不思議な形の『碑』を見たとたん、寒さと感動で身も心も震えてました。
洞穴のような石の彫刻の内側に、玉のようなモノが包まれて入ってます?
この碑は、47歳で無亡くなった彫刻家丸山隆氏の遺作と碑文にありました。
彼は除幕式の2日前に亡くなったそうです。
荒々しい石の中に、真円に磨かれた玉が、静かにジーっとしているようです。
この石碑はこの前に佇むヒトに何を分かって欲しいのでしょうか?
おトしゃんはこの碑には、2つの意味があるのではないだろうか?と、にわか彫刻評論家のような事を云ってました。
一般的な見かたとして、外側の石は劉さんの命を包んで守っていた手掘りの小さな穴を象徴しているのではないだろうか?
そして、丸い石は劉さんの全ての苦悩を超越した姿なのではないだろうか・・・
でも、おトしゃんは、外側の石は寒さに震えている劉さんを現し、丸い石は『湯たんぽ』を現しているのではないだろうか?と、怪しい解釈をしてました。
おトしゃんは例によっていい加減な事を言ってますが、わたしはあながちデタラメでもないように思いました。
おトしゃん自身も、最近の寒さに震える夜は湯たんぽを抱っこして寝ているので、この彫刻の本意が素直に伝わってくるようです。
丸い石の玉は『湯たんぽ』だそうです!
・・・おトしゃんは、碑を見た瞬間、時空を超えて、故劉連仁さんと彫刻の作者故丸山隆氏の心が見えない力と成って伝わってきたそうです・・・
午後、沼田町の役場を訪問し、劉さん関連の資料を見せてもらいました。
昔の新聞の切り抜きも保存されてます・・・
当時の支援者との再会の記事は劉さんの笑顔の写真も載ってます。
おトしゃん達が沼田町を訪問した訳は、沼田町昭和地域には劉さん達が戦争中に中国から強制連行されて、働かされた炭鉱があったからなのです。
当時7000人もいた炭鉱もその後閉山し、いまでは草むす廃墟のようです。
貴重な航空写真や地図も残ってます。
役所の親切な方々は、その炭鉱跡に案内してくれました。
おトしゃん達はパノラマ写真を撮れないものだろうかと目論んでいたのです。
しかし、昭和炭鉱の入り口には真新しいゲートが設置されていて、通行止めに成ってます?
炭鉱跡地は危険な状況なので、立入禁止に成ってます・・・
役所の方曰く、『羆やスズメバハチがヒトが近よらないように廃墟を守っている』そうです・・・
近くの道路沿いにも、炭鉱の施設の廃墟がありました。
わずか40年ほど前には人々が暮らしていた地域が現在では当時の関係者も皆無で、何に使われていた設備なのか、今では応えられる人はいないそうです。
まるで成仏出来無い幽鬼のような建物自身の悲しみが伝わってきます・・・
おトしゃんは廃墟の前に佇むと・・・廃墟に染み込んでいる音や声のようなものが聞こえるようだ・・・と、わたしに言ってました。
2013年11月20日
壮大なテーマ ②
前回のブログで、おトしゃんは硫酸と鉛で人類のお役に立ちたいと妄想を述べてましたが・・・
いったい何をどうするのでしょうか?
鉛板を細長く切り取りました。
更に、15cmに切り揃えます。
瓶詰のビンを何処からか持ってきました・・・
ぁぁ、あれは・・・具合が悪かった、わたしやお母さんののために調理した瓶詰おかずのあの懐かしいビンではありませんか♪
そのビンの中に、折りたたんだ鉛板を一対入れて、個々が触れ合わないように樹脂の網を真ん中に入れます。
なんとなく、昆布煮の瓶詰めのようです♪
3ヶのビンの鉛板を電線で接続します。
もう、解るヒトは解るでしょう♪
これは、『鉛蓄電池のようなもの』の実験装置?なのです。
このビンの中に、ハチミツでなく、硫酸を注ぐのです。
自分が軽薄でそっそかしいのを自覚しているおトしゃんは、劇薬を扱う為に完全装備です。
おトしゃんのお目目は片方しか見えないので、予備のお目目が無いのです!
劇薬が入ったら、お終いです。
都合の良い事に、冬山の吹雪の時に装着するゴーグルがありました。
これで、お目目を保護します。
間違って、お鼻やお口から劇薬が入らないように、マスクも装着しました。
もちろん、お手手はゴム手袋で保護します。
さっそく、わたしを抱っこして記念写真撮影です。
こうして見ると、まるで真剣味が感じられません?
慎重に、こぼさないように、皮膚や衣服に付かないように、硫酸をビンに注ぎます。
約8Vの電圧で充電開始です。
居間の中で、硫酸入のビンを蹴飛ばしたら大悲劇です。
玄関土間に実験装置(?)を移動して実験再開です。
ところで、何の目的で、このようなちまちました科学実験のような事を始めたのでしょうか?
いったい何が、壮大なテーマなのでしょうか?
2013年11月19日
壮大なテーマか誇大妄想か♪
何やら、とろりとした液体が入ったビンが10本届きました?
なんでしょう?
わたしはハチミツではないかと思いました。
お母さんの入院中には、少しでも元気になれるようにと病院へ持参したものでした・・・
おトしゃんもとうとう身も心も老化してきたのでハチミツでも舐めてローヤルゼリーの御利益にあやかりたいのでしょう?
おトしゃんは、とっても嬉しそうにそのビンを手のひらにのせて、わたしに見せてくれました?
とろりとしてますがハチミツではありません。
ラベルに『希硫酸』と書かれてます。
比重 1.28 濃度 37% です?
硫酸は皮膚に付くと火傷する、衣服に付くと穴が開くと云われている劇薬なのです?
そんな希硫酸でも舐めたら御利益があるものなのでしょうか?
そして、おトしゃんの足元には何やら重々しい光を放つ物体がころがってます?
これは、畳一枚分の大きさの鉛の板だそうです。
とっても重たいので重々しい光を放つのだと、おトしゃん説明してくれました?
いったいどうしたのでしょう?
おトしゃんは、考えたのでした。
66才といえば、押しも押されぬイイ歳なのです。
これからは改心して年齢にふさわしいような見識と知性を備えた人物にならなければならないのです!
そのためにはどうしたらいいのだろうか?更に考えて考えて、世界の人類の役に立つ壮大な研究テーマと云うかおトしゃん自身の人生のテーマを見つけたのです??
硫酸と鉛板が人類の役に立つのでしょうか?
おトしゃんの誇大妄想症が再発したのではないでしょうか?
続く・・・
2013年11月17日
晴天の下、ハティクバを歌いながら、山路を歩く♪
昨日、土曜日は(ポカポカ陽気=山歩き日和)でした。
広い登山路、ここは、おトしゃんが名づけた『白旗山10間道路』です。
4車線以上の幅の路が遥か彼方まで続いてます♪
おトしゃんは、このような誰も居ない山路を音痴なのにも拘らず、どう云う訳かイスラエル国歌のハティクバをでたらめに歌いながら空を見て歩くのです♪
今の季節に成ると、白旗山に来るヒトはほとんど居りません。
お昼の時間ですが、樹々の影が長く伸びてました・・・
そして、今日も快晴です♪
太陽光は天の恵みとばかり、おトしゃんは家中のソーラーパネルを総動員して電気を蓄えます♪
お父さんお母さんパネル、子供パネル、玄関の階段には孫パネルまで陽を浴びてます。
そして今日もまた白旗山巡礼です♪
他に、行く処がないのでしょうか♪
ひと気のない、ふれあいの森登山口です。
クイズの森--展望四阿--下三滝--白旗山--・・・をうろうろします。
昨日も来た、白旗山山頂で、今日はわざわざセルフタイマー写真撮影です。
自分の写真を撮るなんて・・・いったいおトしゃんはどうしたのでしょう?
恥ずかしながら、今日はおトしゃんの66回目の誕生日だったのです。
法的にも高齢者となり、この先、安らかに死ぬだけが望みの人生、せめて記念に写真を♪と思ったようです?
こうして、超青空の下、元気で歩き回れて、帰宅したら美味しいビールを頂けて、ソーラー発電で蓄電池は電気で腹いっぱい、おトしゃんも幸せいっぱいなのです♪
・・・こうしてブログに載せた事を記憶にとどめておくと、
おトしゃんが終末を迎えるときに・・・
走馬灯のように・・・
否、メリーゴーランドのように・・・
否、
パノラマ写真のように♪・・・太陽に祝福された今日の記憶が甦るはずだ!・・・と、おトしゃんは1人で騒いでました♪
2013年11月14日
あの世からの声援♪
三回目のお母さんの命日です。
おトしゃんは、もう三年も経ったのだから498円の仏花をスーパーから2束購入し、それを雑材品置場兼わたしとお母さんのメモリアル戸棚の上に飾って命日の供養としてやり過ごそうとお気楽に考えてました。
しかし、嬉しいと云うかありがたいと云うか申し訳ないと云うか、たくさんのお花やお菓子を頂きました。
埼玉県や神奈川県からわざわざ来てくださった、お母さんの姉妹達、
お菓子を持って、お参りに来てくださった、町内会のお母さんの親友4人組、
そして、横浜や小樽のおトしゃんの従姉妹達から、
以前から、そして今も、わたしを気遣ってくださる、れなっこさん、不二子さん、係長さん、空ママさん、皆様からたくさんのお花を頂きました。
わたしの写真もお母さんの写真も、お花に埋まってます♪
頂いたお花には、カードも添えられてました♪
カードに記してある太陽光発電の件については、お参りに来てくださった町内会4人組からも、率直な意見が述べられました。
『みっちゃん(お母さんの事)が生きていたら、福本さんは即刻家から出されたでしょう』とか・・・
『首を絞められたかもしれない』とか・・・
確かに、お家の壁のあちこちに穴を開けたり、床に電線を這わせたり、天井から裸LEDがぶら下がっていたり、小さなテレビや冷蔵庫で、ままごとのような暮らしを強いられ、しかも寒さに震えて暮らすなんて・・・
お母さんが生きていたら絶対に許されないでしょうね♪
まぁ、今は、あの世ですから、許してくれるでしょうね♪
今まで、お母さんの命日には、お母さんが最後に頂いたラーメンをお母さんを偲んで夕食に頂くのがおトしゃんの習わしでした。
でも、今日は冷ご飯が余ってます。
今夜は明日の朝ご飯のオカズにもなる、おでんを作ることにしました。
おでんと云っても、具材一式がパックされたのを買ってきて、それに大根、こんにゃく、昆布、つぶ貝等を適当に鍋に放り込んで、コトコト煮るだけです。
本来であれば、冷ご飯は電子レンジで温めるのが簡単ですが、なにせ最近は天候が芳しくなくバッテリーの電力も乏しいので、電子レンジの使用は断念し、石油ストーブでおでんの煮込みと冷ご飯の温めを同時に行います♪
ぁぁ・・・なんと心が温まる光景でしょうか♪
小さな石油ストーブで、暖をとり、灯りを得て、湯を沸かし、調理までしているのです。
温かい家庭の象徴のような光景ではないでしょうか・・・
お部屋も温まってくると、辺りは花の香りで包まれてきます。
おでんをツマミにビールを頂いているうちに、おトしゃんはありがたく成って来ました。
お花がゆらゆらと微かにゆれているのです・・・
(石油ストーブによる空気の対流のせいではないでしょうか)
おトしゃんのすぐそばの花達が何かを囁いているのです・・・
(石油ストーブの上のヤカンの蒸気の音ではないでしょうか)
おトしゃんには、ずーっと遠くの方から「がんばってぇぇぇ~」・・・・悲鳴のような叫び声が聞こえたそうです・・・
(それは、わたしとお母さんのあの世からの声援です♪)
2013年11月12日
雪のアルベード(アルベド)
お家の周囲にも初雪のようなものが降りました♪
1階のベランダに取付けた設置角度75°のソーラーパネルにも雪が積もってます。
2階の壁に垂直90°に取付けたソーラーパネルには雪が付いてません。
幸い、陽が差してきて小一時間ほどで雪が溶けてきました。
しかし、真冬日でしたらなかなかパネルの雪も溶けてくれませんでしょう。
そう云う意味で、パネルを垂直に取付けたのは雪が多い札幌の冬期間には適切なのかもしれません。
でも、おトしゃんは違うことを企んでいたのです?
雪のアルベード(反射率)を利用するのです♪
「雪焼け」と云う言葉があるように雪は太陽光を良く反射します。
下の写真の如く、(直接の太陽光+雪の反射光)がパネルに当たるのです♪
そうなのです!冬季限定太陽光キャンペーンのように何割か太陽光がよけいにパネルに当たるのです♪
お家のソーラーパネルは南西方向なので、朝はあまり発電しません。
それでも415Wも発電してます♪
おトしゃんは、『雪が白くてよかったよかった』と喜んでました♪
『雪のアルベード』なんて、洒落た映画の題名みたいですね!
2013年11月11日
電気代が減ると昭和の暮らしになる。
考えてみたら当たり前の事ですが、現代では生きているかぎり電力会社から請求書が来るのです。
今月も請求書メールが届きました。
前月は3115円、当月は2312円ですから803円も減りました。
今月の使用電力は67Kwhです。
赤い折れ線グラフの様に同規模の一般家庭契約の月平均は約250Kwhなので1/4程度まで使用電力が減少しました。
お家では冬期間の暖房ボイラーの使用電力が大きいので昨年同月との比較では84%も減りました。
前月までは古い大型冷蔵庫を使っていたのが、今後は75リッターの小型冷蔵庫をソーラー発電で賄うので更に使用電力は減少する予定です。
でも、おトしゃんは浮かない顔をしています。
数千円の電気代を減らすための諸々の苦労や我慢が割に合わないと感じ始めたようです・・・
と云うことは、逆に考えると如何に電気はありがたいものであるか、不便な暮らしをしてみて改めて感じたようです。
おとしゃんは、お部屋も真ん中に電灯がぶら下がっていて、そこから二股ソケットでコードをつないで家族皆んなで小さなテレビを視ていたような『昭和の暮らし』を懐かしんでいるのでしょうか?
2013年11月07日
昔の思い出がいっぱい詰まっているアクセスサッポロ
なんだか懐かしいような建物です。
『アクセスサッポロ』と云う大展示会用の施設です。
約30年前にこけら落としとして『第一回札幌国際見本市』が華々しくここで開催されたのです。
会社の近くでもあるので、あの頃は様々な展示会がある度におトしゃん達は会社の展示コーナーを作って出展し自社商品の販促活動に努めたものです。
あれから30年・・・
いつの頃からか、会社で展示会に出展する事もなくなりました・・・
情熱が失せたというか、当事者に成るのが疲れたというのか・・・
今日は傍観者として、見に来ました。
閑散としていると思いきや、なかなかの熱気に包まれてました。
なん箇所かの展示ブースには、昔し懐かしい仕事関係の面々が活躍してましたが、大半のブースは、ハツラツとした若手企業人が活躍してます。
ロビーも人でいっぱいです。
おトしゃんは、ここに佇み30年前を思い出してました。
30年と云うと世代が交代する時間なのでしょうか!
30年間、さっぱり発展しないまま同じ様に生きているのが情けない事なのか、それともありがたい事なのか???
ロビーの鉢植えの樹木は30年前と同じ面影です。
最近は、このような会場に足を運んで新しい事を見つけようと思っても、昔の事ばかり思い出してしまい、新しい事柄がさっぱり認知できない・・・
おトしゃんは珍しく、ぼやいてました・・・
2013年11月04日
縮小する暮らし・・・
お家には、22年前に購入した大きな冷蔵庫があります。
その冷蔵庫で冷たい氷(?)を作り、ビールに入れて炭酸水で割って飲むのがおトしゃんの人生の唯一の楽しみでした・・・
それで十分なのに、更に新しい冷蔵庫を購入してきました!
シャープ製の75リッター、14800円です♪
なんと可愛らしいと云うか、あほらしいと云うか、オモチャのような感じの冷蔵庫です♪
昔昔、おトしゃんとお母さんが暮らし始めた頃に最初に買った冷蔵庫も、この位の大きさだったそうです・・・
その後、文化生活に成り(?)・・・巨大冷蔵庫と一緒に暮してました・・・
お家の消費電力の調査を行ってみたら、半数以上の電力が冷蔵庫で使われてました。
ソーラー発電の乏しい電力では、賄うことができません。
かと云って、冷蔵庫がなければ冷たいビールを頂けません。
おトしゃんは、この小さな冷蔵庫で氷が少々作れて缶ビールがある程度冷やせたら、あとはなんとかするのです♪
冷蔵庫もソーラーで賄えたら、これで、憂いはありません!
家じゅうの電気を切断するのです!
お家の発電所の電気で、生きるのです♪
玄関に付いているブレーカーを全部落とします!
レバーが 切 切 切 切 切 に成ってます。
左側のメインのブレーカーまでが電力会社の所有物です。
それから、先はお家の物です。
おトしゃんは、ブレーカーから電線を外しました。
自己責任で、お家の配線にインバーターで作った100Vの電気を流すことが可能になるのです。
おトしゃんは、意味もなく嬉しそうですが、テレビや冷蔵庫が小さくなり、ボイラーも使えなくなり、ますます文化的生活から遠のきます・・・
11月3日の「文化の日」の存在意義は何なのでしょうか?
国民が皆、文化的生活を目指して明るく健康的に暮らすはずではなかったではないでしょうか・・・
この先、わたしとおトしゃんは、蓄電池の電圧が無くなる不安に怯えて暮らすのでしょうか?
おトしゃんは、不便をして原始的に生きる覚悟なのでしょうか?
優雅でバラ色の老後はあきらめるしかないでしょう・・・・・・か♪
2013年11月02日
劉さんの思いを背負って藻岩山へ
太陽光発電で生活費を倹約し、老後をつましく暮らそうと夢見ていたおトしゃんは、最近!あらぬ方向の研究のようなことに熱心になってきました?
つましく暮らすためには暖衣飽食と反対方向の生き方をしなければならないのです!
と云う理屈で劉連仁さんの過酷な13年間の北海道の山で生き延びた精神を学んでいるのです・・・
先日の劉連仁さんの北海道の野山で13年間隠れて生きていた事実をもっと詳しく知ろう・・・と、早乙女勝元著の『穴から穴へ13年』を読み始めました。
この本は2000年に出版で、劉連仁さんが亡くなる一年前の写真が載ってます。
表紙は当時強制連行された青島港の夕日に下に佇む、悟りきった表情の彼の姿があります。
本人なので当然ですが、10月26日のこのブログの3枚目の発見された(1958年)当時の劉さん写真と、やはり似てますね♪
劉さんは、おトしゃんが暮している北海道の過酷な冬山で13年間生き抜いたと云う事で、おトしゃんの心の支えに!と思っているようですが、あの戦争の時代には、他にも長い年月を山に籠って生き抜いた方々が居ります。
あの、横井庄一さん、小野田寛郎さん、台湾出身の日本兵スニヨンさん(日本名 中村輝夫さん)等々
おトしゃんは、古書を読み調べました。
劉連人さん : 北海道 : 14年間の生きる戦い : 発見時年齢 45歳 :没年 87歳
横井庄一さん: グアム島 : 28年間の生きる戦い : 発見時年齢 57歳 :没年 82歳
小野田寛郎さん:ルバング島: 30年間の生きる戦い : 発見時年齢 51歳 :92歳です♪
スニヨンさん :モロタイ島: 22年間の生きる戦い : 発見時年齢 49歳 :没年 59歳
スニヨンさんの本は、あの著名な作家の佐藤愛子さんが書いてます。心に響くものがあったのでしょう・・・
おトしゃんは、上記の本を読んですっかり影響を受け、今までの能天気な山歩きを改めようと決意しました。
冬が間近の山登りしながら、劉さん達が山中で命がけで生きた心を少しでも理解するつもりなのです!
久しぶりの晩秋の藻岩山です。
わぁぁぁ 紅葉です♪
なんとマァ美しいのでしょうか・・・
悲しいほど美しい紅葉は必死で生きる努力をしていた劉さんの目にはどのように映っていたのでしょうか?、
こちらは黄葉です♪
劉さんは故郷の家族との暮らしを思い出しながら見ていたのでしょうか?
褐葉とでも云うのでしょうか?
足元にはカサカサした葉がふかふかと積もってます♪
おトしゃんは、劉さん、横井さん、小野田さん、スニヨンさんの当時の気持ちを少しでも理解しようと試みながら歩いていたはずですが・・・
見事な紅葉に圧倒され、空っぽの心のまま帰ってきました・・・
↓写真は『穴から穴へ13年』に載っている劉さん達が捕われていた北海道沼田町の明治炭鉱の廃墟です。
おトしゃんは、廃墟の写真を見て、感電したように固まってました?ここの廃墟にどうしても行ってパノラマ写真を撮らなければならないと云う使命感のようなものが襲ってきたようです。
↑は1999年当時の写真です。
今は、どうなっているのでしょうか?
おトしゃんは56年前の劉さん達の亡霊のようなものに逢いに行きたいのです・・・