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2015年12月11日
さようなら・・・ありがとう・・・野坂昭如氏♪
野坂昭如氏の訃報が新聞各紙に報じられました・・・
わたしが、おトしゃんの子供に成ったのはおトしゃんが47歳の時です。わたしは生後0.5ヶ年でした。
それ以前のおトしゃんはどんなヒトだったのか、当然わたしには解りません・・・
でも、わたしが子供の頃にお母さんが、わたしにこっそり教えてくれました・・・
『若い頃のおトしゃんは、野坂昭如氏の崇拝者だったのだよぉ・・』と!
・・・おそらく知っているヒトは居ないでしょうけれども・・・
札幌の「狸小路のうた」(←※要注意youtubeなので音楽が鳴ります)の作詞者は、野坂昭如氏なのです。
そうなのです札幌狸小路の大恩人なのです!
おトしゃんの若い頃には、新聞の書評欄を見て、そこに載っている本を購入して読むのが唯一の社会を知る開かれた窓でした。『火垂るの墓』を読んだのもその頃です。日々の糊口を凌ぐのもやっとの状況の中であの本を読んで、心が震えたそうです・・・
以来、彼を人生の師とまで心酔し、彼の著書は全部購入し読み漁ったのです・・・
多々、おトしゃんは彼に共鳴したのでしょうね・・・
当時、お母さんに・・・
「ミコが死んだら、あのようにドロップの缶に骨を入れて持ち歩くょぉ♪」と調子の良い事を云っていたそうです・・・
そして、5年前に死期を悟ったお母さんは茶箪笥の引き出しに、密かに『ドロップ缶』を用意してあったのです・・・
でも・・・!
今現在、わたしとお母さんの遺骨は骨壺ごと戸棚の中に放り投げたママ、数mmの綿埃を被ってます♪
訃報を知り、おトしゃんはお家の、旧書斎(現物置)の本棚に有るはずの、野坂氏の本を探してました。
膨大に有るはずの野坂氏の全著書が、まったくナイのです???
そうなのです、おトしゃんは読んで感銘した本は、ヒトに薦めて渡すので、そのままどこかに行ってしまうのです・・・
当然、野坂氏の本は此処には一冊も無くなったのです。
でも、一冊も無くてもイイのです。
おトしゃんの、古い記憶にしっかりと織り込まれているのですから♪
おトしゃんは、呻いてます・・・
「
野坂昭如氏は、ちっぽけな私の青春の思い出に残る、大きな出来事だったのかもしれない・・・
でも、あの頃の私は、それらが全てだったのだ・・・
」
・・・戦争を語る面々も居なくなり・・・おトしゃんは、これから、ますます寂しくなるのです・・・
・・・そして、おトしゃんは、今まで一度も『蛍』を見た事のないヒトなのです・・・
・・・来年こそ『火垂る』を見に行こう・・・と・・・思っているようです・・・
・・・当時の自分に会いに行きたいのですね♪・・・原点なのでしょう・・・
サクマのドロップ缶を持って。
投稿者 choko : 2015年12月11日 13:43
コメント
マリオ??さん。
そうですか!子供時代に狸小路のライオンでビールの泡をちょっぴり頂いたのですか♪
きっとその当時に『狸小路のうた』が流れていたのですね!
年に1~2回、山の仲間と地下鉄円山公園駅で待ち合わせ、バスに乗り換えて藻岩山旭山公園登山口から登り、下山はスキー場コースを降り、バスで石山通から大通りまで行き、大通りから狸小路のライオンでジョッキで乾杯します。
いいですよぉ~・・・
次回、一緒しましょう♪
40年前のマリオ??さんと出会えるはずです♪
投稿者 チョコのおトしゃん : 2015年12月15日 11:15
今HBCの報道特集で「貧困の連鎖」のような放送をしています。おバカなことに、予備校に通わせると1科目当たり月に2.5万円ほどかかるので、その格差が問題であるそうです。私は高校時代には月刊誌の蛍雪時代で受験勉強をしました。今でも売っており、1,000円以下で何とCDまで付録でついています。私には単に子供の甘えにしか思えません。
私は浪人して、親に借金させて予備校に1年間予備校を通わせてもらいましたが、全額の数倍以上返しています。
高卒で自立できないレベルのやる気のない子供は、間違いなく大学を卒業してももっとダメになるだけです。ですから、先生や他の人に異常だと言われても娘を高卒で就職させるのです。
少なくても現在は無償の高校まで卒業してダメで、その後も努力しないのなら一生ダメなのは明らかです。今でも親に負担をかけずに大学院の博士課程を修了する手段はありますから、多分生まれながらの超エリートのキャスターに何がわかるのかと違和感を感じました。
投稿者 マリオ?? : 2015年12月12日 18:48
あの「狸小路の歌」が野坂氏の作詞だったとは全く知りませんでした。私の中学生時代くらいまでは「街に行く」=「狸小路に行く」でした。私の世代の人間には、ヨドバシカメラの歌のようです。買い物は、サンデパートと金市館がメインで、茶屋碁盤店あるいは中川ライター店に寄るのが最大の楽しみでした。昼食はサンデパートの地下でいまだにある五十番で酢豚定食か金市館の地下で月見うどんあるいは野立弁当というのがお決まりで、時々ライオンで生ビールとザンギでした。当時は、小学生がお店で生ビールを飲んでも許されるいい時代でした。そういえば金市館の1階から2階への登りのエスカレーターの非常停止ボタンを押したこともありました。子供心にも下りの方のボタンを押したら危ないことくらいはわかっていました。あのボタンは、とっても押してみたくなる衝動に駆られます。どうして、みんな押した経験がないのか不思議です。好奇心がある子供なら、一度は押してみた経験があるのでは.....
「火垂るの墓」はDVDも持っていていますが、一度最後まで見てしまうと最後まで見る勇気が私にはありません。毎年、お盆の時期に放送されるテレビもチャンネルを変えます。あんなに見ていて切なくて悲しくて苦しくなるアニメは世界中どこを探してもないと思います。
野坂氏はサントリーのコマーシャルのイメージが強烈すぎて、鬼籍に入ってから新聞や雑誌の雑誌の記事を読んで、どのような方だったか初めて知ったような感じです。勉強不足でした。全く惜しい人を失ってしまいました。合掌
投稿者 マリオ?? : 2015年12月12日 16:38